いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

変態性を解放するディテール

していることの意味を確かめたくてコトバにする。今朝は桃源郷の看板をつけた。看板をつけたことで、何もない限界集落だった地域は桃源郷になった。空想のランドスケープが現実にインストールされ誰の目にも映るようになった。妄想は現実化する。

バリ島に暮らす同級生のツトムから「おはよう」とメッセージが来てLINEで話した。バリ島と通話料なしで動画で会話できる。これだって10年前には未来のテクノロジーだった。

サーフィンと戦争の話をした。戦争を欲する奴らがいて、現代社会の経済活動の一環になっている。それは産業だ。つまり兵器を消費しなければならない。世界中に紛争地域があって、その火種を育てる奴らがいる。ウクライナとロシアが戦争をしている。ほんとうに戦争をこの世界から無くしたいなら兵器の生産をしなければいい、という国際社会にはならない。むしろ平和や反戦と声を上げると、何も考えてない平和主義者みたいな扱いをされる。理想も語れない。つまり今起きている戦争は想定内。という話をした。それをすっかり飲み込めてしまう現状が恐ろしい。戦争はなくす方向でイメージしていきたい。妄想だとしても。

5月に愛知のグループ展に出すインスタレーションを制作している。木と土器でつくった女神像と炭窯の模型と、いくつかの絵とオブジェで構成されるモニュメントになる予定。先週はタイトルの締め切りでチフミと相談して"女神は言った「いつもしていること。それが幸せであるように」"というタイトルにした。いつもは売ることを前提につくるけれど、美術館でのグループ展示だから販売はなくて、おかげで売れないモノをつくっている。それはそれで目的が明確になっていい。

週末は、里山を再生している桃源郷を撮影してくれている友人が来た。夕方に近所の人たちも集まって久しぶりにBBQをした。88歳のあっちゃんは、ルリという鳥がもうすぐ見れると教えてくれた。若いときは小鳥を獲ったらしい。教えてほしいけど違法なのかな。アトリエのお隣の小林さんは、荒地を池にしてニジマスを養殖したいと話してくれた。釣り堀にできるとか。荒地がひとつ減って楽しみが増えるなんて素晴らしい。ここ桃源郷現代社会からすれば、限界集落の土地に価値もない終わりつつある地域なのだけれど、だからこそ土地への欲や執着が消えて、ユートピアになりつつある。見える人にはユートピアに見えるし、見えない人には何もない限界集落だ。価値とはすべてそういうことだ。

日曜日の朝は「いはらい(江払い)」で水路の掃除をした。地域の人たちが顔を合わせて一緒に作業する。こんな日は年に一回しかないから貴重な時間。溜まった落ち葉を掻き出すと、それは堆肥にも使える。自分はやることが多すぎて畑はやってないから、手を出さないけれど。いつかやりたい。

「いはらい」のあとは、桃源郷を撮影に来たメンバーと、たらの芽を探しに行った。川向こうの山に行ってみたくて、石を踏んで川を越えて未開拓地に入った。まだ春の暴れてない草木を掻き分け入っていくと道があった。木を切り出したときに作った道だろう。そこを歩きながらたらの芽を採取した。たらの芽に似ている芽があって調べたら、ウルシの木だった。ウルシの木は厄介だと思っていたけれど、身の回りのモノを駆使して制作するなら、天然接着剤のウルシにも利用価値がある。もしかしてこの地域にウルシの木もあるかもとここ数ヶ月探していたけれど、意外なところから発見できた。

考えてみれば、類似から派生して知識は広がっていく。インターネットの検索がなかった頃は、影響関係を辿ったり、時代やジャンルから興味を広げていった。例えばパンクロック熱は、ピストルズやクラッシュをきっかけにイギリスのDIYバンドCRASSを知り、その表紙を手掛けるジー・ヴアウチャーのコラージュに遭遇した。彼女が手掛けたTackheadの顔を覆う自由の女神は傑作だ。今やっているバンドNOINONEも個人的にはCRASSを参考にしている。

10代20代は音楽に夢中で、未だ知らないサウンドを求めて、やがてジョンケージの4:33に遭遇して衝撃を受けた。無音も音楽だという。その発想は、マルセルデュシャンの便器と鈴木大拙の禅から生まれたことを知った。なるほど便器が芸術であるなら無音も音楽だと。おかげで、それなら生活を芸術にしよう、とぼくは発想している。デュシャンが作家レーモン・ルーセルに触れていて、文学の極北とも言えるルーセルの表現について大学では卒論を書いた。おかげで言語と文字に興味を持つようになった。

今も同じだ。新作はまさに類似から派生したものの集合体になっている。炭窯の模型、木を削って土器の仮面をつけた女神、原始文字を書いた石、、

ここ数週間は自分で動画を撮っているけれど、どうもyoutubeの引力に負けている。Youtubeというメディアのフォーマット、収益への欲。アドバイスされたのは「ひとつのことのディテールを深掘りしたらいい」とのことだった。それと「変態性を解放する」こと。

