いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術家の1日

午前中に草刈りをした。7時半くらいからはじめて気づいたら11時半だった。4時間やった。そんなに没頭できることも最近では少ない。いつもスマホが傍にあってSNSを見たり写真を撮ったり。だから草刈りのときはスマホを持たない。

草刈りは瞑想だ。ただ草を刈るだけ。他に気を遣うことがない。自走式の草刈りを操作するだけ。だからその間はずっと浮かんでは消えるまま考える時間にしている。

昨日、80歳のお年寄りと世間話をして、安倍元首相の暗殺から統一教会の話題になった。するとお年寄りは「ここでその話をしてもな、さあ帰るとするか」と立ち上がって去っていった。カッコいい立ち居振る舞いだと思った。そのことを妻に話すと「話に気をつけた方がいい」と注意された。どうしてそんなことを言われるのかとムッとしてしまった。妻は心配しているのだ。

けれどもぼくは、とくに今は政治と宗教はとても重要なトピックだと思う。どういう訳なのかぼくたちはむかしから政治と宗教の話を避けるように教えられてきた。

しかし今現在。それでいいとは思えない。政治はこれからどういう社会にしていくか、という未来の舵を取る仕組みだ。国民主権の民主主義である限り、ぼくたちのために議論されて社会を舵取りしていく。だったらなぜ避ける必要があるのか。対立を生むから? しかし対立を生む要素がそこにあるならもっと向き合うべきではないか。対立があるということは、その溝を埋めるコトバが足りないからだ。だったら思考を費やして新しい地平をコトバで切り拓くべきだ。

宗教団体の被害者が、その恨みを晴らすべく元首相を殺した。単なる狂人の兇行なのか。仮にそうだったとしても、その結果、政治と宗教の癒着が浮かび上がるのだとしたら、それを検証する必要がある。まるで質の悪いディストピア映画みたいじゃないか今の日本。日本はどうしてしまったのだろうか。

草を刈っていると、こうやって心に沈澱するいろんなことが浮かび上がってくる。これはそのひとつ。けれども逃れることも難しい。思わず、その考えに溺れていく。そんなときの対処法をぼくは知っている。かつて座禅をしたときにお坊さんが教えてくれた。「座っていると、いろいろな考えが浮かんできます。それをただ観るのです。ただ観るとは、駅のホームで電車が通り過ぎるのを眺めるようなこと。電車に乗らないように浮かんでくる想いに乗らないこと」

教えのおかげで浮かんでくる社会の問題を見送った。草を刈るうちにまた次の思いが湧いてくる。バントのライブの構成について。もっと曲や歌をよくする方法について。こういうことなら、そのアイディアをそのまま実行すればいい。そうやってバントは活動していく。

こうして4時間、草刈りを終えて、昼ごはんを食べて、午後は舟づくり。今の課題は木を曲げること。インターネットで調べたやり方で木を蒸す装置を作った。中に木材を入れて煮て蒸して約1時間ほど。ちょうど炭焼きの師匠が現れる。「何をしてるんだ?」「木を曲げようと思って煮ています」「どれどれ。それでは木のサイズと装置が合ってないな。ドラム缶で煮るくらいやらないと」

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失敗は失敗だったけれど、これぐらいのカーブなら板を切って作った方が確実ということになった。つまり失敗から次の展開が生まれた。いつもそうだ。ぼくは正解には向かっていない。とりあえず行動して、それがきっかけで起きたことへと転がっていく。それが創作だ。

続きは明日やることにして海へ向かった。ここ数日は頼まれた絵の景色を採取しに海へ行っている。海は毎日違う。ということはみんな毎日違う。確かイスラームのコトバに「1日とは砂漠の砂つぶひとつひとつで、今日も明日もそれぞれ独立している」という教えがあった。

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今日は曇りで、景色の採取はイマイチだったけれど、それはそれでいい絵なのかもしれない。

