いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 88

繰り返す毎日のなかで、何か考えたことや頭に浮かんだこと、行動したこと、誰かと話したこと、読んだり見たりしたことを、ここに記録している。

1日の基本は創作活動にある。生活すべての最優先事項が作品をつくること。10年くらい前に、どうしたら作品を作って生きていけるのか、ネットで調べたときにそう書いてあったのでそれを信じている。

受注があってつくるなら、それは確実な仕事になっているけれど、頼まれてなくてもつくる作品は、未だ仕事にはなっていない。お金になるかも分からない。イメージを取り出して明日へと先送りするような、希望への投資であり未来への配達だと思う。可能性の貯蓄。

1日の基本を創作活動最優先にするとしても、これに取り組める状況をつくるのが難しい。理想を描くことはできても実行するのはまた別の努力が必要だ。どうしたって予定を組んでしまう。頼まれている作品があれば、それをつくるし、それ以外にも、いくつか文章やデザインの仕事らしきこともしているし、畑をやったり釣りをしたりサーフィンをしたりの遊びもあるし、英語を勉強したり、やりたいことはいっぱいある訳で、社会のなかで生きるとは、人との繋がりのなかにあるから、人に会わない訳にもいかない。だから、頼まれもしない作品ばかりをつくってもいられないと考えてしまう。お金にならないことをしていると不安になってくる。けれども、お金にもならなくて頼まれたのでもなくて、評価されないことに没頭できるなら、生涯続けることができる。むしろ、そういう状況に自分を置けるとき、欲望のバランスを具合良くコントロールできている証拠でもある。あまりにも、いらない物事に振り回され過ぎなのだ。

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1日にできることは、とても小さくて、それでも踏み出す一歩がなければ、先には進まなくて、大きなことをやろうとしても、やっぱり、それもコツコツと続けていくしかない。自分をコントロールするスイッチみたいなものがあって自分の場合は「走ること」と「筋トレ」がそれだったりする。走るとき、諦める気持ちがすぐに現れる。走ると決めた自分とは違う気持ちがやってくる。そいつの話しに耳を貸さずに走り続ける。腹筋をしてると「もう無理だ!」とか「意味ないからやめておけ」と声がする。その声を黙殺して、やると決めたことをやる。それができれば、欲望をコントロールして、必要なものと必要ではないものを見分けることができる。

 

図書館で借りてきたヘミングウェイの「老人と海」を読んだ。数時間で読める短編で1954年にノーベル文学賞を獲っている。ヘミングウェイのキャリアの最期にあたる作品で、構想から完成まで20年にも及んだらしい。

 

ネットで拾い読みした記事にあった

ー成功は、遂行された計画ではない、何かが熟して身を結ぶことだ、其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならないものがある、何かが熟して生まれて来なければ、人間は何も生む事はないー

小林秀雄「還暦」

 

という文章がスッと入ってきた。

「つくる」ということは、何て豊かなことなんだろうか、と思う。「つくる」ときには、それ以外何も必要ない。材料や素材は、これまでの経験が蓄積されているから、改めて用意する必要もない。もちろん、これは妻のチフミと一緒に制作して、主にチフミが環境をつくってきてくれた恩恵でもある。そういう環境を整えてきたから、創作に没頭できる。

「つくる」ときは自分以外運動するものはなくて、そこらに横たわって転がっているものを拾い上げては、色やカタチや頭の中のイメージを組み合わせ、未だなかったカタチをみつける。これが何かとか、意味とかもなく、単純に心地よいカタチ、それを探している。

小さな作品だし意味はないかもしれないけれど「生きるための芸術」という果実が熟すための養分になっている。誰に頼まれなくても1円にもならなくても没頭できることは、死ぬまで続けられる。評価や成功なんて目標としては小さい。それじゃ果実ひとつにしか過ぎない。

簡単なことこそ難しくて、シンプルになるほど道は険しくなる。はじめに「繰り返す毎日」と書いたけれど、丁寧に言い直せば、毎日は違う。同じ日なんて1日もない。生まれてから死ぬまで、生きた時間は増えて、生きられる時間は減る。そんな1日にも役割がある。期が熟すまで、ぼくらは日々をつくることができる。One of thesedaysは、1日の断片を拾い集めて、つくるコラージュみたいなエッセーだ。

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檻之汰鷲(おりのたわし)
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