ひとつのことのディテールと言えば、100%身の回りのもので作品をつくることを目指してきた。アフリカで泥の家を建てて、サバイバルアートというコンセプトをつくって8年。ようやく日本でもカタチになってきた。炭窯自体がサバイバル技術の究極だし、つくっている炭窯の模型も実際の炭窯近くの粘土を採取してそれを形成してる。直径40センチの大きさで扱いに手こずった。売っている粘土のように均質ではないし、小石やいろいろ混じっている。そもそも自然にある粘土だから、どんな風に固まるのか分からない。焼き上がりも不明。けれども人類が土器を焼いきはじめた頃、身の回りの土を焼いていたはずだ。

まず粘土を棒で伸ばして平たくして、ドーム型にした新聞紙の上に載せてみたけれど、バラバラに裂けてしまった。そこで実物の炭窯を思い出して、窯の周囲下方を厚くして天井は薄くすることにした。あとは気合い。「絶対にカタチにする」そういう意気込みが大切だったりする。練習だからとか思えばそれは練習でしかない。本番は一回きり。おかげで炭窯のカタチを作ることができた。翌日になってもひび割れていない。ということは、身の回りに土器をつくる粘土を発見し、ある程度のオブジェをつくれるようになった。あとは焼きあがり次第。Without buying, hunting materials from nature シリーズだ。(買わないで自然から採取する素材シリーズ)

土器の魅力とは何と言っても、人類が最初期に作ったモノだということ。縄文とか、そういうスタイルはどうでもよくて、身の回りにあった粘土を使って便利を生み出した。そこに注目している。器が必要だった。煮炊きするために。土器は火の中から生まれるところに興奮する。探究しているのは、生きるための芸術だ。作品にも生きているものと死んでいるものがある。命あるもの。はじめから命がなかったもの。

美術館やギャラリーでは、生っ木や、竹、土、草花、などの生ものはよっぽどの手続きを踏まないと展示できない。だから、それらを死んだ状態にする。乾燥させる、火を通すなど加工する。土器は生きている有機物を焼いて無機物に変質させる。美術館にあるモノたちは死んでいる。死ななければ美術館は陳列を許さない。では生きている芸術はどこに? アトリエに野外に自然のなかに。ぼくは桃源郷に生きているアート作品を展開している。そして美術館にそれらを並べるためには、殺すか代用品に巧みにすり換えて、芸術らしい作品を展示する。それはそれで芸術作品らしい死んだオブジェになる。

ところで最近気がついたのは、ぼくは何も上達していない。技術がない。しかしそこを目指している。絵も上手くならない。建築も中途半端。土器は陶芸のレベルに到底達しない。歌もヘタ。すべて技術以前の何かへと探究している。それはモノがあらわれた現場。絵以前のもの。建築以前の人が暮らすためのシェルターだった何か。土を器にしたその発見。歌になる以前の声があらわすもの。上手い下手ではない何か。それは何か体験しながら与えるコトバを探している。

楮をみつけて、紙を作ろうとしている。工程の半分くらいやってみた。炭焼きで桜の木は柔らかくて筆記に適していた。つまりデッサンの木炭をみつけた。それからこの地域ではお茶が採れる。去年は紅茶を作った。どれもこれも、生きるための芸術という活動の断片だ。行動から産み落とされる。だから動画をやろうと考えた。"Art is the doing words"

考えたことを行動してカタチにする。まずはそれだ。他のことはすべて後から付いてくる。頭に浮かんだイメージを検証や比較せずに手を動かす。そのエラーがオリジナルになる。行動の断片を組み合わせれば、太古から現代までをリンクさせた芸術人類学を表現できる。桃源郷の芸術という、ここにしか存在しない表現を目指している。

 

やりたいことをやれ。でなければ死ぬぞ。

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やりたいことがある。それをやる。しかし、それがお金になるかどうかの問題がある。お金にならないのだったら諦めるという選択を迫られる。何のためにお金が必要なのか。その問いに答えないまま人は選択する。諦める。お金を稼ぐ。しかし、いろいろやってみたところ、お金は生きるために必要なのであって、欲しいモノを買うためにでもなく、誰かよりもよい暮らしをするためでもない。お金は食べ物を手に入れるとか暮らす家を手に入れるとか、まずは死なないために手に入れる。けれどもいまの社会では初期設定が見えない。多くの場合は生まれたときから家もあるし食べ物もある。親元を離れて暮らしはじめたときの基準が高い。最低ラインを知らないのが恐ろしい。人間も動物だから簡単には死なない。だとしてどうしたら死んでしまうのか、その命について知らない。ぼくも知らない。だから学ぼうとしている。話を戻すと、つまり生きるに足りるお金を設定すれば、お金を目的としない環境をつくれれば、やりたいことはできる。やりたいことをやらないと健康を損なう。やりたいことがない? それは小さなやりたいを解放しないからだ。何事もはじめは小さい。やがて大きくなる。
現代社会ではお金は必要。けれどもそれはツールだ。道具であって目的ではない。いや目的にもなる。けれどもその道は険しい。競争がある。勝ち負けがある。ぼくはたぶん小学生くらいのころに負けている。人間は負けてからが長い。むしろそこからが勝負だろう。自分との。誰かとの比較じゃない。