日が暮れて家に帰って風呂を沸かして妻が作ってくれた料理を食べて、風呂に入ってこれを書いている。そうだ、午前中に浮かんだバンドのアイディアをスケッチしておこう。

ここは世界の片隅なのか中心か。ぼくは何処にいるのか。

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曇り空で暑くなくて、少しだけ雨が降っている。2022年7月中旬もうすぐ夏。この天気はラッキーだ。草刈り日和。6時過ぎから草刈りをはじめた。いま10時30分。今日はこれで終わりにしよう。

昨日の夕方からSmall Axe Anthorogyというドラマ•シリーズを観た。イギリスのBBCで放送されたものでイギリスの黒人差別を扱った作品。ぼくはブラックミュージックと呼ばれるヒップホップやレゲエが好きで、その音楽がどうやって誕生したかについても興味を持って調べた。逆に言えば、ロックが好きになって掘っていくうちにそのルーツを知った。ロックンロールはブルースだった。それはヨーロッパによる植民地主義奴隷制度によるもので、酷く辛い人間の過ちをその起源に持つ。

最近とくに好きで読んでいる管啓次郎さんの本には、ヨーロッパやアメリカその周辺に位置する人々や文化について書いてある。中心があるとするなら、それ以外のほとんどが周辺になる。この日本もアフリカや南米やカリブ海と同じように植民地主義時代の侵略された側の傷を持っている。日本は逆に侵略した傷も持っている。だから、そんな日本人のひとりの管さんが、植民地主義から現代に積み重なった歴史の地層の断面を描き出してくれる、その文章に共感するのだと思う。

ぼくはその傷をロックに教えてもらった。ブルーハーツ忌野清志郎、ボブディラン、ジョンレノン、ボブマーリー。世界中の虐げられてきた人々とぼくも同じ地平に生きていることを知った。

それを題材にした作品はたくさんある。ロックに根を持つ音楽は皆そうだとも言える。パンク、ヒップホップ、レゲエ、ファンク、テクノ、ハウス、ジャズ。ここに並んだ音楽ジャンルのパンク以外はどれも、侵略され歴史に翻弄された人々の側から生み出された。もちろんパンクも色は違っても社会の歪みから鳴り響いていると言える。そういうものたちは、数分の曲にほんの僅かのコトバと音を駆使して、この社会のシステムへの抵抗を表現した。

ぼくがここで明らかにしたいのは、日本人のぼくがなぜ、ここまでロックにルーツを持つ音楽に共感できるのか。ぼくの肌は黒くないし、差別もされていない。でも何かこのままでは間違っている、もっとマシな社会やライフスタイルがあり得ると想像してしまう。それは単なるファッションとしての身振りなのか、それとも確かに僕自身が抵抗しなければならないほどの理不尽なシステムの犠牲者なのか、それをコトバにしてみたい。だから、もしこれを読む君もそう感じるのだとしたら、この社会は、この世界は、何かエラーを起している。だとしたら、ぼくは違う未来を描いてみたい。そのためにぼくは絵を描き、生活をつくり、音楽をやっている。それらを社会に地雷のように仕掛けて亀裂をつくりたい。そこから見える景色をつくりたい。

 

誰かのコトバじゃない、自分の目で見て感じたこと

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朝起きて今日は何をしようかと考えた。雨が降りそうだったけど草刈りをした。草は腰辺りの高さまで伸びていた。年に4回は同じ場所の草を刈る。ぼくが暮らしている場所は、限界集落で人の数よりも草や木の方が多い。朝起きて妻以外の人に会っていない。視界は緑に囲まれて、そのなか草を刈っていく。ひとりで黙々と。その時間ぼくは何かを考えている。思考している。ひとり生きるための作戦会議をしている。

