いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

「走る」は身体と思考のメンテナンス。気持ちが淘汰されて身体は搾られリフレッシュする。

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昨日は早起きをして、カヤックをやる場所を調査しに行った。車で30分ほどの馬飼大橋。木曽川がせき止められて湖のようになっている。ここで遊ぶには、カヤックを2人乗りに改造しなければならない。

嫁に明日カヤックを改造しよう、と言ったら「他にやる事あるでしょ」と。

そして翌日の今日、朝から改修した家の廃材を処理しに処分場へ。人は生産より消費で、世の中にゴミが溢れるばかり。一体、この世のゴミをどうやって消しているのか。見事なその場限りの魔法に誤魔化されている。

いま暮らしている空き家にはトイレがないので排泄にまで考えが及ぶ。どんな暮らし方が、人間にどってベストなんだろうか。

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やりたいことについて考えた。答えは簡単で自分に聞くだけ。
ぼくは言う「アーティストインレジデンスという作品がつくりたい。これまでの家に関する活動の発展型で、アーティストが滞在制作するミニマルハウス。移動型の展示もできる。制作は24時間で予算は3万円が理想。」

どう実現すればいいのか。

土地が必要だ。
心当たりがある。
デザインしよう。
サイズを決めよう。
時期を決めよう。

あとは嫁へのプレゼン。今日は体調が優れないようだったので夜にしよう。

友人のギャラリストが、バンクーバーでグループ展をするので、誘ってくれた。手持ちで行くらしく、ロールできる作品はないか、と聞かれた。
残念ながら、持ち合わせがない。むしろ、軽さを追求したことはなかった。身ひとつで作品を運び、売って貨幣にできれば、それは紙幣だ。記憶しておこう。作品の軽さについて。

社会にはどうでもいいニュースが溢れていて、うっかりすると毎日の浮かんでは消えていく閃きを、その中に落としてしまう。うっかりすると落としていることすら忘れている。生きている時間は、目の前にしか存在しない。夜は作品をつくろう。

夜になったら、ギャラリストの友人からオオカミを持っていくと返信があった。作品が海を越えて、楽しませてくれれば本望だ。オオカミはバンクーバーに行くらしい。

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只今20:30。ようやく制作が始まる今日。


夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/