だから競争から離脱した場所を切り拓いている。なぜなら、勝者よりも敗者の方が多いから。勉強ができる人が優秀な人間なのではない。お金をたくさん稼ぐ人が優秀なのではない。人間に優劣はない。表現に優劣はない。あるのは判断する側の欲望だけだ。そういう領域を開拓している。水は高いところから低いところに流れる。

「なりたいもの」と「やりたいこと」は違う。例えば「お医者さんになりたい」と「人の命を救いたい」や「建築家になりたい」と「家を建てたい」のように。だから「芸術家になりたい」と「表現したい」も違う。
最近は動画を撮りはじめた。それを編集して映画監督の友達に観せた。厳しい意見を貰った。「何がしたいのか分からない。長い。無駄なカットが多い」「究極に短くした方がいい」というアドバイスだった。
動画をYoutubeにアップする予定だった。Youtube月に何十万円も稼ぐ友達のことが頭にあった。俺もヒットしたらいいな。でもそもそも動画をはじめた動機は、いましていることを映像でレポートしたい、という思いだった。友達のアドバイスで、いろんなことを考えるきっかけになった。動画をやりたかったのにYoutuberになろうとしていた。恥ずかしい。思ったことを言ってくれる友達は大切だ。
ぼくはミュージシャンになりたかった。映画監督になりたかった。小説家になりたかった。ぼんやりとアーティストになりたかった。夢は叶っていまは「芸術家です」と自己紹介している。やりたいことをやり続けていたら芸術家になっていた。はじめは恥ずかしかった肩書も、いつの間にか馴染んでいた。それは続けることであって、なるということはほんの通過点でしかなかった。

ぼくは40代も半ばを過ぎて、現代社会の混迷を目の当たりにしている。この時代を目撃している。10年前に原発事故があって、その10年前にはアメリカニューヨークで貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ。そうやって戦争は起きた。思い出す。嘘とも本当とも分からないニュースが目の前に飛び込んできた。
ここ数年はコロナウィルスで、人の動きは抑制されて経済が回らなくなった。そこにロシアとウクライナの戦争が起きた。ガソリンは高騰してリッター170円を超えた。ウクライナが主に生産輸出している小麦の値段が上がった。食生活に影響が出てきた。コロナウィルスの影響で輸入木材が流通しなくなって木材が倍近い値段になった。

友達と話したときのこと。「もし家族を殺されるなら俺は戦争も仕方ないと思う。俺は戦う」と言った。

そんなとき。ぼくは舟を作ろうとしている。27歳のとき、アーティストになると決意したとき、手あたり次第に自分のアートを探求した。芸術とは何か。それを知りたかった。だから40歳を前に世界を旅して自分なりに答えを探した。「芸術」が日本語になったのは明治時代のことで、それ以前は日本にはない言葉だった。アートという言葉が輸入されてその概念が生まれた。アートの語源はラテン語ではアルス。技術を意味する。ギリシャ語ではテクネー。見えるようにするという意味がある。つまり見えないものを見えるようにする技術がアートだ。
スペインでは自作のボートに乗って絵を描く作家に出会い、アーティストの生き方を学んだ。アフリカのザンビアで泥の家を建てて生活は表現になった。芸術とは生きるための技術であり、表現するとは毎日どのように過ごすのか、その生き方そのものをつくることだ、と考えるようになった。それを伝えるためにサバイバルアート、生活芸術、という言葉を作った。日本で表現活動をするためには、表現を続けられる生活環境をつくる必要があると考えた。だから空き家を改修して家賃をゼロにした。家を直す技術は舟をつくるために身につけた。そのために海の近くに引っ越した。2013年に舟に出会っていま2022年だから約10年かかって舟をつくるタイミングが来た。
生活そのものを作ること。それが現代の最前線のアートだと考えている。表現者がどのような観点で社会と関わっているのか。それを根底から表現しないでどうして社会を変えていけるだろうか。それを伝えることがぼくの仕事だ。「やりたいこと」は「やるべきこと」に役割が変わった。自分がしてきたことを残し伝えていきたい。しかし誰でも表現できる現在、わかりやすいものが強い。難しいものは伝わる前にスキップされる。大量の表現が同じ情報として並列される。意味は薄くなり軽くなっていく。でも、これが時代の流れだ。そのなかに自分の伝えたいことを刻んでいく。もうこんなブログは伝えるメディアとしては化石だろう。でも自分の思考を耕して言葉にする家庭菜園ほどのフィールドにはなっている。
作品をつくることを生きている限り続けていきたい。それは息をすることと同じ。自分が自分であるための運動。絵を描くことやオブジェをつくること。文章を書くこと。大地のうえに作品を残すこと。ランドスケープをつくること。旗をつくって炭窯に立てた。自然のサイクルのなかで少しずつ檻之汰鷲のアートが育っている。ぼくたちにしかできないことがある。それを2人で抱えて動き回っている。

