いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

死後の世界の話。

妻チフミのお父さんが倒れて、緊急入院手術して、死ぬかもと言われ家族も覚悟したけれど、生きて帰ってきた。
そのお父さんからまさかの話を聞いた。それは死後の世界とか三途川とか、そいう生きると死ぬの境目の話だった。

f:id:norioishiwata:20210506065313j:image
Chifumi's father came back from world of after life. He told me what the weired story.

お父さんは、2カ月間入院した。その間、コロナのこともあってお見舞いも面会もできなかった。退院する日にチフミが迎えに行くと、看護師さんにおかしな挨拶をした。
「ウチの娘が看護師でお世話になって。それにしても厳しいやつでね。食事の最初のひと口は自分で食べろと言うんですよ」
チフミは何の話だろうかと思った。お父さんと話をするのは退院して初めてなのに。もちろん看護師でもない。
退院したお父さんは、社長に挨拶に行きたいと会社へ向かった。社長にこう話した。
「入院中お世話になって。ウチの孫が死神のことで騒ぎになったとき、助けて頂きました」
その場にいた全員は驚いた。
「死神?」
お父さんは、孫が病院にお見舞いに毎日来ていて、会社の社長もお見舞いに来てくれたと思っていた。もちろんコロナ禍で誰もお見舞いには来ていない。
ここまでは断片的にチフミから聞いた話。

犬を迎えに行って、お父さんに会ったとき、その全貌を話してくれた。

手術から目を覚ました世界では、チフミは看護師でお父さんの担当だった。孫は、毎日お見舞いに来ていて病室には子供と同じ背丈の死神がいた。死神は孫とゲームをしている。モニターに死期が迫った人が映し出され、画面の中で光るとその人は死んでしまう。それを見張るゲームだ。ところが光ったのに死ななかった人がいた。孫はそれをみつけて死神に抗議した。ルール違反だと。それをなかったことにする死神の不正を暴く孫(小学三年生)の活動を週刊文春が記事にした。そのとき、会社の社長は、死神に抗議する孫の味方をしてくれた。
緊急手術で目が覚めて、痛み止めと麻酔で朦朧する意識のなかで過ごす日々、そのなかでお父さんは、現実と無意識の境目を彷徨っていた。
病院が火事になって、ベットを蹴飛ばして騒いだ日もあった。分かれ道があって、右にいくか左にいくかで、生と死が別れる道を選ぶこともあった。生きている知った顔がいる道を選んだおかげで、死ななくて済んだ。死の道の先には、亡くなったひとたちがいた。
ベッドに横たわり、痰を吐くように指示され、両側に痰壺が置いてある。右へ吐けば死ぬ。左へ吐けば生き返る。答えは明かされないまま痰を吐く。子供サイズの死神さまが結果を見張っている。
たぶん、むかしの人は、こういう話から死後の世界を想像したんだろう。

体験した人しか知らない世界がある。それは存在する。少なくとも、お父さんの記憶のなかに。その話を聞いた人のなかに。

To put it simply, he was on the border between death and life for two months after waking up from surgery. He was in a world where reality and unconsciousness were mixed up. Perhaps this is what the ancients called the afterlife. What kind of afterlife do you have in your country?  Or not?

I beleive his story. Because he experienced it. He told me the story. That's all.

興味深かったので
話題にしたいと思って。
けど、リアルでは話題にしないでね。
ここだけの話。

日記5.3

思い立って、自転車で海まで行くことにした。山から海まで。目的地は二ツ島。距離は12キロ。行きは下りが多いので50分で到着。帰りは上りなので2時間。新しい発見は、自転車目線の北茨城が素晴らしかった。自然が多く残る未開発のところや、何もなくまっすぐ伸びる道、田んぼ。海。この景色も30年もしたら変わるかもしれない。写真を記録しておく。

f:id:norioishiwata:20210505175628j:image


f:id:norioishiwata:20210505175631j:image


f:id:norioishiwata:20210505175624j:image


f:id:norioishiwata:20210505175620j:image

 

