いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

イメージできないものはつくれないが、イメージできるものはつくることができる。

朝5時に起きて清掃のアルバイトを6:30ー10:00までやる。ボーっとする意識のなかで、悶々とした考えが浮かんで流れていく。ゴミを捨てたり床を掃除機がけするうちに、頭のなかの雑念もゴミと共に捨てられていく。10:30にはボルダリング・ジムに着く。最高だ。それでも、まだまだ理想の自立した生活には程遠い。作品の売り上げで足りない分はビル清掃のアルバイトで生活費を補っているし、ボルダリングもジムの会費も出費している。

「どうすればそれを登ることができるのか」課題をクリアしていくのがボルダリングというスポーツ。そうどうやれば、この社会から自立できるのか、その課題を登ろうとしている。

ボルダリングとは登ればいいだけのスポーツだけれど、それほど簡単な話しではない。身体全身を駆使したパズルゲームで、身体の消耗も激しいので、登る前に充分なシミュレーションをしなければならない。

そうどうやれば、自立できるのかシミュレーションが必要だ。イメージするのは、作品が貨幣になること。作品には価値があり、それらは取り引きされるもの。トレードアップを繰り返し、作品のオーナーは豊かになる。(まるで10年前に書いた小説のネムリブカのようなものだ。)価値をつくりあげるために展示をやる。このアイディアに賛同してくれるギャラリーと。価値をつくり出すのはアートでなければならない。なぜなら、ぼくは作品をつくることが表現の根源にあり、小さくてもそこにアートの市場があるからだ。

このアイディアを瞬時に理解できるような資料が必要だ。なんと呼ぼうか。"スーパーノート"と名付けよう。(何度も寄せて返す現実の波は、次第に自分が描いた虚構の世界へ侵食されてく。)

ジムでボルダリングをやっていると、なんとここのジムが3月いっぱいで閉店してしまうとの貼り紙をみつけた。堰を切ったように可能性のイメージが溢れてくる。ジムにあるホールドやマットはどうするのだろうか。オーナーは次の場所を決めているのだろうか。万が一、次が決まっていなく行き先がなく捨てるのであれば、ミラクルが起きそうな予感。津島につくる空き家にクライミングウォールをつくる可能性が出てきた。まだ頭のなかの妄想だが。イメージできないものはつくれないが、イメージするものはつくることができる。どうすればできるのか、オブザベーションすればいい。

12:30にクライミングジムを出て、オーナーに電話してみた。
「ジム閉店なんですか?」
「おう、そうだ。閉店て言っても移転だけどな。最初から6年やったら別の場所に開く予定だったんだよ。どうしたそれが?」
「実は、春から愛知県に引っ越すので、自分で壁をつくりたいと思って。」
「おう、引越し決まったのか。お前からの連絡を待ってたよ。ちゃんと考えているよ。ホールドもマットも譲るから、必要な分量を教えろ。」

そんな具合にすんなりとプライベートウォールの夢は現実のものとなった。ボルダリングは始めてから4年で自立の道へと踏み出した。ぼくは、ボルダリングのオブザベーションのおかげで、未来への道のりを考えることができるようになったから、このスポーツへの愛と感謝の気持ちでいっぱいだ。まだまだやれる。


夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com