やりたいことはいつもできるとは限らない。タイミングがある。瀬戸内海の島を拠点に活動しているプロデューサーからNFTを使った企画の誘いがきた。10年前くらいにその人が廃校で滞在制作をプロデュースしていて行ってみたいとコンタクトしたことがあった。それ以来SNSで繋がっていた。コロナの影響で人の移動がなくなって代わりに動画でミーティングするようになった。それでプロジェクトに誘ってくれ打ち合わせしている。その流れで舟をつくるかもしれない。舟をつくることになったのだけれど期待はしない。予定は未定。でもやる。それだけだ。
生きることが表現で生活を芸術にしてみると、アートは生活のなかに溶けた。ぼくが暮らしている場所では生活のなかに空気のようにアートが存在している。見える人には見えるけれど、見えない人には見えない。それをどこまで見えるようにするのか、できるのか。そのために技術がある。アートがある。アートの原始から現代までをシンプルに表現する。伝わり難い活動を可視化すること。これが課題だ。そのための動画だった。やりたいことがブレてしまっては何をしているのか伝わらない。生きるための芸術とは、死なないための表現でもある。永遠に初心者だろう。

映像による生きるための芸術の記録

アクションカメラを買って動画を撮影している。毎日していることを記録しようとしている。時代はすごい速さで変わっている。文字と映像では伝わる量とダイレクトさが違う。実際にやってみてそう感じた。けれども文字というメディアがなくなることはない。文字が発明されたそのときから人類の発展に貢献してきた。イメージすることは映像に繋がる。しかし思考することは言語の仕事だ。こうして自分と対話するのも文字の仕事。

映像に触れて「コトバ」というモノとの接し方が少し変わった。自分がしていることのひとつに「詩」があることに気が付いた。10代の終わりにバンドでオリジナル曲をつくって詩をつけた。メロディーはなくてコトバが先に生まれた。そこに自分の原点がある。

詩はコトバの結晶だ。最小限のコトバで多層的な意味を描き出す。映像に少しだけ文字を添えると映画のようになる。テキストが字幕を演じて物語の世界へ導く。

生活をつくるという活動をして、ぼくの世界は空想も現実も同じレイヤーにある。理想を絵画に描くように現実世界をつくる。現実世界を美しくする努力をしないで、どうやってよりよい社会をつくることができるのだろうか。それを表現者たちがやらないで誰がやるのだろうか。

一日輝く
今一瞬
テクノロジーの進歩を感じた。Youtubeに映像をアップするときにテロップを付けられるらしい。そのテキストを多言語に翻訳してくれるそうだ。ぼくが勘違いしていなければ。だとすると短いテキストを映像に添えれば、そのコトバは世界中に響かせることができる。日本語のひとことが、英語中国語スペイン語アラビア語に変換される。それはバベルの克服だ。

人間は神へと近づこうとして天にも届こうとする塔を建設して、神の怒りに触れ、コトバをばらばらにされてしまった。もしYoutubeに添えたテキストが多言語翻訳してくれるのなら生きるための芸術という活動の記録は、新しいフェーズに突入する。映像がしてくれる仕事があって、文字はもっと文字にしかできない仕事に没頭できる。いま編集した映像を動画ファイルに書き出ししている。今しているやり方であれば、毎日していることがそのままコンテンツになる。今日は炭焼きをした。昨日は土手のふきのとうを採って天ぷらにして食べた。明日は桜の木を移し替える。明後日は旗を立てる。ぼくのしている芸術活動は、絵でもないし彫刻でもないし、美術館やギャラリーに展示するためにつくっているのでもなく、現実の今日明日、目の前に広がる世界をつくっている。ぼくはゴーギャンの問いに返答している。その先にぼくの問いをみつけたい。その先とは原始にある。良いも悪いもない、それ以前の例えば水を飲むために器をつくったとき。それは水が飲めれば器だった。美しいとかは問題にもならなかった。人間に一流も二流もなかった。モノは存在し人間は生きていた。そこからやり直すことがぼくの生きるための芸術だ。

春は新しいことをはじめる季節

これは日記。起きていることを記録している。妻の実家、長野県岡谷市にいる。姪っ子の冒険のサポートをしている。姪っ子は「なんでもチャレンジ」を目標にしている。素晴らしい。この春は両親の元を離れておじいちゃんおばあちゃんの家にステイする冒険をしている。

世の中は、どうしようもないほど崩壊しているように見える。ロシアはウクライナと戦争をしている。でも戦っているのは、ウクライナに暮らす人々とロシアに暮らす人々だ。殺すのも殺されるのも。一体誰が戦争を欲しているのか。

2020年代の戦争は情報をコントロールする。真偽のわからないまま歴史が刻まれていく。生活から根こそぎ戦争に巻き込んでいく。戦争で儲けている奴らがいて、そいつらが戦争を欲している。国家はそれを分かっている。日本もアメリカも中国もロシアも。場合によっては戦争が必要だとプロパガンダさえしている。

