いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

毎日スタートラインに立ってる。

目的を持って書くことも必要だけど、何もないまま書くことも必要だ。例えば、右手も必要だし左手も必要で、いつも両側に気が届いているのが、もっとも安定したバランスだと思う。こう言い換えることもできる。社会はいつだって嘘を真実だと言い張るし、真実…

閉じたアートを開くためのアート

ぼくは、絵を描くことについて学んだことがないから、自分で探して、やり方をつくっている。「はっ」と心を動かされるものは、すべてアートの対象になり得る。自分の感性に従っているから、一般的なこれがアートだという基準とはズレている。けれども、そも…

ここから始まった檻之汰鷲(おりのたわし)の源流。

アートはどこにあるのか。ぼくがそう問い続けるのは、ぼくが信じるところのアートに育てられてきたからだ。 それは至るところにあった。ぼくがアートと出会ったのは音楽だった。いくつかのレコード・ジャケットは、有名なアーティストの手によるものだった。…

生活の中に芸術はあるのだろうか。

アートとは何だろう。生きるとは何だろうと考えてきた。あるとき、藝大の大学院に在籍するアーティストにその話をしたら「生きる」はカテゴリーが曖昧だから論文のテーマとして採用されないんですよ、と言われたことがある。 「アート」も「生きる」も確かに…

遠くへ行きたい。距離でもなく物理的なことでもなく。

そこにいると鳥の声が聞こえる。風が吹いている。川の流れが聞こえる。青い空、周りは木々が聳えている。ここはどこにでもある場所。誰も住みたいとは思わない場所。 心が動くことをしていたい。感動すること。その気持ちは子供心にある。日が沈むのも忘れて…

アートをアートの外へと連れていく旅

今回の展示で、やりたかったことが更新された。ぼくは芸術を生活の中に表現したかったのだけれど、そうではなくて、芸術やアートを、現在地よりもずっと離れた場所に連れ出したかったことに気がついた。 次の目的地が見つかった、と言い換えることもできる。…

ココニアルという理想。

ずっと生活と芸術の一致を目指してきて、北茨城市で改修してきたARIGATEEで、ひとつの理想を描けた。それを「ココニアル」と名付けた。 地方や田舎には「何もない」と言われるけれど、ここには、草や木、水、土、などの自然がある。何もないどころか生きるた…