いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of these days 31

4月29日
日曜日
晴れ。

 

朝5時起きる。今日でプロビンスタウンを発つ。歩いて1時間バス停に向かう。マークレディンがチフミの荷物を運んでくれる。旅の終わり、仲間との別れに涙した。

出発予定時刻になってもバスが動かない。運転手が現れない。ほかの乗客の話しによるとキャンセルらしい。ありえない。タクシーで途中のハイアニスまで行けるとマークレディンが助言をくれる。赤い髪の女の子がシェアして行こうとタクシーを呼んでくれる。急遽18000円の出費。シェアしたから12000円くらいか。無事、ハイアニスでバスを乗り換え、ボストンへ向かう。

ボストンのホテルに荷物を預けて、ボストン美術館へ。今回の旅の目的のひとつ。北茨城と所縁ある岡倉天心が、かつてボストン美術館で日本美術品の収集を担っていた。いまから100年も前のこと。ボストン美術館には、博物館さながらの古今東西の収集品が並ぶ。迷路のような回廊を歩いて、世界の美術品を彷徨う。

そのうちに、古いものより新しい絵画作品を観たいと思う自分に気がついた。現代アートを鑑賞したい。技術だけでは到達できない閃き、新しいフォルムの発明。それが現代アートにある。驚きと発見。当たり前という現象の向こう側。それを見たい。

例えば、マークロスコの展示があった。マルチフォームというコンセプトをみつけ追求する姿か作品から伝わってくる。その痕跡を読み解くのも展示の楽しみ方のひとつ。

 

マークレディンが本を出すことを話していた。作品カタログではなく、作家のすべてが詰まった本。自分で書くのではなく、作家や編集者に書いてもらう。別の角度から照射されることで、対象は立体化する。アートは作品だけで成り立つのではなく、鑑賞者、評論家の言説、歴史が重なって、アート作品として成長し、完成していく。作品をつくっただけではまだ完成までの10%の道のりしか歩んでいない。

足が痛くなるほど歩き回ったので、旅の目的のひとつ、岡倉天心のつくった庭を見るために外へ出た。天心園。残念なことに、この庭は天心によるものではなかった。天心の功績を称えた日本のテレビ局が出資してつくられた庭園だった。悪いものではないけれど、100年前に、このボストンで天心が自然と人間を繋ぐ庭を表現しているなら、それがどんなもか見たかった。天心がつくったかもしれない庭。勝手な妄想は作品の種になる。幻の庭を今年、作品にしよう。

夕方、美術館を出て、スーパーで買い物をしてホテルに戻る。ビールを飲みながらアメリカのテレビを観る。裸の男女がジャングルでサバイバル無茶苦茶な番組。女性は全身日焼けで火傷して足は虫に喰われ腫れあがり、男は発熱してリタイヤし病院に搬送される。日本では考えられない番組だった。

食事をしようと夜8時ころ、街に出たらどこも閉店。灯を求めて歩いたら、セブンイレブンに遭遇した。コンビニエンス・ストアがない場所が美しいまちだと思う。便利は美しくない。

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