週末は映画上映会のイベントを開催した。その準備から終わりまで、その仕事に10日間ぐらいは追われていたように思う。ついついそのせいか、夜はSNSを眺めていた。

2022年の夏。ぼくは信じられない世界に生きている。元総理大臣が、手製の銃で暗殺された。総理が宗教と癒着していたことが暗殺の原因だったと報道された。それについて、たくさんの憶測が噴出している。ロシアではウクライナと戦争をしている。景気は悪くなって、物価は高くなるけれど給料はあがらないと嘆きが聞こえてくる。インターネットを開いて覗くと、そこにこういう世界が広がっている。情報が世の中に行き渡るようになって、そのツールが増えるほどに情報は錯綜していく。新聞、テレビ、twitterfacebookinstagramyoutube、ブログ。ぼくたちはあらゆる場所から情報を引用して自分の世界を構築していく。一旦、構築されるとそれはイデオロギーになって、ひとそれぞれの考え方や意見を形成する。

草刈りをしているうちに、そんなことがバカバカしく思えてきた。自分の目の前にはそんなものは存在していない。政治も宗教もイデオロギーも戦争も。草が生えて、鳥が鳴いて、今は雨が降っている。もう少しで区切りがいいからと作業を続けた。これがいまぼくの目の前にある景色だ。それが仕事になって生きている。

「草を刈る」というおよそ、何の役にも立たないようなこの仕事が好きだ。何も生産していないし何も消費していない。それでも景観をつくるという事業のなかでこの仕事はわずかに社会貢献しているおかげでお金になっている。この仕事も元は誰にも頼まれてないアート活動の中から派生して、いまではぼくたち夫婦の生計を支えている。

頭のなかを巡っていたバカバカしい世界を切り離して、草を刈る手を止めて佇んでみた。雨の音、鳥の声が聞こえる。何もしないで佇む、という所作は動物に教えてもらった。田んぼにいる鷺が佇んでいる姿を見たことがあった。犬と散歩しているとふと止まって佇んで何かを見て聞く様子を知っている。一体何をしているんだろう、だからそれを真似てみた。

昨日、犬の散歩をしたとき、いつものコースを一周して戻ってもまだ歩きたそうにしていた。だから犬の好きなように歩かせてみた。犬に連れられて歩いた。犬に散歩してもらった。犬は川の方へ向かっていった。きっといつも水浴びする川が好きなんだ、それを覚えているんだ、と嬉しくなった。川に着くと立ち止まって匂いを嗅いでまた歩き出した。どんどん真っすぐに。犬に目的なんてなかった。ただ歩いていた。

ぼくはぼくの世界をつくっている。それは「生活芸術」という表現の仕方。生活をつくるということをすれば、人はもっと豊かに自由に暮らせる。そう信じている。ぼくはその方法を発見したと思っている。それは勘違いかもしれない。けれども勘違いこそがアートの源泉だ。その勘違いをここに記録している。忙しいときは、ここに何かを書く気持ちにならない。イベントをやっても、その成果や何かを記録したいとは思わない。むしろ何も予定もない、そのなかで日々の営みをしているとき、ぼくは何かを感じたり考えたりする。自分の内側から湧いてくる気持ちやコトバ。それを書き留めることでぼくは自分の世界をつくっている。誰かのコトバじゃない、自分の目で見て感じたこと、それはまるでほかの人とは違うはずだ。その違いの向こう側とここを繋ぐためのコトバを紡いでいる。

もうひとつの生きるための芸術。

朝起きて草刈り。今年は6月末から夏日の猛暑。温暖化のせいなのだろうか。温暖化のせいというよりもこれも人間の仕業なのか。タバコが吸いたい。

クーラーがないから5時に起きて太陽が全力を出す前に仕事をはじめている。クーラーがないのはエコというよりも痩せ我慢かもしれない。けれどもないなりに工夫する生活が面白い。暑くなるならその前に仕事をはじめればいい。おかげ様で朝8時には、草刈りはある程度片付いている。

地面から草は容赦なく生えてくる。しかしこの緑が生えなくなったらこの世の終わりのサイン。その緑を一つ一つ名前も確かめずに雑草とひとまとめにして刈り取る。まったく自然に反する行為。けれども草を刈るとスッキリする。快感がある。人間が自然を克服して生活領域を広げてきた記憶の名残なのだろうか。妻もぼくもその快楽に誘われて草刈りをしている。83歳の石職人が呟く「苦しみと喜びが同時にやってくる」がここにある。

