いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

砂つぶの1日

f:id:norioishiwata:20170415190039j:plain土曜日も日曜日も休日ではなく、月曜日から金曜日も平日でもなく、毎日は等しく人生の一部だ。日曜日の夜は、月曜日の前日ではなく、それぞれの一日は、それぞれ独立した今日。ベンジャミン・フランクリンは、「one today is worth two tomorrow. 今日は、明日2日分の価値がある。」という言葉を残している。また、イスラームでは、世界を砂漠に例え、ひとりひとり人間はそれぞれ独立した砂つぶだと説く。ぼくも君も誰もかも、同じ人間でありながら、それぞれ独立した個人だ。

 石渡さんはどんな活動をしていますか?
と聞かれ「生活芸術家です」
と最近、答えるようになり
「へー生活芸術ですか。スゴイですね。流石です。わたしには、生活を芸術になんてできません。」と言われたりする。

 使われない空き家に暮らして、不便を楽しんでいると「芸術家はスゴイですね。」と言われたりする。

だけど、ぼくには何も特別な技術も知識もない。やれば誰でもできることをやっているだけだ。

f:id:norioishiwata:20170415190125j:plain昨日は、朝から神奈川県の藤野の農家をやる油井くんの畑に茅葺き屋根の材料、ススキを頂きにいった。茅という植物はなく、身の回りの草で屋根をつくった総称が茅葺き屋根という。これは雑草と同じで、ほんとうは、それぞれに名前と個性がある。
 油井くんの畑をユンボというあだ名の友人がユンボで開墾して道をつくっていた。油井くんは掘り返される土の匂いを嗅いだりして、その横で、ぼくとチフミは、せっせとススキを集めて束ねていた。たくさんの一日があるなかの何億分の一の景色のなかで。

油井くんがユンボくんに茅葺き屋根の小屋を恵比寿に建てるんだ、と話してくれ「茅葺き屋根といっても立派なものはつくれないけど。」とぼくが言うと「そうだよ。いま残っている茅葺き屋根は、お金持ちの立派な屋根ばかりだから。いまはないけどたくさんの粗末な茅葺き屋根の家がたくさんあったんだから、それでいいよ。」と賛同してくれた。
 「家は雨風がしのげればいいよね。」と油井くんが笑って言った。

話しているのはたのしかったけど、ススキを集める作業の大変なこと。刈って山積みになったススキから使えそうな箇所を集めて束ね、不要な箇所を取り除く。ひとつの束をつくるのにどれくらいの時間を要するのか。考えるのも嫌なので、無心になって作業した。

f:id:norioishiwata:20170415190207j:plain自然にあるモノは、誰にでも提供されるフリー素材だが、それを使えるモノに仕立てる作業は重労働。インターネットでやり方を調べれば、大抵のことは書いてある。でもやってみると簡単なことなんてない。やる度に驚かされる。まるで登山のようで、コツコツと一歩ずつ進むしかない。最初は慣れなくてもやっているうちに、シンドイからこそ、効率化を図って次第に上達してくる。

森に倒れている丸太を柱にしようと、岐阜から東京の恵比寿まで運んで、鑿と玄翁で削ってみると、自然の木を柱にする難しさ。直線なんてないから、基準がみつからない。チフミと議論しながら、柱に仕立てていく。トライ&エラーを繰り返して、技術をアップデートしていく。それは人類の進化を追跡する遊びでもある。専門家に教われば、その通りにできることを勘違いと思い込みで組み立てていく。このエラーにぼくは、アートの語源でもあるアルス(技術)を感じる。そのエラーを自分の技にしたとき、オリジナルが誕生する。失敗は成功に変わる。価値が転倒する瞬間だ。

f:id:norioishiwata:20170415190259j:plain役に立たないものも
役に立つし
役に立つものも
役に立たない
それ次第。

1日は砂つぶひとつに過ぎないが、そのひと粒のなかには、いろんな可能性が宇宙の如く広がっている。砂つぶはやがてダイヤモンドにもなる。