週末は、水戸でバンドのリハーサルに入った。去年からネット上でミーティングを繰り返してデモ曲を仕上げてきた。今までスタジオでやっていた作業の多くをネット上でやれるようになった。先の見えない混沌とした作業がスタジオワークから消えた。おかげでスタジオはデモ曲にボディとソウルを注入する作業に専念できるようになった。25年続けてきて、ついに自分たちの制作スタイルが確立した。

F.T.B.という曲は、ファックザバビロンの略。バビロンとは紀元前メソポタミアにあった都市。バベルの塔があった場所という説もある。レゲエでバビロンといえば「権力や力を持った人間による、独占的な利益に牛耳られた仕組み」を意味する。

この曲の詩を書いたのは、去年の夏頃だったから、まだ戦争は起きてなかった。今とは意味合いも変わってきている。だから歌詞を少し変えるかどうしようか。まあ、やってみて考えるのがいい。

愛国心を持つなら地球に持て。

魂を国家に管理させるな。

jimi hendrix

スタジオに入って数ヶ月ぶりに20年来の友達と話して、Youtubeの話題になった。自分はまったく観ないのだけれど、バンドのメンバーはよく見るらしく、youtubeをやった方がいいと勧められた。今までずっと言われてきた。しかしいよいよやった方がいいかな、と思い始めてきた。

気持ちが変わったポイントは、自分を撮影するのではなく、頭にカメラをつけて、目線だけで番組が作れるということ。それならやっている自分をイメージできた。

自分のしていることは、"art is doing words"だ。つまりアートは行為だと考えている。絵を描くことは、絵のモチーフと出会う行動によって生まれる。オブジェもその素材やカタチに出会う行動によって生まれる。

表現には「伝える」という行為が必要だ。表現の成立条件ではないけれど、継続する必要条件になり得る。表現を続けるには、知ってもらう必要がある。それに対して何らかのリアクションが欲しい。それが対価だ。絵やオブジェだったら、売れることや楽しんでもらうこと。今までは行為の部分を文章にして伝えてきた。SNSや本にして。それが映像に変わろうとしている。

今「語るピカソ」を読んでいる。第二次世界大戦の前後、ピカソを中心にした当時の様子が伝わってくる。絵画や小説が、どれだけ時代をリードする表現だったか。それでも戦争はどこからかやってきて世界を覆った。景色は戦争へと少しずつ色を変えていった。絵画も小説も戦争を止めることができなかった。それは今も同じなんだと思う。ガソリンが高騰し始めている。小麦やら輸入品が値上がり始めている。戦争を支持する生活者なんているはずないのに、それはやってくる。生活の底に戦争の根が張り巡らされている。

妻の実家に滞在すると、居心地がよくて怠け者になる。なんでも揃っている。これが家というものだ。一方で自分で作った生活空間は便利ではない。かなり風変わりなライフスタイルになっている。それが自分らしくあれる。ここなら戦争から生活を切り離すことができるように思う。

自分がいま手掛けいる作品は「里山を再生してそこに暮らし表現者として生きていく」というドキュメントだ。高校生のとき、夢は映画監督だった。その夢を叶えるために受験勉強をした。日大芸術学部の映画学科を目指した。けれども落ちて、映画は遠い存在になってしまった。

7歳の姪っ子が教えてくれた「なんでもチャレンジ」だ。大学に行ったら映画監督になれる訳ではない。美大に行けば芸術家になれる訳でもない。3月の終わり。4月から新学期。始めるにはちょうどいい。

環境芸術というコンセプト

アート。芸術。そういうものを目指して取り組んできた。没頭できて、それが仕事になって尚且つ有名になって成功できるのだとしたら、それを目指したいと思った。その背景には「働くこと」への抵抗がある。たぶん、それが正直なところ。いろんな仕事をしてきたけれど、どうして働かなければならないのか、納得できたことがない。怠けたい訳じゃない。理解したい。心の底から。1ミリの疑いもなく全力でやりたい。自分が朝から晩までやる仕事を使命と信じて。

幸いアートはその想いを受け入れてくれた。いくら熱中しても無駄になることもバカにされることもない。すぐにお金にならなくても、未来に投資をしていると考えることができた。何よりやらされるという感覚はゼロですべて自分で考えてカタチにする。やればやるほど成長していく。限界はない。そんな熱量で表現していくうちに「芸術とは何か、生きるとは何か」という問いにぶつかった。それは巨大な壁。まるでモノリスのような謎だ。それ自体を観察して思考することもまた表現活動になった。生きるとは何か。素直に考えてみれば至る所に「なぜ」が湧き上がってくる。とてもシンプルに不思議で仕方がない生きるという生命活動。表現することは、湧き上がる「なぜ」を掬い取って実体化することだと思う。答えではなくその問いをカタチにする。

表現とはどこからやってきて、どこへいくのか。ゴーギャンは「われわれは何処からきて、何者か、どこへいくのか」と生涯を賭けた傑作のタイトルでそう問う。

ぼくの表現活動は先人たちの表現に心を動かされ、それを吸収し土壌になって、そこから萌芽している。その芽が花や果実となってまた誰かの心を動かす。そう願う。そうやって世界は記述され読み解かれていく。

