いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

自然、社会、人間のバランスについて。

朝目覚めると雨が降っていた。カヤックは車のうえだった。乗り口が上を向いているので、バケツのように水が溜まってしまう。慌てて、雨のなか車まで走り、カヌーを降ろした。幸い、雨は降り始めたばかりだった。

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朝4時。起きてしまったので、日記を書いている。自然と社会と人間の暮らしについてのグラフが浮んだ。縦軸は、自然と社会。横軸は、採取と貨幣。このバランスのどこに位置しているかで、現在のライフスタイルが把握できる。

自然採取したモノコトを貨幣社会に流通させること。このサイクルを成立させるのが今年の目標。絵を売るマーケットを開拓し起業を目指す。その形態は農業や漁業に近い。

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「これが仕事だからやるしかない。」昨日の夕方、チフミが言った。絵を描くことしかぼくら夫婦にはない。漁師が魚を捕るように。安乗に来て3点の絵をつくった。

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例えば昨日の朝、釣りをした。ひどく疲れていて、魚を捕る気力もなかった。途中で、チフミに交代してもらうと、針が海中の何かに引っ掛かってしまった。無理やり引くと、切れて針とオモリがなくなってしまった。

午後、引き続き、体調が優れないので座禅をした。体調不良は、運動のし過で、たまにダウンする。ふと思いつき、海に行ってみた。その日の海の水は澄んでいて、いままでとは違う表情だった。

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潜ってみると、海中までよく見渡せ、岩場には、たくさんの魚が泳いでいた。陸とは違う海の世界があった。海中に陽の光が差し込んでいて、それは、ちょうどチフミが描こうとしている世界だった。良い日も悪い日もない、単に今日を生きているだけ。

ぼくが望む生活は、自然採取もしくは社会採取を中心に活動して、それらを貨幣社会で換金すること。自然採取とは、想像したアートを創作すること。社会採取とは、ゴミや廃材、空き家などの貨幣価値を失ったモノコトを利用すること。これはぼくの場合で、人それぞれのモノコトで当てはまる内容がありえるだろう。
ここに「自然貨幣」という新しいコンセプトを発見した。自然のなかで貨幣を生み出すことだとすれば、スポーツアクティビティが閃いた。スキューバダイビングやボルダリングカヤックやボートなど、レッスン料を設定するサービスだ。

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9月3日に岐阜県中津川市の古民家で開催するキャンプ場づくりのイベントは、気がつけば、これこそまさに自然貨幣な企画。次は、その話をしたい。