いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

毎日を生きている。それだけで素晴らしい。

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本を書いている。コロナウィルスの影響で、都内の生活は混乱しているらしい。妻チフミは、甥っ子と姪っ子の面倒を見に行った。不在の隙に独りでしかできない仕事をしている。

 

本を書くのは、自分と向き合う作業。自分という容れ物は鍛えないと、負荷を与えないと強くならない。筋肉とか習慣とか。個人としては強くありたいけれど、社会は弱さを包み守るものであるべきだと思う。文章を書くことは自分の一部で、思考と行動を記録して俯瞰しておかないと落ち着かない。そうしないと何をしているのか忘れてしまう。社会と対峙して抗いながら生きるという手段を忘れてしまう。

 

書いている本は、自分がしてきたことをまとめている。日常の積み重ね。そこに書いた言葉が作品のスケッチになる。そのときの気持ちはその瞬間にしかない。

例えば、何もない1日も、何もないと思っているだけの1日であって、そういう日こそがもっとも平和な1日だったりする。

 

井戸を使わせてもらえることになった。廃墟を再生してそこに暮らすには水が必要で、かなり重要な課題だった。それがクリアできてないのに、そこに暮そうとすることが生活をつくること。その地平を切り拓くことで、貨幣経済圏に収まりきらないライフスタイルをつくることができる。近所の方が井戸のポンプが壊れているので、買い換えてくれるなら使っていいという条件を出してくれた。

 

2020年3月23日。世界はコロナウィルスで混乱している。イタリアやアメリカ、ドイツなどは、都市を封鎖して、市民活動を制限しているという。東京オリンピックも中止との話題も聞こえてくる。

そんな状況だけれど、いまのところ北茨城市に開いた自分の生活にはそれほどの影響がない。でも世界の状況を見れば、時間の問題なのだろうか。

 

個展も終わり、北茨城市で地域おこし協力隊としての芸術活動も終わろうとしている、このタイミングで、チフミが「これからどうなっていくの?」と聞いてきた。

自分の理想とする生活の基盤は出来つつあって、何より拠点とする場所が決まっているからコツコツと作っていけばいい。家賃も土地代もゼロになった。あと廃墟だったD-HOUSEの改修作業が残っているからそれを完成させたい。あと畑はやっておきたい。たぶん「生活をつくりアート作品をつくる」この活動が表裏一体で続けていくことなんだと思う。動物的な人間活動している。それから、やっぱり世界に自分のアートを発信しておきたい。

コロナウィルスのようなどうにもならない社会的な問題が起きたとき、広げたり大きくすることよりも、目の前の小さな事に向き合うことの大切さを痛感する。いまは世界にどうこう騒いでも世の中の喧騒にかき消されてしまう。そういう状況になってこそ社会の実情が明らかになる。いま君が見ている社会はどんな社会だろうか。

 

生活芸術というコンセプトは、普遍的な思想だと信じている。まだ実践と言葉が足りていないだけで、とても重要なことだと思う。勘違いでも、そのまま死ねれば傑作だろうから、積み重ねていくしかない。

何も成し遂げていない。けれども毎日を生きている。それだけで、人間は素晴らしく何かを成し遂げている。それを伝えるためにぼくはこれを書いている。