f:id:norioishiwata:20210505175846j:image

犬の生活

犬と暮らすことになった。妻チフミのお父さんが病に倒れて、犬を飼えなくなって、ウチで預かることになった。犬と暮らす生活を想像したこともなかった。だから犬がどんな動物なのかもよく知らない。動物をペットにすることも好きじゃない。だからと言って、それだけの理由で犬とは暮らせない、と判断するのは余りに視野が狭い。むしろ、まったく興味ないことに触れてみれば、今までとは全く違う世界を覗くことができる。遠く旅をしなくても、異世界に足を踏み入れることができる。

今朝、クルマに犬を乗せて長野県岡谷市を出た。妻の実家だ。そもそもクルマに大人しく乗るかも不安だった。犬種はブリタニースパニエルでお父さんが飼い始めて7年。人間の年齢にすると掛ける7と妻が教えてくれたから40代後半だろう。名前はヒナコ。メス。クルマに慣れない犬は吐いてしまうかもと言われていたので1時間ごとにパーキングで休憩した。チフミが散歩しておしっこやウンコをさせた。ヒナコは、歩きながらずっと臭いを嗅いでいる。

犬初心者なので、せっかくだから「なぜ?」と思ったことを記録しておくことにした。犬は、なぜ臭いを嗅ぐのか。人間の100万倍嗅覚を持つ犬は、匂いで情報を収集しているらしい。いつ雨が降ったとか、植物の匂い、ほかの動物の行動など。そうやって自分がいる場所のニュースを読み取っている。なるほど。ぼくたちがSNSやネットで情報を手に入れるのと同じだ。

慣れない場所に運ばれてヒナコは大丈夫か。岡谷市から約5時間。北茨城市の家に着いた。山に囲まれた集落。きっと気に入るだろう。到着してすぐ散歩した。予定していた場所に繋いで、寝床をつくって、ここで落ち着くかと思ったら、雷が鳴った。雨が降ってきた。ヒナコの居場所は屋根があるけれど、辺りは暗くなってきて、雨と雷で不安そうにしている。「大丈夫だよ」と撫でると身体を摺り寄せて座った。しばらくそやって一緒にいた。心が通じたような気がした。

風呂を沸かすのに、ヒナコのところから離れて戻ってみると姿がない。固定した紐の先から消えている。焦ってチフミに叫んだ。

「ヒナコがいない!」
とすぐに気が付いた。

雨が本降りになって、チフミが家の中に入れていた。よかった。

今日の夜はチフミの姿が見えなくなると吠えて困った。心が通じたなんて、ほんとうに一瞬の錯覚だった。犬と暮らす0日目の話。

生活芸術制作日記2021.4.18

地域の行事で、いはらい(江払い)があった。朝の7時から、水が流れる側溝の掃除だ。この地域では、田んぼがあったので、その水路も掃除する。これがなかなかハードな仕事だった。それだけにやり甲斐もあった。歩いたことのない水路沿いを歩いて、新しいエリアを開拓できた。水路が詰まって水が溢れて湿地になっていた。落ち葉を取り除いたから、湿地は消えてしまうのだろうか。

水路の難所はカープだ。大量の枝と落ち葉が堰止めして、水は溢れて滝になっていた。枝と落ち葉を取り除いて先に進んでの繰り返し。

最終地点は、これまでの枝と落ち葉が行き着いて、溜まって天然のダムになっていた。股下まで水に浸かって、枝と落ち葉を取り出す作業。

60代の先輩たちに教えてもらいながら、50代と40代が戦力になる。この地域で、自分が一番若い。きっと社会でも40代は働き盛りなんだろう。

地域には12世帯しかなくて、直接話す機会がない人もいる。こうした行事のおかげで交流できた。人は顔を合わせて話すことが大事だと思う。

いはらい(江払い)の最期に、水利組合の会長さんから挨拶があった。

「ついにこの水路を使って田んぼをやる人がいなくなってしまいました。けれども、水路を詰まらせる訳にはいかないので、引き続き毎年掃除は継続しますので、みなさんよろしくお願い致します」

