いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術日記2022.0512

カラスが飛んできた。荷物のそばで獲物を狙っていた。妻は「何か食べたいんだね」と言った。自分はカラスというだけでなんとなく邪険な気持ちになっていた。カラスは何も悪くないのに。 それからカラスが気になって、改めて飛んでいる姿を眺めると、勇壮な飛…

生活芸術日記2022.0511

朝から炭の袋詰めをした。炭をノコギリで切って袋に入れる作業。炭を早く窯から出し過ぎたので、木の部分が残っていて硬い。それを「ねぼえ」という。炭焼きは自然を駆使した仕事なので毎回加減が異なるところが難しい。 午後は今年から活動する地域おこし協…

生活芸術日記2022.5010

昨日は長野県岡谷市の妻の実家から茨城県北茨城市の家まで移動日。クルマで移動するといろいろ考える。どういう訳か、今回の旅は生まれ変わったような感じがしている。ひとつには今暮らしている土地から離れて、今している里山づくりが貴重な経験になってい…

生活芸術日記2022.0508

名古屋の展示最終日。撤収のため妻の実家から移動。空き家プロジェクトで通った津島の長屋に立ち寄った。長屋のお隣のお世話になったご夫婦とランチした。ちょうど津島の知り合いから連絡があって合流。散歩して、移民問題に取り組む真野さん宅に寄る。テレ…

生活芸術日記2022.0507

朝から昨日の草刈りの続きをした。どうして草刈りをするのか考えた。自然の側からすれば全く必要ないことで、単に草が刈ってあると綺麗だからということなのだろうか。自分としても単に妻の両親が荒らしている土地を気にしているだろうから、という理由だけ…

生活芸術日記2022.0506

チフミのお母さんが御柱を見に行こうと誘ってくれた。御柱は諏訪地方の7年に一回のお祭り。次の御柱のとき父や母は生きているだろうか。 チフミの実家で頼まれたイスと机のペンキ塗りをした。午後は放置された畑の草刈りをした。 夕方はコンビニの駐車場で…

生活芸術日記2022.0505

妻の実家のウッドデッキのペンキ塗りをした。アメリカに行ったとき、そこに暮らす人たちが自分の家をペンキで塗っていたのを思い出した。トムソーヤの冒険の出だしもペンキ塗りのエピソードだった。昨日読んでいたホッファーの本にダヴィンチが出てきた。偶…

生活芸術日記2022.0504

妻の実家で過ごしている。エリック・ホッファーの「情熱的な精神の軌跡」を読んでいる。彼の文章、彼について書かれた文章などが編集された本。労働する哲学者として知られている。なるほど、哲学者といえばエリートだけど彼は違っている。経験したことから…

生活芸術日記2022.0503

愛知県での展示設営から一日在廊して、妻の実家、長野県岡谷市に戻ってきた。まるで記憶巡る旅のようだった。 7年前、空き家に暮らしたくて、探していて巡り会った津島。妻が案内状を郵送してくれたおかげで、津島で出会った人たちと再会した。 シンガーソ…

生活芸術日記2022.0430

バンドリハーサルのために岡谷市から電車で新宿へ。移動中に歌詞を覚えた。コロナ禍が続いているので東京は2年ぶり。北茨城での生活では人間よりも草木をたくさん見ている。新宿は人の波。ブックオフを見つけて欲しい本を探してみたがなかった。 分かりやす…

生活芸術日記2022.0429

妻の実家、長野県岡谷市で朝起きた。昨日、北茨城市から移動した疲れが残っている。明日は6月のライブに向けたバンドのリハーサル。今日はその準備をした。東京のリハに向かうときのイアフォンを忘れたので岡谷のショッピングセンターに買いにいった。電気屋…

景色をつくることが社会を変える。生活芸術のススメ。

桃源郷をつくる。という活動をはじめて3年目。休耕田に種を蒔いて花を咲かせ、こんな景色ができました。ここにぼくの土地はひとつもなく、地域の人々、行政の人々が協力してこれをしているのです。ぼくはこのプロジェクトを実行する機動力であり、この仕事…

変態性を解放するディテール

していることの意味を確かめたくてコトバにする。今朝は桃源郷の看板をつけた。看板をつけたことで、何もない限界集落だった地域は桃源郷になった。空想のランドスケープが現実にインストールされ誰の目にも映るようになった。妄想は現実化する。 バリ島に暮…

やりたいことをやれ。でなければ死ぬぞ。

やりたいことがある。それをやる。しかし、それがお金になるかどうかの問題がある。お金にならないのだったら諦めるという選択を迫られる。何のためにお金が必要なのか。その問いに答えないまま人は選択する。諦める。お金を稼ぐ。しかし、いろいろやってみ…

映像による生きるための芸術の記録

アクションカメラを買って動画を撮影している。毎日していることを記録しようとしている。時代はすごい速さで変わっている。文字と映像では伝わる量とダイレクトさが違う。実際にやってみてそう感じた。けれども文字というメディアがなくなることはない。文…