だから、ぼくにとってのアートとは絵画だけではない。文学も映画も哲学も宗教も日々の生活すらも、それはどこにでも見えるし採取できる。

改めて、自分が影響を受けた作家や作品を並べてみると、はじめに期待したような有名になって成功するようにはならない気がしている。それもいい。続けられるなら。

宮沢賢治ラメルジー、レーモン・ルーセル、CRASS、リチャード・ロング。つまり、詩人、ラッパー、コラージュ、偶像破壊主義、文学、言語、パンク、DIY、ランドアート。それが檻之汰鷲だ。そして妻チフミとの共同作業。「おりのたわし」とは「檻のような社会からアートの力で大空を自由に飛ぶ鷲になる」という意味がある。まさに今そうしている。なりたいものに近づいている。なりたいものに近づく一方で、アートから遠ざかっていく。

いま全力で取り組んでいるのが、茨城県北茨城市里山での景観づくりだ。空想の世界をつくるのではなく、現実の世界をつくる。絵画をつくるのではなく、現実の景色をつくる。

アートは「生きる」と直結するベきだ、という理想を描いた。作家は人生そのものをつくるべきだ。作家が実生活をつくらずに、作品世界だけを作っていても社会は変わらない。けれども作家が想像力で作品をカタチにするように、想像力で現実をカタチにするようになれば理想を提示できる。SF作家のカートヴォネガットは、炭鉱でガスが出る危険を察知するカナリヤに作家を例えた。社会の危機を知らせるべきだと。

自分の生活そのものを作り続けたと結果、空想世界は現実世界になった。それは環境そのものを作ることだ。つまり空想を現実にすることはユートピアをつくること。それは現実空間であり、世界そのものをつくる行為だ。

ここにはズレがある。ぼくの空想を現実のうえにトレースしている。また別の人も同じ現実を見ている。同じモノを見ているようで、人の数だけレイヤーが重なってブレている。この現象のなかに理想郷をつくるのがハキムベイの提唱したT.A.Zだ。T.A.ZとはThe Temporary Autonomous Zone/一時的自立ゾーンと翻訳されている。ぼくがつくる里山は一時的な自立ゾーンとしてデザインされている。これは見立てでもある。

この里山、関東の最北端、東北の南端、その境目にある揚枝方という地区は、小さな山に囲まれた谷の集落で、現代社会からは何もないとされてほぼ放棄されている。12世帯が暮らすいわゆる限界集落という地域だ。水道も下水もない。この限界とは高齢化が進み、生活空間として、共同体集落としての維持が限界に近づきつつある、という意味を指している。

ここで起きていることは価値の崩壊だ。現代社会が提示する経済的価値基準を満たさない土地になっている。つまり土地に価値がない。ここで暮らすことはできるのに価値がないとはいかに。限界集落はむかしから何も変わっていない。変わったのは社会の方だ。むかしからあった価値は見えなくなってしまい誰も興味を示さない。しかし、ないのは貨幣的な価値だけで、むかしからある資源はいまも溢れている。水、空気、大地、木々、川、虫、鳥、動物がある。つまり社会の対極にある自然がある。生きるために必要なものが揃っている。現代社会はこれらを役に立たないと放棄する。

ぼくは既にあるものではなく、まだないものを創造したい、そう考えている。だから自分の属している場所を示すことができない。画家ではない。彫刻家でもない。小説家でもない。詩人でもない。けれども、そのどれも試みている。自分自身のみつけた技法で。

海外の友達に近況を報告したとき、ぼくのしていることは「environment visionary」だ。とコトバを与えてくれた。意味としては、幻想的な環境またはファンタジー世界は、多くの場合、建物や彫刻公園の規模の大規模な芸術的インスタレーションであり、その作成者のビジョンを表現すること。
ぼくが影響受けた作家に郵便配達員のシュヴァルという人がいる。郵便配達員のシュヴァルは配達中に奇妙な石につまづき、その石からインスピレーションを受けて33年の月日をかけて石を積み上げ宮殿を建設した。

こうやって言葉にして自分の現在地を把握している。ぼくがどこからやってきてどこへいくのか。それは今の自分が教えてくれる。

今を記録しておく。

昨晩は詩を書いた。20年以上やっているバンドのために。たぶん、自分の表現活動の原点は「詩」だと思う。心が震えるという体験を音楽が与えてくれた。短い数分の楽曲のなかに、限られた語数で伝えるメッセージ、ボブ・マーリージョン・レノンボブ・ディランローリング・ストーンズ、クラッシュ、最近ではMoor Motherというアメリカのアーティストに注目している。肩書きは詩人、音楽家、活動家。そのスタイルは、ヒップ・ホップに近いけれど、ヒップホップを指向したのではなく、コトバを扱う活動の延長でヒップホップに邂逅したのだと思う。

もうインプットは充分に思う。刺激を求めて漁ったり、採取しようと遠くへ出向く必要はなくなった。一日中、生活している場所で活動している。朝起きて、どこかへ働きに出るのでもなく、やるべきことに取り組む。

