いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ハンバーガーを求めて森を彷徨う

f:id:norioishiwata:20180116231319j:plain東京へ行ったときのこと。考える。何がしたいのか。今日はバンドのリハーサルで東京に来た。ついでに髪の毛を切るために、原宿の美容室calmに来た。原宿駅を降りて、緩んだメガネを直そうとzoffに寄った。広告が目に付いた。"boston"。そうだバルセロナの友達から春にボストンのアートイベントに誘われていたんだ。手に取って掛けてみると、具合がよいから買うことにした。モノは突然壊れる。メガネは2つ持っていた方がいい。

ハンバーガーが食べたいと思って街を歩いたけれど、原宿にはハンバーガーショップが見当たらない。あるけれど、ひとつ1000円もする。ポテトも食べたいし、コーヒーも飲みたいし、全部注文したら2000円近くなるランチ。それって、どうなんだろう。街を歩けば欲しいモノが並んでいる。みんなが欲しくなるように仕組まれている。街を歩けば、広告の森に迷い込む。ぼくらは、欲しいモノを買うために働くのだろうか。

よくよく考えて「やっぱりこれだ!」ということなら、きっとそれは必要なんだと思う。服でもCDでもゲームでも靴でも娯楽や情報だとしても。モノを買う行為は、生産者を支える。世の中は循環している。

ぼくが原宿で髪の毛を切るのは、長年お世話になったお店があるから。zoffでメガネを買うのは、以前、代理店業をやらしてもらった縁があるから。もしも、自分と繋がりのあるところにお金を払って生きていくことができれば、世の中もっと楽しくなると思う。つまり、毎日顔合わせ、挨拶するもの同士で、経済活動できれば、顔の見える範囲のひとたちがハッピーになるだろう。

だから、循環という意味では、ぼくがファストフードでハンバーガーを食べるのは、身の回りをひとをハッピーにしていない。またぼくは、どんな材料で、誰がどのようにつくっているのか、そのハンバーガーがつくられるまでに犠牲になっている人はいないだろうか、心配になる。関わる人みんながハッピーだろうか。そんな風に考えてみるのも経済活動だ。おカネを増やすばかりが経済ではない。

f:id:norioishiwata:20180116231928j:plainぼくは北茨城に暮らしている。ここは山や森や海や田んぼ、畑が広がっている。そんな環境で、ぼくは作品をつくるという欲求を満たそうと、素材やアイデアをその環境の中に探している。街でハンバーガーを探すのと、同じ行動なのだけれど、2つの点で大きく異なる。

街にあるものは、ほとんどが商品か広告なので無断で、使用したり持ち出せば犯罪になる。イメージひとつにも著作権がある。自然は、無償で与えてくれる。(もちろん所有者はいるので取り放題ではない)自然は、とてもシンプルで、例えば、木は、そこに自然(じねん)している。そのことで犠牲になる人はいない。いや木が存在することで犠牲になる人もいるのか? むしろ、人間が自然に興味を持たなくなり、木が生存できない環境にしてしまえば、人類全体も存在しなくなる。ハンバーガーと森の木。ぼくたちが生きるためにどちらが必要なんだろうか。

英語の"nature"という言葉が輸入されるまで、日本には、いまの自然(しぜん)という概念はなかった。その前は、それぞれが、そこに自ら在る、自然(じねん)という概念だった。たぶん、人間と自然に区別がなかったのだと思う。人間も自然の一部だったのだ。なぜなら、木のように、自らそこに在る存在だった。

ぼくは「生きること」と「芸術」を直結させたい。いろいろやってきたけど、どうやら、これが好きらしい。つまり、ぼくにとって「人生」こそが、面白くワクワクして興奮が止まらない対象だと分かってきた。人間が生きるという訳の分からない現象を愛しているんだと思う。もし、芸術が生きることと無関係なら、人類にとっての想像と創造は何だったのか。「生きる」はなかなか、それ自体が目的にならず、さまざまなところに、付随してしまう。国家や家族や宗教、労働や会社やおカネ。それらすべては、人間が生きるために便宜上発明された制度のはずだ。恐らくすべては支配管理のためにつくられた。国家は国民を幸せにするためには機能していない。国家を運営するために機能している。経済は、人を幸せにするためには循環していない。経済というバケモノを肥大化させるシステムだ。ぼくたちは、いとも簡単にモノに隷属してしまう。インターネットが発達すれば、インターネットを利用して快適に生きるのではなく、インターネットに働かされてしまう。人は、うっかりすると経済のために、家のために、国家のために、信仰のために、生きてしまう。けれども、それが人間なのかもしれない。何かのために生きる動物なのかもしれない。だとするなら、何のために生きるのか、よくよく考えて、答えを出しみたい。もちろん、答えなんてないから、この道をぐるぐる回って生きるんだと思う。

ハンバーガーを食べなかったぼくは、小さな喫茶店でパスタを食べて、食後のコーヒーを飲みながら、こんなことを考えた。

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生活芸術家
コラージュアーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)

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