いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

雑草は自然を回復する大地のシステム

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雑草に興味を持ったので調べてみた。wikipediaによると
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雑草(ざっそう)とは、人間の生活範囲に人間の意図にかかわらず自然に繁殖する植物のことである。
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雑草は人間が自然を開拓して、自らの生活環境に適した空間に改造した箇所に自生する。逆に言えば、自然地には生えないらしい。

とても興味深い現象だ。
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環境に共通する特徴は、きわめて人為的撹乱を激しく受ける場所だということである。運動場や道路脇では、まず、強い日照、水不足、土壌の少なさと乏しい肥料分、埃や煤煙、それに踏みつけがあり、その上に少なくとも数か月ごとに草刈りが行われる。畑や庭園では、水や土壌などの点では植物の生活に適しているが、土壌は定期的に撹拌され、草刈りなどの手入れはもっと頻繁に行われる。したがって、このような環境で生活を営み続けられるのは、その生活に強く適応した植物であり、雑草の多くは、人家周辺でのみ生活しているものである。このような植物は自然の保存された山野では見られず、人がそこに例えば道をつけると、そこに出現する。
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その特殊な能力は以外の通り。

・踏付けに対する耐性
・強い繁殖力
・ひと世代の時間や成長に融通が利く
・休眠に適する構造

なぜ、雑草は人間の生活圏に生えようとするのか。
今住んでいる家には庭があり、訪れる人皆が雑草を根絶やしにしろ、除草剤を使え、とアドバイスをくれる。
最初は、そうするのが当たり前だと思っていたが、近くのお寺、吉祥寺の庭のつくり方に出会い考え方が変わった。雑草も生きている。だから無駄に取ってはいけない。むしろ、最低限だけ手入れをすればいい。その庭の姿から自然を感じた。

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調べてみれば、雑草は自然を取り戻すために大地が育んでいるという。雑草たちはリレーするように種子を撒き散らし大地に多様性を持たせようとしている。雑草は次から次へとバトンタッチして生態系豊かな大地にし、やがて樹々が育つ。それが森林になる。

知らなければ、刈り取り根絶やしにしたい雑草。ところが、それは自然を取り戻すためのメカニズムだという。

つまり空き家が朽ちて草に覆われていくのは、やがて自然に還っていく過程。それを知った今、生きる技術の師匠、雑草たちから学ぶことがたくさんありそうだ。

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家→空き家→雑草→森→木材
という循環を発見。