いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術制作日記2021.4.13

去年から書いている三冊目の本の後半を書き直した。編集者も出版社もいないから、すべて自分で計画して自分で編集校正をしている。出てくる言葉をどんどん原稿にして、本のページにレイアウトして読み直して、大幅に削除して、また読み直して修正することを繰り返している。彫刻や絵を描く作業によく似ている。効率はよくないけれど、言葉の密度は凝縮されてきた。できるだけシンプルにしたい。納得のいく本に仕上がりそうだ。3月からこの本に向き合っていたので、こっちの記録ができていなかった。

仕事やお金より「生きる」ことを優先するべきで、それは生活をつくることだ。例えば、学校を卒業すると働かなければならない。なぜなのか。そう考える時間も与えられないまま仕事を探すことになる。けれどもうひとつ選択肢がある。仕事を「つくる」こともできる。それには、仕事の種を蒔いて育てる時間が必要だ。芽が出るまでの期間、お金を稼がなくても生きていける余地が必要になる。余地とは、お金のこと、貯金だけじゃない。なんのためにお金が必要なのか、と考えてみる。欲しいモノは何のために欲しいのか。それがなかったら死んでしまうのか。仕事を育てている間くらいなら、食べ物があって、家があって、少しのお金だけあれば、生きていくことができる。我慢できるだろう。育てている仕事が芽を出せばきっと稼いでくれるのだから。

もうすぐ三冊目の本は書き終わる。生きた時間を記録して、ことそれを本にして、本を書きながら自分の人生をつくっている。本を書くと、自分の未来が見えてくる。行き先だ。

いまは炭焼きをやっている。三度目の炭焼きで過去二回失敗している。失敗して検証して再トライできる余地があることの豊かさ。豊かさとは余地があることだ。時間があれば失敗も経験だからと許容できる。タイムリミットぎりぎりだったら失敗は許されない。もう次はないのだから。しかし時間がないと思うとき、一体誰に締め切りを迫らているのだろうか。時間とは人生だ。死ぬまでぼくたちは生きる時間を持っている。

たぶん三冊目の本は、自分で出版することになる。その体制を構築できれば先は長い。少しずつ読者を増やしていけばいい。

ぼくは弱い人間だ。競争すれば負ける。勝てる人は勝ち続ければいい。けれども勝ち続けられる人はいない。それなのに社会は負けた人を居心地悪くする。居場所をなくそうとする。それでいいのだろうか。だから負けても、一時的にでも可笑しく楽しく暮らせる環境をつくってみせたい。