また閃いてしまった。いや前から考えていた。水路を使って小水力発電をやれないだろうか。この地域では、電気が普及する以前から、タービンを大阪から買ってきて、発電した歴史がある。大正時代のことだ。ここにあるものを復活させるシリーズとしては、かなり適切かもしれない。隣の集落では、水力発電をやっている人もいる。

何事もそうだけれど、オオゴトにしないで、自分の手の届く範囲で、水力発電できるならやってみたい。

生活芸術制作日記2021.4.16

朝6時に起きて、家の前の景色を下書きした。できるだけ単純に描きたい。

8時にスミちゃんが長ネギとほうれん草を収穫して持ってきてくれた。ほうれん草は、茹でてナムルにして食べる。ネギはどんな調理方法が美味しいのか。昨日は、土手のこごみを採って天ぷらにした。イマイチだった。

スミちゃんと近況の報告をし合った。平さんが昨日、バケツに入れた蓮を休耕田の湿地に植えて、バケツを沈めるのに苦戦して、水位を少し上げたい、と言い始めた平さんの要望に有賀さんが応えて、尻水口(しりみなぐち)に丸太を置いて水の流れを止めた。それで少し水位があがった。スミちゃんは、丸太を通りがかりに見て「あれは何だ」と言うので、説明したら「そんな面倒なことしなくても、蓮は育つからやめろ」と言った。

文章にしてみると確かに面倒なことをしている。元に戻すのも面倒なので、そのままにしておく。

これは今朝の話。

昨日は、週末の雨に備えて、炭窯を雨養生した。作業をしていると、待ち望んでいた炭焼き老人モリさん(90歳)が現れた。炭窯にヒビが入って心配だったので大丈夫か質問したら「ゆっくり火を入れれば大丈夫だ」と言った。経験者のアドバイスの心強さ。

平さんが蓮を植えたあと、平さんがチェンソーで丸太を板に加工するというので手伝った。道具がイマイチらしく、少し歯を入れたところで終了した。

午後は、薪ストーブの煙突を掃除した。月に一回のペースで煤が詰まる。ひとりで掃除したら、真っ黒になってしまった。風呂に入ろうと思って、薪風呂を沸かした。沸かしている間に新しい絵の構図を考えているうちに、次の本のアイディアが降ってきた。

ニーチェの「ツァラストゥラはかく語りき」を元ネタに田舎暮らしの生きる技術を伝える話だ。主人公は、東京生まれで、1998年に山に籠る。キャンプとか登山とかサバイバルが好きで、20代で。山に暮らしているうちに、近所の老人と知り合いになり、田舎暮らしのあれこれを教えてもらうようになる。老人はだんだん介護が必要になり、主人公は携帯を渡されて、必要なとき老人を介護するようになる。まもなく老人が亡くなって、ひとり山の中で携帯を触っているうちに、ニュースなどを読むようになる。それで社会の現状を知る。現状とは、環境問題や経済至上主義や格差など。自分にできることがあるのではないか、と山を降りる。

あとその後の展開と、構成、文体が決まれば小説になるかもしれない。

夜はNetflixで日本の映画「彼女」を見た。物語の構成とか参考になった。水原希子の演技が素晴らしく美しかった。

生活芸術制作日記2021.4.13

去年から書いている三冊目の本の後半を書き直した。編集者も出版社もいないから、すべて自分で計画して自分で編集校正をしている。出てくる言葉をどんどん原稿にして、本のページにレイアウトして読み直して、大幅に削除して、また読み直して修正することを繰り返している。彫刻や絵を描く作業によく似ている。効率はよくないけれど、言葉の密度は凝縮されてきた。できるだけシンプルにしたい。納得のいく本に仕上がりそうだ。3月からこの本に向き合っていたので、こっちの記録ができていなかった。

