いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

明治以前に「社会」というコトバはなかった。福沢諭吉はSocietyを「人間交際」と訳している。

ぼくは制作するために時間を作っている。表現者として生きていくと決めたときから。つまり仕事も予定もない空白の時間。他人からするとそれは「暇」というものらしく、よく頼まれごとをする。 「いま忙しいから手伝ってくれないか」知り合いが困っているなら…

書くこと。抵抗する武器。

今日は草刈りの仕事だ。植木屋さんに誘われてアルバイトにいく。これはぼくの今日の仕事だけれど、一週間後には違うことをしている。 ある一場面を切りとってみたとしても、それは何も代表しないし、何も理解しない。つまりぼくが何者なのか、という問いは、…

薪が濡れている日はゆっくり火を行き渡らせること。

雨が降ったあとは、火が上手くつけられない。杉の葉っぱで火を熾しても、濡れた木に消されてしまう。そういうときは乾燥した小さな端材に丁寧に火が行き渡るように燃やす。毎日、薪で風呂を沸かしているから、そうやって火に触れている。それだけで太古の人…

コントロールから出る、アウトオブステップの試論

小狐が死んでいた。道で。小さな身体が横たわっていた。中身は無くなっていた。身体はあるのに中身がない。身体の中にあるものを人間は命と呼んでいる。魂とか生命とか。それは何だろうか。 「生きる」ことを掴まえるために活動している。それはゲリラ活動み…

暮らしをつくる冒険

「生きる」という言葉にすると、当たり前過ぎて相手にされない現象に向き合っている。その取り組みをどう呼べばいいのか分からなかったので「芸術活動」に分類している。自分のなかで。だから哲学でも文学でもいい。文化人類学とか。けれど、アカデミックな…