いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

お金を生むために「つくること」「伝えること」

昨日、作品をオーダーしてくれている友達と飲みにいった。ぼくは作品をつくって生きていくことにした。作品と言っても、アート作品だけが作品ではない。ぼくのコンセプトは「生きる芸術」だから生き方に関わることはすべて作品だ。

ギリギリの状況ではあるが、作品を売ってお金をつくっている。つまりは自営業の運転操業だ。取引先をみつけて仕事をする。いろんなお金のつくり方がある。会社に通って給料をもらう。アルバイトをして時間と引き換えにお金を獲る。考えるほど、この社会はお金に支配されている。お金は万能な道具だから仕方がない。だからこそ、お金の本質と向き合うために、ぼくは「お金をつくる」ことに固執している。
生きていくために必要なこと:
食事


制作費
パソコン
携帯
インターネット
交通費
税金
これをカバーするために、どれだけ働かなければならないのか。どれだけの欲望を刺激して利益を得なければならいのか。お金をつくる方法は、この時代だからこそ、たくさん選択肢がある。もっともシンプルに言えば「つくること」「伝えること」だ。

ぼくは作品をつくって、それを伝える。その作品に価値があれば、そこに対価が生まれる。いまは、その作業をしている。しかし、これだけでは、到底生きていけるほどのお金をつくるこができない。いや、生きていくことはできても、社会的な責任を果たすことができない。ぼくは雇用を生み出すことを自分のアート活動の目標にしている。それにはシステムを構築しなければならない。絵などのアート作品が1点しかないのに対して、メディアになれば、それはコピーされて増殖する。印刷や本や映像などがそれだ。例えばぼくが本を出版したいのも「伝えること」を効果的に実現するためだし、書籍に拘るのは1点1点の実体を大切に思うからだ。

空き家を探してみつけた津島の長屋も場所をつくるという表現行為だ。バルセロナでは倉庫を改造してアーティストが空間をシェアしていた。それをみて場所をつくることにアートを感じた。ぼくは当たり前のことに感動してしまう。なぜなら、それを忘れてしまっているから。東京や日本で暮らすことは、あまりに、たくさんことが用意されていて、「ある」ことが当たり前になってしまっている。失って始めて、その大切さを身を持って感じる。ぼくのやっていることに対して、新しさを求める人がいた。それは既に誰かがやっている、と。誰かがやっていることをやらないのだとしたら、ぼくはもう1歩も前に進めなくなってしまう。求めるものは人それぞれ違うからこそ、世界は豊かになる。むしろ、なにも考えずに、直感と閃きに突き動かされていたい。

ただ、こんな贅沢に人生実験できるのも、これまで働いてきた蓄えがあるからだ。数年に以内にこの状況を変えなければ、理想も語れなくなるだろう。でも、突然、成功という状況が目の前に現れてそれが続くわけでもなく、ひとつひとつの積み重ねが、いまの状況をつくっているわけで、やるべきことをみつけて確実にやっていく、それをやることがサバイバルする秘訣だ。考え、手を休めることなく、失うことを恐れず、行動し続けることだ。そして、ひとに出会い続けることだ。どこかにぼくを理解してくれ、一緒に冒険してくれる仲間がいるはずだ。旅から帰ってきて、たくさんの仲間に助けられて、ここにいる。もう駄目だ、なんて思うこともなく、少しづつ可能性を感じて生きることができている。自分の生を削って生きているからこそ、感謝の気持ちが沸いていくるんだと思う。

さて今日も作品をつくらなければ、明日の飯が食えなくなる。

 

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com