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新しく始めたのは鳥の観察。植樹した梅の成長が悪くて、それでもやっと花が咲いて嬉しくて、それを絵にしようと考えたとき、梅の花をこの土地にいる鳥と一緒に描くことを思い付いた。それで単眼鏡を買った。しかし観察初心者はいまのところセキレイしか捉えていない。それでも日本の神話では、子供の作り方が分からない神様に、別の神様がセキレイのようにお尻を振れば子供が産まれるというエピソードがあることを知った。

ここにあるもので楽しみ生活できれば、これ以上の平和はない。コントロールも支配も、妬みも欲望もない日々、世の中の混沌から一線を引く一時的な理想郷をつくること。表現をすることは、そのすべてなのだと思う。

3年間取り組んできたD-House プロジェクトが完了しつつある。これは廃墟を住宅に改修して、そこにあった産廃をコツコツと片付け地域のマイナスをプラスに変換するプロジェクト。産廃を処分する予算は作品やパーカーを販売して作った。檻之汰鷲のアート作品が売れれば、目の前の世界が美しくなる。あなたにとっては世界の片隅が美しくなる。想像世界と現実世界を一致させること。表現をすることがそのすべてである。

ゴミが片付いて更地になって、岩や瓦礫だけが残った。ユンボを持っている人に移動させてもらおうとしたら「自分でやれる」と周りのお年寄りに言われた。テコの原理を利用して重い石を移動した。それでも動かない石は割ることにした。道具は石屋さんが井戸を掘ったとき貸してくれたのが手元にあった。

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経験は代替えのない、誰にも奪われない技術になる。たとえ、それが一円にならないとしても身体が覚えていてくれる。そしてその技術がお金になる。お金をつくることより技術を習得する方が人生の錬金術だと思う。経済的には前者を錬金術というのだろうけれど。お金を目的化すると、喜びも愛も健康も失われていくように思う。

NFTを使った環境とアートの取り組みに誘ってもらった。今まではNFTはお金を儲ける新しい仕組み程度の取り組みしか見えなかった。少なくとも自分が見渡した範囲では。けれど、今回の話しは少し違っていて、ウェブ上の地図にマッピングされたコンテンツをアートとしてNFT化して、それをマネタイズして、環境に関するアート活動の予算をつくるという試みだった。まだ完全なロードマップではないけれど、舟づくりと結び付きそうな予感がする。

確かに環境に関する活動は、お金になりにくい。お金はまず欲望を満たすために動くのではないか。その意味では、環境に関する活動も、それをやろうとする人の欲望に直結している。人を巻き込むには、そこに2次的に参加する人たちの欲望を満たす必要がある。けれどもぼくは、自分が動くことしか考えていない。誰かを動かそうとはしていない。NFTの計画を聞いてそう思った。ぼくの欲望は生産することにある。消費では何も満たされない。

廃墟が片付いて、更地になって、石を動かして平地になって、そこに砕石を敷きたい。こんな欲望がある。だから砕石を買った。

Apple TVに登録して、ビースティーボーイズとヴェルベットアンダーグラウンドのドキュメンタリーを観た。それで、ビースティーのアルバムの日本盤の中古を買った。改めてビースティーボーイズの歌詞を読みたくなった。

甘酒のラベルデザインを頼まれた。デザインして入稿して、依頼主から色校正を頼まれた。少し濃かったので明るくして再入稿した。再度確認の連絡が来たので、直接印刷所に行った。そこは以前イベントで会った人が働く会社だった。おかげで話しはスムーズに進んで、本の印刷なども相談できることになった。とてもシンプルな本をつくりたいと考えている。そんな欲望がある。

長野県立美術館で松澤宥(まつざわたかし)という作家の生誕100年の展示をやっていた。妻の実家が諏訪湖の近くで、松澤宥はその地を拠点にコンセプチュアルアートをやっていたというのを知って興味を持った。展示に行きたかったのだけれど、知ったのが遅くて、言い訳しているうちに終わってしまった。だから図録だけ注文した。

旗をつくろうと考えている。自分のコンセプトのキーワードをデザイン化して、解説文をレイアウトした旗。

18歳くらいのときに詩を書いてバンドの曲にした。「ゼロの平地」という詩だった。詳細は忘れてしまったけれど、それから30年経ってもまだこれをしている。バンドNOINONEのアルバムが完成するのが楽しみだ。ノーエクスペクテイションを主義にしているけれど、これだけは期待してしまう。音楽はほんとうに字の通り楽しい。

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生きること自体が表現だ。

「苦しみと喜びが同時にやってくる」
と笑って話してくれる神永さん(84)が新しく桃源郷づくりに参加してくれることになった。休耕田に真菰(まこも)を植えてくれる。そのためにトラクターで耕して肥料を蒔いてくれた。

真菰は縄文時代から食べられているイネ科の植物で、その実はワイルドライスと呼ばれインディアンが食べていた。とにかく古い時代の食料だった植物で現代ではマコモダケとして食材になっている。マコモダケとは不思議な現象で、真菰に菌が入って茎が肥大化して、その部分を食べるから、病気になった部分を喜んで食べているような奇妙さがある。

