いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 50

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山に入った。アトリエをつくった北茨城市の揚枝方は、山に囲まれいる。山といっても名前もない小さな山で、そこには、杉が植えられている。日本の田舎、至るところに杉が植えられている。

アトリエに改修した古民家が実家だった有賀さんが教えてくれたことによれば、戦前から戦中に大量に木材が消費され、国の政策で大規模な植林政策が進められた。有賀さんも子供のころ、杉の苗を背負って山に入って木を植えた。小さな苗は一度に何本も運べる。その木は成長したけれど、今では、国内の木の需要は激減して、商売にならなくなって、どこの山も森も手を入れていない。大きくなった木を切り倒して運ぶのも容易ではない。

森の生態系は、周りの田んぼや畑に影響を与える。海にも繋がっている。

有賀さんは、揚枝方から見える山のことを教えてくれた。有賀さんが子供の頃は、山が遊び場で、水晶が採れる山や、かつては金を採掘した金山(かなやま)と呼ばれる山もあった。

今日、入った山は、水晶の採れる山だ。山への入り口は、よく分からないので、とにかく登ってみた。木の間を歩きながら、少し奥へ入ると、道があった。けもの道だ。人間は、けもの道を使って移動したと本で読んだことがある。けもの道を踏み固めていくうちに、道ができる。

けもの道を歩いていくうちに、もっとはっきりした道になった。その道は、どこかへ続いている。かつては、ヒトがこの山に入って活動していた痕跡。その道を進むと、杉はなくなって、全体が緑に包まれた。植林されていない森になった。

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どこか遠くでも、高くなくても、特別でなくても、暮らしの延長線にみつけたこの道は、続いている。そんな身近な道でも、人が歩いてないから、どこへ続くのか分からないから、険しい。近いのに遠い。

森に魅力を感じている。何かしたいと思う。ぼくの森や山ではないから、持ち主のヒトに了解を得て、森を変えてみたいと思う。できることは、混み合っている森の木を間伐して、光が入るようにする。間伐した木を木材とし利用する。ぼくは、この材で作品をつくりたい。もしかしたら小屋もつくれると思う。

ぼくが考える「生活芸術」とは、かつて人間が自然と共に暮らしてきたやり方をいまのやり方で再現して、その道を踏み固めること。そうすれば、それはやがて道になる。道があれば、人間はそこをまた進めるようになる。生活のルネッサンス(復興)。

ピカソは言う。
「思いつかなければできない。けれども、思いついたことはできる」

お金が理由でやらないのであれば、お金をつくればいい。ぼくは、生活を芸術にする活動のためにアート作品をつくる。