昨日、隣町のいわき市にライブを見に行った。SNSで偶然「生きるための芸術。」というイベントを発見したのがきっかけだった。生きるための芸術とはぼくが2014年頃に自分のアート活動につけた名前だ。このコトバを口にすると、ほとんどの人は分かったような分からないような顔をする。どういう意味なの?と質問されることも多い。生きることと芸術。たったこれだけのコトバだけど、それを選んでタイトルにする仲間がいたようで嬉しかった。

会場にいくとSNSでそのイベントを投稿していたユウシくんに会って、さっそく主催の松本くんを紹介してくれた。松本くんは楢葉町の市の職員で、震災をきっかけにイベントを主催するようになって、それが生きるための芸術に発展していた。松本くんは「震災のときに、生きることとは関係ないようなアートとか音楽とかいんろな表現がとても大切に感じて。だから自分がよいと思った表現をみんなに感じてもらいたくてイベントをやっています。表現の場をなくしたくない。表現者が続けられる場所をつくりたい」そんな話をしてくれた。そしてイベントの最後には「生きていること自体が表現でみんながそれをしているのだと思うんです」と宣言した。メモしたわけじゃないから、ぼくの気持ちと同化しているけれど、実際そうだった。震災を経て、生きることと芸術がひとつになってしまった、そういう思いが出会った。

有名になるとか、成功するとか、どうすればそうなれるのか、とか。表現そのものが、そういう方向に開かれていて、何ものでもないないとか、一体何なのか意味が分からないとか、いまだそんなものは見たことも聴いたこともない、という方向には開かれていないように感じる。最近の感想。昨日イベントを思い返してそう考えている。世の中に流通しているコトバも思考も成功の法則のために費やされているように感じる。

昨日見た表現者たちは、どの人もきっと何かの途上で、現在進行形でステージに立っている。目の前の観客に向けてパフォーマンスしている。ぼくはそれを目撃した。そして心を動かされた。ここに掛け値なしのほんとうのことがあって、そういう体験、出会い、それが何なのか、ということにコトバを費やし、足りなければさらに書き続けて、勝ちでも負けでもない、要領の良さや、数字でもない、ぼくが伝えるべきフィールドを掘り当てたような気がした。もちろんニーズなんないだろうけれど。

前回ここに「社会」はなくてあるのは「人間交際」だけだ、と書いた。まさにぼくの目の前から社会という虚像が剥がれ落ちた。評価されている、話題の、そういうものではない、それが何か、コトバを与えるとしたらやっぱり「生きている芸術」なのだと思う。それは雑草のように名前もなくただそこにあるけれど、耳を澄ませば、目を凝らせば、未だみたことのない、感じたことのない気持ちをぼくに与えてくれる。

明治以前に「社会」というコトバはなかった。福沢諭吉はSocietyを「人間交際」と訳している。

ぼくは制作するために時間を作っている。表現者として生きていくと決めたときから。つまり仕事も予定もない空白の時間。他人からするとそれは「暇」というものらしく、よく頼まれごとをする。

「いま忙しいから手伝ってくれないか」
知り合いが困っているなら助けよう。料理屋、鉄工所、植木屋さんのお手伝いをした。初日はいい。人助け。役に立ってよかった。けれども数日続くと自分も相手も変わっていく。

ぼくは自分の時間が、つまり制作のために空白にしていた時間が愛おしくなり、何か制作しなければという焦りに似た気持ちになっていく。相手は忙しさが和らいで、落ち着き、できるならこのまま手を貸してほしいと思う。

ぼくは働くのが嫌いだった。なぜ働くのか。そうしなければならないのか。納得のいく説明を聞いたことがない。学生の頃は日雇いの建築現場とか引っ越しとかコンビニのアルバイトしかやれなかった。なぜならお金にはならないけどやりたくて仕方ないことがあったから。だからアルバイトしてもすぐクビになった。理由はボーっとしているから。ようするに気が利かない。そのはずで、ぼくは隙があればしたいことについて考えを巡らせていた。音楽のことだったり、作品の構想だったり、遊びのことだったり。

