いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 51

「石渡さんにとってアートって何ですか?」
と聞かれ

「生きるための手段」
と、とっさに言葉が出た。

「それってどういうことですか」

「生きるために芸術があるってことです」

「生きると芸術がどうしたら結び付くんですか?具体的に言うと、どういうことですか」

「そうだよね。芸術と生きるって無関係のようだけど、ほんとうは至るところに芸術があって。特に自然のなかで人間が生きてきた技術は、まさに現代に必要なアートだと思うんだ」

「なるほど。そういうことですね」

 

まだまだシンプルじゃない。伝わらない。会話するとよく分かる。

ぼくは森のなかで開催された音楽フェスにいて、まるで20代のころのような仕事をした。スピーカーを運んで、マイクを設置して。最近知り合ったのに20代のころからの知り合いのような音楽家信泉くんが、音をオペレーションしている。

ステージでは、ビートルズのジョンとポールとジョージとリンゴの役割を完璧に演じるバンドが演奏している。f:id:norioishiwata:20180522123745j:plain

ここは小木津山という茨城県の北側、自然豊かな公園。

 

お昼過ぎには、子供たちがダンスを踊る。総勢100人くらいが代わる代わると。子供なのに大人のような顔をして、リズムに合わせて踊る。みんな目の前のことに夢中で楽しんでいる。天気は快晴。主催者の海老沢くんは、忙しく走り回りながら、たまに声を掛けてくれる。

 

小木津山という地区で開催されたこのイベントは2000人近くを集客する。ステージや食事やアクティビティを楽しむ。11時から16時まで。無理のない範囲で、みんなが楽しむ。簡単なようで難しいこと。大きいことがよい訳でもない。小さくても、できることをチカラいっぱいやる。

ぼくは、今日チカラいっぱいやらなかった。仕事をした日なのに。むしろ、絵を描いている日々の方がチカラが入っている。

帰りの電車。夕日に照らされる田園風景をみながら、田んぼって美しいと思った。人が自然を最大限に利用して、お米をつくる。大地を改良して水を張って食べ物をつくる。これこそ、生きるための芸術だと思った。けれど「田んぼが芸術だ」と言ってもきっと理解されない。でも次は、そう答えてみよう。

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