いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

わたしたちの暮らしに革命を起こすプロジェクト。木造建築は強い。古い家は、豊かな暮らしをつくる

 

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愛知県津島市同世代でアート活動をする町家の大家さんと過ごした。いわば、友達のような関係になった。午前中に、相続問題の相談に司法書士事務所に一緒にいった。町家の大家さんは、家主の問題を共有するためにと、すべてをオープンにみせてくれた。相続問題は、ずっと昔から複雑で、それを回避するために長男が継ぐと決めたんだろう。しかし、いまの社会ではいままでの常識が通用しなってしまった。ぼくらの暮らしは、何処へ向かうのか。「家」に取り組むと、生活や生きることがずっとハッキリとみえてくる。

家を持つことは夢だった
子供のころ、両親は戸建ての家を買うのを夢にしていた。それを考えると、日本中に家が余っているなんて信じられない。工夫すれば利用できるのに。自分の活動を通じて現代の「家」のドキュメントをつくろうとしている。

空き家を活用したいという気持ちが溢れて止まらない。子供の頃に両親が家を欲しかった想いをよっぽど引き継いでいるんだろう。

いろんな場所に行って人に出会い繋がりをつくれば、交易圏が生まれる。つまり自分のマーケットをつくることができる。

町家の大家さんとアートについて、お金についてじっくり話し合った。日本でアートはどんな役割ができるのか。ぼくらは何を期待するのか。作品をつくって生活を成り立たせるのは、すべてのクリエイターの願うところだろう。場所があれば、スタート地点が違う。ずっと先の未来を見渡すことができる。

一期一会を見逃すな
先日、イベントのミーティングで隣りに座った帽子屋さんに、どうやって売っているのか聞いてみると、出店で稼いでいるという。彼も夫婦で活動しているらしく、販売できるイベントを紹介してくれる話になった。こういう出会いのひとつひとつをフォローすることで出会いをチャンスに変えることができる。

誰かと話をすると見落としていた視点を発見できる
ぼくは作品を売ることを考えなければならない。でも一方で、作品を経済から切り離したいと願う自分もいる。

作品にかかった労力、時間、経費をきちんと計算して値段をつくるべきだという話しになった。それが幾らなのか、売れる売れないを別に、値段をつけ売ってみたらいい。

生きていくために、選択できるシンプルな方法は、ものをつくって売ること。それができれば自分を変える必要はない。そのままでいい。しかし、常識では計れない価値があることも信じている。

 

人と出会い、同じ時間を過ごした言葉の端々から、アイディアを紡いでいく。

町家を舞台にアート展をやろう!という話しになった。遠方からぼくらの展示を見にくるひとがいれば宿泊もできるギャラリー。夜になれば、ひとが集まってくるギャラリー。ファミリーのような仲間をつくるためのギャラリー。ひとりで遊びに来たひとにも出会いがあるギャラリー。みんなでテーブルを囲んで食事するようなギャラリー。アーティスト同士が紹介し合うような展示。アーティストがキュレーターでギャラリストでもあるような空間。

アートは存在感に宿る。展示したときに現れるオーラも含めて作品になる。それを意識して作品を発表したい等、アイディアが溢れた。

自分たちでやることに意義がある
翌日は、宝町の長屋にいった。こちらは、木造建築の構造補強を計画している。この日は、建物の構造を調査した。

「知らないことや分からないことをやってみる。」これが暗黙の合言葉。世代や何かが違っても強く結び付く想いがあれば、成し遂げることができる、そう信じることから始まる何かがある。

すでに建っている家の構造を調べるのは難しかった。とくに2階建ての大きな家は複雑だった。オーナーが既に考案した3種類の耐震技術をどこに使うのか、どう施工するのか、そんなことを念頭に調査した。
午前中は町家のオーナーも参加してくれ、同じ問題を抱える仲間として動いてくれた。

触れれば触れるほど、木造住宅は丈夫につくられていることを知るし、これだけの構造が壊れるような災害があれば、もう仕方ないように思う。それは自然なこと。どうして人間は自然を恐れるのか。抵抗せずに呑まれてしまえばいいと考えるのは間違っているんだろうか。死を受け入れることも「生きる」と同義なんじゃないだろうか。

1億円で修復した家
津島の空き家を紹介するプロジェクトの話を聞きながらランチした。空き家や空き店舗を紹介するプロジェクトの仕掛け人は、不動産屋ではないので家の紹介や売買には関われない、と教えてくれた。きっかけづくりで、大家さんと利用希望者を繋ぐだけらしい。年間で5000円程度。なんて安さだ。

ランチの後、室町時代から続く家系の、1億円で修復した家を見に行った。

家は殿様の暮らしを再現したような豪華絢爛な日本住宅だった。掛け軸、壺や屏風に宝物があちこちに展示してあった。家と言うよりも建築作品だった。修繕したときに床をあげて、庭の眺めが変わってしまったことを家主は悔やんでいた。今回の修復で100年は使える家になったそうだ。0円で活用する家があれば1億円で再生する家もある。

 

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スタート地点に何度も立って新しい競技を始めること
長屋に戻り、構造模型をつくるための写真を撮った。どこから手をつければいいのか悩みどころでもある。

 

夕方にfacebookで知り合った建築のプロが現れた。
どう言われるのか不安ながらに、木造建築のDIY耐震化の相談をした。
答えは「素晴らしい。」だった。宝町のオーナーが開発したアイディアも支持してくれた。進もうとしている方向は間違っていなかった。理解者は、妄想や空想を現実に仕上げてくれる創造者だ。この数ヶ月が報われた。

プロは、「木造建築はほんとうに強い。腐ったり白アリにやられていなければ、750年は強度を増していく。わたしの持論ですが。」と教えてくれた。

オーナーとプロと話して、家をスケルトンの状態にして、DIYできる物件として譲渡して、耐震化もやってもらえばいい、という話しになった。まるで少年漫画のように、気持ちが通う仲間が集まってくる。

「家」に注目するほどに、生きること=暮らしに無関心だったかを思い知らされる。自分が生きれば、周りを活かすことができる。いま10代の子供たちが、家を必要としたとき、古い木造住宅に住むという選択肢があれば、家のために働かなくても、その時間や労働力を別のことに費やすことができる。

場所があれば、夢はずっと現実に近い地点から語り始めることができる。場所を開放したい。人々の夢を解放したい。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/