いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

「楽園への道」を読んで。

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芸術とは、自然を真似るのではなく、技術を習得し、現実の世界とは異なる世界を創ることだった。

「楽園への道」バルガス=リョサ

 

久しぶりに500ページの本を読んだ。しかも小説。主人公は、ゴーギャンとその祖母フローラ。二人は面識はなく、フローラはゴーギャンが生まれる4年前に亡くなっている。あまりにこの物語に共感したので、メモを記録しておく。

先にフローラから。彼女は社会活動家。まだ女性が夫の所有物だった頃、1800年代。女性の地位向上を訴えながら、労働者たちの暮らしの向上にも取り組んだ。フローラはその使命に取り憑かれていた。マルクスの「共産党宣言」よりも4年も早い1843年に「労働者連合」という本を出版している。シャルル・フーリエが登場する場面があって、20代のとき「四運動の理論」を頑張って読んだのを思い出した。自分は社会やこの世界を本を読んで理解しようとしていたけれど、それは現実の社会と酷くかけ離れていて当時は何の役にも立ってないようだった。そんな読書もこうやって巡り巡って、人生に学びと発見を与えてくれている。

ゴーギャンは、36歳まで株式取引きの仕事をしていた。その傍ら趣味で絵を描いていた。絵を描くのも同僚に誘われて、ほんの遊びのつもりだった。ところが、すっかり取り憑かれて、絵の世界を追求して、タヒチまで行ってしまった。何もかもを捨てて。

ゴーギャンが目指したのは西欧社会が失ってしまった原始的な人間の根源を表現することだった。だから未開社会と呼ばれるような環境に暮らしてモチーフを求めた。

ゴーギャンは、タヒチに行くより前にゴッホのアトリエに誘われて共同生活をした時期が2ヶ月だけあった。結局、上手くいかず、ゴーギャンは出て行くことになり、その時のトラブルで、ゴッホは耳を切って、病院に入ってしまう。それが原因で自殺してしまう。そのあとゴッホは伝説となった。作品は高額に跳ね上がった。

ゴーギャンはそんな経験をしても、自分の芸術を追求した。いや、その経験が背中を押したのかもしれない。

「楽園への道」を読んで感じた。これはフィクションだろうけれど、ゴーギャンは、理想の芸術的な環境を求めたのではないか。作品として絵に現すだけでなく現実にしたかったのでは。ゴーギャンは「愉しみの家」というアトリエ住居を作っている。家をつくることは、環境を自ら創造したいことの表れだと思う。

ゴーギャンが目指した処が、自分がしようとしていることと至るところ重なって、希望と勇気を貰った。とても意義深い読書になった。何より、未だ存在しない表現を求めて突き進んでいく、フローラとゴーギャンの姿は、凄まじいく激しい。はじまりは、ほとんど理解者なんていなかっただろう。それでも信じる道を進んだ。生前には二人とも手応えはなかったんじゃないだろうか。それでも、いまぼくがこうして影響を受けるほど、歴史に名を残している。

 

ぼくは、生活の中に芸術を追求している。この生活という当たり前のことが大切にされたとき社会は変わると信じている。ひとりひとりが、その暮らしを作るようになれば、もっと楽しく豊かになる。その生活とは、ゴーギャンタヒチのように遠くに行くのでも探しに行くのでもなく、ぼくたちは日々の暮らしの中に既にその美しさを持っている。それは単に忘れられて失われていっているだけだ。しかし、それがどれほど恐ろしいことか。大切なモノ、美しいモノが見えなくなって、必要のないモノのように消されていくこと。大地とか。海とか、水や草木。または空気。暗い夜。

それを単なる絵空事や不満として言葉にするのではなく、ぼくは現実に理想の生活空間を作った。コロナで実現できていないけれど、創作に没頭できるこの環境を表現者たちに開放するつもりだった。

ここには現実とは違う、もうひとつの理想世界がある。ぼくはそれを創りそこに生きている。コツコツと準備している。来る時のために。今書いている本のタイトルは「廃墟と荒地の楽園」。このタイトルで良いと思えたし、この道を引き続き、進むことにした。

そして妻チフミに「やっぱり未だ存在していないことや知らないことが好きみたいなんだ。だから、また世界中の田舎を巡る旅をしたいな。きっとそこには、人間が原点回帰するような生きるための芸術が息づいていると思う。だからお金を作って旅をする準備をしておこう」と話した。