だからぼくは、自分がしたいことを仕事にすることにした。頼まれてもいない頭に浮かんでくる空想をカタチにすることを。

28歳からはじめて今、48歳になってやっと少しだけそれが仕事になるようになった。妻と描いている絵が売れるようになった。夢だった本も3冊出版した。目の前の現実をつくる、生活そのものをつくる、というコンセプチュアルなアート活動が移住した北茨城市に受け入れられて、仕事になって生活芸術とランドスケープアートに取り組んでいる。

何かをつくるということは、空白の時間から湧き出す水のようなものだ。

だから確かに他人からは透明で見えない。何もないのだと思う。それはボーっとしているようにも見える。だけど決して怠けているわけじゃない。ぼくは命懸けでこの空白をつくっている。頼まれることも、目の前のお金になる仕事も放りだして。だけどあまりにも透明で、自分が作り出した「透明の時間」を忘れてしまうことがある。そんなときに仕事の依頼をされる。だから仕事を頼んでくれる人に感謝したい。そのことをこうして思い出させてくれるのだから。

最近読んだ「翻訳語成立事情」という本に「社会」というコトバはSocietyという単語が輸入されてつくられた概念だと書いてあった。この本は明治以降に翻訳された日本語を解説してくれる。西欧化される前の日本人の感覚を言語化してくれる。

それはそれとして社会というコトバに到達するまでにいろんな試みがあって福沢諭吉はSocietyを「人間交際」と翻訳した。

ぼくは目に見えない巨大な欲望を追いかけて目の前の人間のことを忘れていたのかもしれない。社会に飲み込まれて。だから、ここからは社会というコトバを消して、人間交際、つまり生身の人間と出会い、語り、ときには助け合い、そうした交流のなかで自分のSocietyを再構築したい。

書くこと。抵抗する武器。

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今日は草刈りの仕事だ。植木屋さんに誘われてアルバイトにいく。これはぼくの今日の仕事だけれど、一週間後には違うことをしている。

ある一場面を切りとってみたとしても、それは何も代表しないし、何も理解しない。つまりぼくが何者なのか、という問いは、とても長い道のりを横断しなければ、その断面を明らかにしない。自分のことですら、こうなのだから、ほかの何ものについても、それはそれは長い旅を続けることになる。

続けることだ。

だから、ここでは書くことを続けている。誰かに届ける前の何ものでもない文章を。自分がしていることを書いている。ときには考えたことも。書くことのためにいろいろな本を読んでいる。書き方を学ぶために。おかげで自分の趣味や指向性があって、スッとコトバが入ってくる本がある。そうではない本がある。

本を読んで文章を書いて、頭の中に思考回路をつくる。自分で考える道を拓く。そのときコトバは自律する。

多くの本は、他者を書くことでコンテンツを浮き彫りにする。そうすることで中身を担保する。クオリティを。その装い、ファッションを。ドゥルーズがとかニーチェが、と彼らのコトバを借りてくれば、それらしくなる。しかし自分がしていることの小ささを他者の引用で担保したくない。誰かに刺さらないとか、いいね、がたくさんつかないとか、そんなことで、自分のしていることの唯一性を否定する理由はどこにもない。これは原石なのだから。

書くとは、英語のwriteで、語源は「wirtata-引っ掻く、彫る」。書くことの起源は、文字の発明、そもそもは記録することに遡る。記録することは管理することだった。つまり文字は管理する側の道具だった。権力の。しかし今は行き届いた教育のおかげで誰もが文字を扱える。コトバを操ることができる。ここでは、管理する側へ抵抗するためにコトバを扱う。抵抗と言ってもファックとかノーと騒がない。むしろこっそりと従っているようでルールの抜け道を探る。

