いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

書くことは大地を耕すような作業。種を蒔くこと。

朝4時半に起きた。釣りに行く予定だったけれど雨が降っていた。本を書くのが止まらなくなったので、そのまま始めた。たぶん本の書き方もひとの数だけあって、ぼくの場合は、浮かんでくるものを書いて、溜まったものを並べて、どんどん余計なものを削ぎ落していく。三島由紀夫は、書いた文章がそのまま原稿になるとどこかで読んだことがある。そんな伝説のようには現実はいかない。本が好きだから、文章が溜まると冊子にしてレイアウトする。そうすると、必要な言葉が見えてくる。

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本を書いて、このブログの存在意義を想い出した。ここはタイトルの通り「生きるための芸術の記録」だった。日々起こる些細なことを言葉に起こす。それは大地を耕すような作業だ。書いた文章のどこかが、やがて本の一部になる。つまり蒔いた種が芽を出して実となる。

本を書いたおかげで自分のしていることが明確になった。いまは荒地を再生している。荒地と庭の中間点をつくろうとしている。気になっていたジル・クレマンの「動いている庭」が図書館にあったので借りてきた。読んで驚いた。荒地を庭にする本だった。植物が育つままに庭をつくると、種が飛んで予定外のところに生えてくる。庭をつくるのが目的ならその草を生かす。そうやって庭の方がカタチを変えていく。それが「動いている庭」というタイトルの由来だった。

文章を書くこと。生活をつくること。作品をつくること。伝えること。これらが循環して表現は続いていく。