ぼくは、生きるための芸術をテーマに追求してきて、その過程でサバイバルアート、社会彫刻、生活芸術、それぞれのコンセプトに枝分かれしていった。どこへ行こうともすべてはコラージュというアート技法の応用にある。それは文化人類学者のレヴィストロースが取り上げたブリコラージュというコトバで説明できる。

それぞれを目次に立てればそのまま本を書ける。1)コラージュ 2)生きるための芸術 3)サバイバルアート 4)社会彫刻 5)生活芸術 6)ココニアル 

アイディアが浮かぶのは瞬間だけど、カタチにするには時間がかかる。その前に、去年の夏にPCがウィルス感染して消失したデータ「22世紀の芸術家たちへ(仮)」を復活させなければ、とずっと思いながらはじまっていない。というのも、その作業よりも目の前に炭焼きという作業があって、それが終わっていない。

直観だけれど、炭を焼くという行為のなかに太古から現代まで続く芸術の原点があると感じていて、その面白さを伝えるために映像作品をつくっている。撮影は友人に依頼した。いま半分くらい撮れただろうか。

今日は、ついに廃墟を改修して暮らしをつくるプロジェクトD-HOUSEが最終章へと突入した。コツコツとゴミを片付けて、手作業で運べるものは最終処分場へ運搬してきた。けれどももう動かせない漁業の網が山になっていて、それに瓦礫と石もゴロゴロ残っていた。

このプロジェクトは「目の前を美しくする」。これをテーマにしている。ひとりひとりの目の前が美しければ、世界中の至る所が美しくなる。自分の目の前にある光景に責任を持たずにどこか遠いところばかりを求めた結果、いまの社会になっている。

だから自分の目の前と徹底的に向き合って、その光景が愛おしくなるほどまで触れ合っている。現実を作り替えること、これを社会彫刻と呼んでいる。ヨーゼフボイスが提唱したコトバだ。それを応用して実践している。

網がユニックで運ばれて地面が出てきて、いよいよプロジェクトのフィナーレが近くなって嬉しい気持ちで満たされている。

D-HOUSEプロジェクトは、瓦礫、タイヤでペインティングした作品、シルクスクリーンでプリントしたパーカーなどを販売してお金をつくって、そのお金で手に負えないゴミを片付けるという企画だった。作品が売れれば現実世界が少しだけ美しくなる。約2年でこの企画が終わりを迎えようとしている。

継続中のプロジェクトを抱えていれば、日々の暮らしのなかで何かを作り続けることができる。

D-HOUSEプロジェクトが発展して「桃源郷プロジェクト」へと拡大している。これは、ぼくが暮らしている北茨城市里山の景観をつくる企画だ。桜を植樹して景色を作っている。限界集落をアートのチカラで再生するプロジェクトだ。いまやっている炭焼きは桃源郷づくりの一環で、この集落にあった壊れた炭窯を再生したことをきっかけにはじまった。ただの炭焼きだけれど、もう炭焼き自体が保存するべき伝統文化の領域に片足を突っ込んでいる。ぼくはその技術を継承している。

大地のうえに表現している。だからパソコンに向かう時間が減っている。作品はつくっている。廃墟を再生した住宅も炭窯も大地のうえにある。植樹した桜も梅も大地のうえにある。ところが美術館やギャラリーは自然物を展示させてくれない場合がある。美術品にとって虫やカビが大きな問題となるからだ。もちろん建物のなかで火を焚くこともできない。真菰も育てられない。

とすると逆説的に、ぼくのしていることは美術館やギャラリーに入らないから芸術ではないということになる。だからこそ、ぼくのしていることが芸術になると確信している。

アートとはコントのように型式に収めて展示することだ。それは理解している。だからと言ってやりたいことをやらない理由にはならない。アートよりも先に生きるためにやるべきことがある。その活動全体が自分の表現であって、展示されるのはその一部分だけしか提示できない。展示できるフォーマットとして研ぎ澄ましカタチにしたとき現代アートになる。いま5月のグループ展のためのインスタレーションを準備している。

桃源郷プロジェクトも三年目になる。大地のうえに自然環境のなかにあるプロジェクトだから、季節の移り変わりのなかで、毎年成長していく。もうダメだなと諦められていた梅の木にもやっと花がひとつ咲いた。その梅の木を作品にしよう。現実の景色を作って、それが絵になる。空想を現実にする。社会を彫刻する。

この集落にたくさんの鳥がいる。それに気が付いて、望遠鏡を買って鳥の観察をはじめた。現在進行形のコンセプトは「ココニアル」。

ここにあるもので幸せに生きることができなら、どれだけ平和な世界をつくることができるのだろうか。これは現実に描く理想の世界。ココニアルは、コロニアルの対義語。コロニアルとは植民地主義のことで、ほかの土地を侵略して、そこにあるものを支配しようとするのに対してココニアルは、ここにあるものと自分と環境とすべてを同じ目線で協働して理想郷をつくる。そう。ここに理想の暮らし、理想の大地が育ちつつある。していることはアートを超えて社会を作ろうとしているのかもしれない。願わくばアートが社会を飲み込むほどの器であってほしい。