書くことは、社会に隷属するためではなく、社会から逸れて、社会を更新するためにするのだ。道は予め用意されてしまっている。その標識を歩いても、ルールの内側をぐるぐる巡るばかりだ。だから、道のないところへコトバを拾い並べて森に小径を切り拓くように踏み込んでいく。

どのように生きるのか考えること。「生きる」という現象も、360度展開する。上下左右、現在、過去、未来、勝ち負け、賛成反対。道を逸れるには、とりあえず、後ろ向きな方を選択しよう。とりあえず負ける。とりあえず過去へ。零れ落ちるモノたちは自由を獲得する。管理するに値しないモノたちは、反乱する自由を持つ。

広告やスローガン、成績や売り上げ、数の支配から脱するために思考する。自分のコトバを育てる。そうやって抵抗したとしても、どういう訳か、何度やってみても、ぼくらの存在は取るに足らないつまらないものだと思考に陥ってしまう。

負けっぱなしじゃ面白くないし、そうやって引用する。再び負けだ。

ドゥルーズは、A.Nホワイトヘッドの概念「セルフエンジョイメント」に愛着をみせた。それをどんな存在も観想すると説明した。花や牛は観想しながら自分で自分を充たし、自分を享受するのです。自分自身の要件を観想するのです。

セルフエンジョイメントはエゴイズムではない。この喜びは、自分を、自分とは異なる元素たち、つまり他者たちのまとまりとして観ることだから。他者たちを自己よりも先立てる。他者になるほどに私たちはますます自己になる。

セルフエンジョイメントとは「全体化不可能な断片の世界」に対応している。

千葉雅也「動きすぎてはいけない」より

 

せめても、自分の捻り出したコトバで締め括ろう。他者の引用ではなく、自分自身の内側にある他者を拾い集める。それが自分自身を映す鏡だ。

芸術、社会、文化、自然、夫婦、コラージュ 、廃墟、草、木、開拓、草刈り、炭焼き、描く、書く、火、桜、土器、粘土、廃材、言語、紙、詩、音楽、創作活動、パピエマシェ、バンド、メッセージ、パンク、ヒップホップ、ロック、ブルース、サーフィン、海、舟、健康。

薪が濡れている日はゆっくり火を行き渡らせること。

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雨が降ったあとは、火が上手くつけられない。杉の葉っぱで火を熾しても、濡れた木に消されてしまう。そういうときは乾燥した小さな端材に丁寧に火が行き渡るように燃やす。毎日、薪で風呂を沸かしているから、そうやって火に触れている。それだけで太古の人間と繋がっているような気持ちになる。だから火を焚き続けたい。人間らしく生きるために。

ぼくは妻と二人で北茨城市の山間部に暮らしている。あと犬と。この土地に生まれた訳でもなく、生き方を求めて彷徨って流れ着いた感じだ。人は生まれる場所を選択することはできない。もちろん時代も。だからはじめに配られたカードを総入れ替えするのもありだ。すべての可能性やチャンスをシャッフルする冒険に賭けてみる。

いまは2022年。ぼくはもうあと数日で48歳になる。いまは決してよい時代ではない。コロナウィルスが社会を変質させて、ロシアはウクライナと戦争してて、物価は高騰している。けれども、いつの時代も良かったことなんてなかったのかもしれない。世界のどこかでは戦争をしていて、飢えている子供たちがいる。もし平和に感じることがあったとしても、それは見えていないだけのことだ。

この日記を書いていたら妻に呼ばれた。

「ちょっと見て欲しいから長靴を履いてきて」一緒に家の前の畑に行くと、そこは水浸しになっていた。今日の雨で水が流れて溢れていた。水のルートを調べてみると、ここは元々、田んぼだったから水が流れて溜まるようになっていた。つまり何十年も前にデザインされた土地はしっかりといまも働いていた。対策としては水の流れを変えるか、畑の場所を移動させるかだ。ぼくは畑をやっていない。妻がやっている。あまり上手くいっていないにしても、やる事自体に意味がある。そう考えられる余地が生活には必要だ。