春は新しいことをはじめる季節

これは日記。起きていることを記録している。妻の実家、長野県岡谷市にいる。姪っ子の冒険のサポートをしている。姪っ子は「なんでもチャレンジ」を目標にしている。素晴らしい。この春は両親の元を離れておじいちゃんおばあちゃんの家にステイする冒険をし…

環境芸術というコンセプト

アート。芸術。そういうものを目指して取り組んできた。没頭できて、それが仕事になって尚且つ有名になって成功できるのだとしたら、それを目指したいと思った。その背景には「働くこと」への抵抗がある。たぶん、それが正直なところ。いろんな仕事をしてき…

今を記録しておく。

昨晩は詩を書いた。20年以上やっているバンドのために。たぶん、自分の表現活動の原点は「詩」だと思う。心が震えるという体験を音楽が与えてくれた。短い数分の楽曲のなかに、限られた語数で伝えるメッセージ、ボブ・マーリー、ジョン・レノン、ボブ・ディ…

生きること自体が表現だ。

「苦しみと喜びが同時にやってくる」と笑って話してくれる神永さん(84)が新しく桃源郷づくりに参加してくれることになった。休耕田に真菰(まこも)を植えてくれる。そのためにトラクターで耕して肥料を蒔いてくれた。 真菰は縄文時代から食べられているイ…

好きを育てて自分の世界をつくる

生きるための芸術は、炭焼きになった。今年の冬は木を運んで薪割りをして。身体を動かして生きている。集落支援員という仕事をしている。茨城県北茨城市の山間部で景観をつくるプロジェクトをしている。目の前の景色をつくること。これが表現の原点だ。誰も…

ひとが争いを止めるために

戦争が起きている。ロシアがウクライナに侵攻した。その背景について両側から正義が論じられている。同じとき、ぼくは平和に暮らしている。同じときに争いに巻き込まれる人々がいる。どうしてひとは争いを止めることができないのか。 戦争に比べたら、ほんと…

夫婦芸術家の現在地について

「どうして絵を描くのか」妻にそう質問されて考えた。はじめは絵を描いてそれが認められて世界で活躍できたらいいな、程度の妄想だった。あとは会社で働き続けるのが無理だという限界もあった。将来のことを考えたとき、会社で働いて給料を貰っていても何者…

何かに抵抗し、生きるために表現をしている

どうして生きるとはこんなにも複雑なのだろうか。それに答えるために表現をしているのかもしれない。なぜ生きているのか。そんなシンプルな問いにも答えられない。ただ曖昧なままに言葉は意味の間に沈んでいく。だからせめても言葉を紡いで、自分なりの進む…

働くことは走ること

北海道から帰ってくると、炭焼きの師匠から電話があった。 「家の前の木を切ったからいつ取りに来れる?」と言われ 「明日行けます」と返事した。 翌日に行ってみると、大量の木が切り揃え並んでいた。驚いた。庭木を切った程度の話しかと思っていた。72歳…

社会にこれからの未来を提案する

雪のなかの景色を描いた。北海道の暮らし。屋根の雪下ろし、排雪する様子、雪に包まれていく家々。当たり前の風景が愛おしく思えて。 知らない土地に行ったら、その土地を知ろうとする。それが滞在制作の楽しみで、それをすることで自分を知る。北海道は約1…

民族共生象徴空間とは/アイヌとは誰なのか

むずかしいことだけれど書いておこう。北海道で滞在制作しているので、ついに民族共生象徴空間ウポポイに行った。ウポポイは、北海道の先住民とされるアイヌの伝統を紹介する施設だ。 この施設では、歴史、民族の衣装や祈り、道具などが展示されている。ホー…

器になること

札幌での滞在制作も予定の半分の日程が過ぎた。札幌市内のマンションairbに暮らして、招待してくれたジンさんが毎日案内してくれる。ぼくたちは、北海道の印象を絵にしようとしていて、ジンさんは今回の滞在が今後に繋がるように考えている。 1月の北海道に…

知らない土地の魅力をアートにする。

北海道滞在制作二日目 ホストのジンさんに開拓する地域の人の話を聞きたいと伝えた。まずギャラリーをアトリエとして使わしてくれる人がいるからと豊滝を案内してくれた。雪のなか道の奥へと進んでいくと、Mountain Stormという看板が現れた。紹介してもらっ…

土地を開く/滞在制作記

2022年最初のプロジェクトは北海道での滞在制作からスタート。札幌市内マンションのairbを拠点にクルマで30分ほどの距離にある豊滝という土地とセッションする。 サーフィン繋がりで知り合ったジンさんという人がホストで、ジンさんの奥さんのご両親が経営…

日々記2021.12.30

2021年の終わりが近づいてきた。年の瀬。ひと足早く妻の実家、長野県岡谷市に帰省している。ぼくは47歳で妻の両親は70代で、お義父さんが今年倒れて死ぬところだった。入退院と手術を繰り返して、日常生活を支障なく送れるところまで回復した。歩け…