いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

You can make it if really you want /World is yours

「携帯電話を見過ぎるから集中力がない」とチフミに言われた。腹が立って「そんなこと関係ないし集中力は充分ある。」と言い返した。

それが2日前のこと。腹が立ったので携帯電話を見ないことにした。することは作品をつくることだけ。

f:id:norioishiwata:20160710123743j:plain

そうやって取り組んでみれば確かに集中力を欠いていた。それどころか頭の中にネット経由で得た情報が気づかないうちにインストールされている。つまりニューヨークにいるのに半分以上はインターネットの世界にいることになる。

この2日間朝から晩までほんとうに制作に没頭して自分的にも新しい抽象表現ができた。「絵は楽しいもの」その純粋さを保つには精神的な純粋さが必要なのかもしれない。

作品をつくりなが考えたのは、ニューヨークが居心地が良いこと。つまり日本人である自分はアメリカの影響を受けて育ってきたという事実。また他民族国家であるアメリカは皆が余所者。ほとんどの人種が何処からやってきた。カフカのアメリカだ。思い出した。
ニューヨークのギャラリーを周って見た作品は刺激的だった。創作に没頭して近づきたいと願った。その甲斐あってチフミの言葉のおかげで制作は次のステージにレベルアップした。
f:id:norioishiwata:20160710065351j:plain

先の展望も見えてきた。これから日本は不景気と不穏な空気が漂う時代に突入するだろう。既にインターネットでは参院選を巡り争いが始まっている。ぼくは政治が解決策ではないと考えている。人間が人間であることを忘れつつあることが根底にある。日本の問題は宗教がないことだ。なぜなら依るべきところがないからフラフラしてしまう。お金しか信用できなくなる。愛を言葉にできなくなる。だからと言って宗教を主張するつもりもない。

さらにこれから「生きること」忘れられていく。だからこそ生きる芸術であり、一回転して「生きる技術」をテーマにしたくなった。ぼくが中学生や高校生だった頃、音楽から生き方を学んだ。目の前に手本は見当たらなかった。

宗教がないから依るべきところがなく、結局の信じるところは自分だった。浅野忠信がハードコアバンドで歌っていた。ラッパーのNasが「world is yours」と歌っていた。「You can make it if realy you want」とJimmy Criffが歌っていた。

スーフィズムの真義は己を信仰すること、と何かの本で読んだ。こうして日記を書くのも己の声を聞き、過ごした時間を俯瞰するためのシステム。これはスーフィズムをオートマティックに実践する技術だ。

こうやって書き続けてきた日記も、いくつかのWEBマガジンでの連載も、書くことの特訓になった。
次のステージが見えてきた。「生きる技術」というタイトルの本を企画しよう。5~6人のオリジナリティ高い仕事の仕方をしている人のインタビュー。目的は10代後半から20代に届けること。マーケット的にも裾野が広い。

ニューヨークで過ごしながら次第に東京での展開が浮んできた。空き家で展開した方法で都内の空きビルにリーチしたい。

空きビルの一室をギャラリーにしてイベントを開催する。開催は土日の2日間。空きビルの部屋を告知するコンテンツとして低価格もしくは無料で借りる。電気はソーラーパネルで賄う。その電力の部分を友人の会社に依頼する。飲料はメーカーに物品提供してもらう。すべてを無料で実現するミラクルを考案したい。協賛イベントとして企業から予算を貰うのがベスト。それでウィン&ウィンの図式をつくりたい。

夏は三重県志摩の安乗で過ごしたい。2週間。家賃1万円。漁師の取材をしながら、海の漂着物で野外作品をつくりたい。「生きる技術」の連載企画をどこかのweb magazineに持ち込む。同時に森さんに出版の相談をする。そんな計画が制作しながら浮かんできた。