昨日、大学生が取材に来てくれた。ぼくは話しをするのが好きだから、話を聞いてくれることが嬉しい。誰かに話しをするとき、自分の考えていることがシンプルな言葉になる。

いまは良くない時代でもしかしたら酷い時代なのかもしれない。ぼくは10年前にもそう感じた。東日本大震災原発事故だ。そのとき社会も壊れることを知った。同時に自分も加害者で壊した側の人間だと思い知った。電気を使って、それがなければ生きていけない暮らしを選択していた。だから新たに社会がエラーしても影響を受けないようなライフスタイルそのものを作ろうと決意した。

それをきっかけに仕事を辞めた。39歳だった。都市、田舎、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、いろんな場所を旅していろんな生き方を見た。本を読んだり調べたりして、自分にちょうどいい暮らし方を模索してきた。

それは社会に従って生きるだけでなく、自分で考えて、ときには勇気を出して周りとは違うやり方を選択することだった。ぼくのしていることはぼくにとって心地よい暮らしで、さあみんな同じように暮らそうぜ、と呼びかけたい訳ではない。生きるとはどういうことなのか、もっとより快適に生きる方法とか、過去と現在と未来の組み合わせ方とか、そういう思考と実践の軌跡を言葉にして、本にまとめたいと思っている。

ぼくは生活を作った。絵を描くことや文章を書くことを仕事にするために。絵は描けば売れるようになった。すべてではないにしても。とは言え、妻と二人で制作しているから、たくさん絵を作れるわけでもない。作ろうとするのではなく環境とか状況が作品のイメージを浮き彫りにしてくる。ぼくはそれを取り出す。そのスケッチをする。もちろんこの先には、自分の表現をより世の中へ伝える使命がある。ぼくと同じである必要はないにしても、空想の世界を描くだけなく自分の日常生活をそれぞれのアートとして取捨選択して作るようになれば、社会は変わる。しかし伝えることは、北風と太陽みたいなもので、頑張るほど北風になってしまう。

日々の出来事や考えたことを文章にしている。記録することが書くという行為の原点だと思う。自分のしたことを言葉にする。すべては記述できないから記憶に編集される。自分の歩いてきた道を記すこと。そうやって記録されたものはこの社会の何億分のイチの現実を切り取っている。それを磨いてカットして輝かせてみたい。つまり自分でレイアウト/デザインして本にする。本は言葉のアート。研ぎ澄ませば詩に接近していく。何度も推敲して輝くまで。印刷所に出して製本してもらう。それが作品になる。これは儲かるほどは売れていない。けれどもう4冊出している。経験を積んで本を作れるようにはなった。本は出版流通されなくてもぼくは本を作ることができる。作ることによって自分が制作されている。人生をつくる仕事、つまりライフワーク。もちろんこの先には、商業的に流通させるという課題がある。

このできていない部分を含めて循環が成立しているのは、現時点で安定した収入である北茨城市からの地域支援員としての給料の20万円。この仕事は予想もしなかった位相から立ち上がってきた。やりたいこと、目の前にあるやるべきことに取り組んできた結果、それが仕事になった。つまり全方位に可能性が埋まっている。やって無駄なことなんてない。

していることは、いま暮らしている山間部の風景を作るという珍しい仕事だ。草を刈ったり、花を育てたり、木を伐って炭を焼いたりしている。おかげで、生活そのものをつくる生活芸術という実践をやれている。古くて新しい、普遍的なアートだと思っている。生活と仕事と自然と遊びと表現の一致をアートとして論じること。このドキュメントを一冊の本にまとめてみたいと考えてこれを書いている。

上手くいくことも、上手くいかないことも、それら全体でぼくの生活はつくられている。石ころを拾って眺めるように、小さな些細な出来事を拾い愛おしく抱きしめて、ゆっくりと表現していこう。知ってくれている人がいる、これを読んでくれる人がいる。どれだけ勇気を貰うことか。