いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

どんなに技術が進歩しても「もうこれでいい。充分ということはない」

f:id:norioishiwata:20171123003156j:plainNightmares on waxの新曲MVに刺激を受けて、映像作品を作りたくなった。「Back to nature」と題された作品は、コラージュの映像版で、人類が文明化していく様子を、洗練されセンスで編集し、観る人を太古から現代まで旅に連れていく。

ぼくは、いつも勘違いしている。映像作品なんかほとんど作ったことないのに、やれると思ってしまう。まずは、映像に詳しい友人に質問した。

Nightmares on waxの新しいMVみたいな映像作品をつくりたいんだけど、できるかな?」
「あ!あれね!最高だよね。難しくないと思うよ。今度、東京に来るとき連絡してよ」
と言ってくれたので、さっそくバスを予約して北茨城から東京へ。

友人のオフィスがある恵比寿で雑談をしながら、映像のつくり方を教えてもらった。

「実は、もう技術はいらないんだよ。AIはどんどん発達してて、センスだけあれば、やれる時代になっているんだ。」
「もうadobeの映像編集ソフトだって月6000円でつかえるから。」
「むしろ、何をつくるのかイメージして、それをカタチにする。その作業の方が重要だから、映像を編集するというよりは、コラージュで平面作品をつくって、それを場面にして構成していけば、できるよ。」

友人は、岡村靖幸さんや、コーネリアスの映像を手掛ける村尾くん。村尾くんは、なんでもぼくより知っている知恵袋のような存在。

f:id:norioishiwata:20171123004320j:plain夢だった映像作品は、根気とセンスでつくれると結論して、一段落。どころで、これからの時代を生き延びるに必須なセンスとは何ぞや、の話しになった。技術的なところはAIが処理してくれるなら、一体どこに表現の差が生まれるのか。

第一線で活躍するアーティストと仕事をしている村尾くんが話してくれたのは、一流と呼ばれる人たちの飽くなき追求する姿勢だった。

例えば、つい先日、日本でライブを披露したBECKは、楽屋にスタジオをつくり、ライブ前に何時間も演奏して、ステージに立った。もっとも練習するバンドとして知られるメタリカは、会場にステージと同じリハーサル用のステージをつくり、ライブ前に何時間も演奏して、その後クールダウンしてからライブをやる。
Red Hot Chili Peppersも、セレブなパーティーやイベントで騒ぐよりもスタジオに入って曲をつくるのが、最高に楽しい、とインタビューで語っていた。

村尾くんが仕事をする日本の音楽家たちも、毎日スタジオに入って制作に取り組んでいるそうだ。ライブが終われば、映像をみて、何が間違っていたか確認する。何故その間違えが起きたのか検証する。そうやって、果てしない追求を続けている。

どんなに技術が進歩しても、
「もうこれでいい。充分ということはない」

f:id:norioishiwata:20171123004757j:plain表現を追求するとは、アスリートなのだと気がついた。諦めないこと。いや、むしろ、ゴールなんてなくて、葛飾北斎が百何十歳まで生きれば「絵が生きる」と言ったような境地。表現は競うものではなく、ひたすら磨くこと。まさに生きる芸術という意味を教えてもらった。まだまだ、やれるどころじゃない。死ぬまでやれる。それが生きるということだ。