仕事やお金より「生きる」ことを優先するべきで、それは生活をつくることだ。例えば、学校を卒業すると働かなければならない。なぜなのか。そう考える時間も与えられないまま仕事を探すことになる。けれどもうひとつ選択肢がある。仕事を「つくる」こともできる。それには、仕事の種を蒔いて育てる時間が必要だ。芽が出るまでの期間、お金を稼がなくても生きていける余地が必要になる。余地とは、お金のこと、貯金だけじゃない。なんのためにお金が必要なのか、と考えてみる。欲しいモノは何のために欲しいのか。それがなかったら死んでしまうのか。仕事を育てている間くらいなら、食べ物があって、家があって、少しのお金だけあれば、生きていくことができる。我慢できるだろう。育てている仕事が芽を出せばきっと稼いでくれるのだから。

もうすぐ三冊目の本は書き終わる。生きた時間を記録して、ことそれを本にして、本を書きながら自分の人生をつくっている。本を書くと、自分の未来が見えてくる。行き先だ。

いまは炭焼きをやっている。三度目の炭焼きで過去二回失敗している。失敗して検証して再トライできる余地があることの豊かさ。豊かさとは余地があることだ。時間があれば失敗も経験だからと許容できる。タイムリミットぎりぎりだったら失敗は許されない。もう次はないのだから。しかし時間がないと思うとき、一体誰に締め切りを迫らているのだろうか。時間とは人生だ。死ぬまでぼくたちは生きる時間を持っている。

たぶん三冊目の本は、自分で出版することになる。その体制を構築できれば先は長い。少しずつ読者を増やしていけばいい。

ぼくは弱い人間だ。競争すれば負ける。勝てる人は勝ち続ければいい。けれども勝ち続けられる人はいない。それなのに社会は負けた人を居心地悪くする。居場所をなくそうとする。それでいいのだろうか。だから負けても、一時的にでも可笑しく楽しく暮らせる環境をつくってみせたい。

 

生活芸術という仕事の一日。

f:id:norioishiwata:20210416075732j:image

朝5時に起きて、コーヒーとパン朝食を取って、洗い物や部屋の片づけをして6時ころから3冊目の本を読み直して原稿を書く。8時30分ころ炭窯づくりで有賀さんが来る。

有賀さんは、ARIGATEEの旧家主で、北茨城にぼくら夫婦が引っ越してきてからずっとお世話になっている。むかしの暮らしのことを教えてくれる。まさか炭窯づくりまで教えてもらうとは。田舎暮らしの案内人だ。

炭窯は火入れの前に屋根の骨組みだけ建てた。ブルーシートをかけて仮の屋根にしている。火入れを明日やるつもりだったけれど週末雨なので、雨養生だけすることにした。

お昼にチフミのお父さんから電話があった。チフミのお父さんの声を聞いて涙が出た。生きていることが嬉しかった。チフミのお父さんが先月倒れて、手術で命を繋いで予想よりも遥かに回復した。ところがチフミのお母さんが転んで骨折してしまった。それでチフミはヘルプに長野の実家に帰っている。という諸事情で一人暮らしをている。

午後3時ころに窯の屋根の作業が完了した。そのあとずっと気になっていた草刈りをやってみた。草刈り機を購入したので試運転も兼ねて。1時間ほどで田んぼの半分刈れた。5時になって日が沈んできたので家に戻ると友達の古川さんが来ていた。炭窯の様子を見に来てくれた。

夕飯をつくるのが面倒になって、有賀さんが昼間にくれたお稲荷を食べた。薪風呂を沸かして、夜冷えたので薪ストーブをつけたら、どうやら煙突が詰まったようで、燃えが悪く、室内の煙突の隙間から煙が出てきた。煙突掃除のサインだ。慌ててストーブの薪を外に出して水をかけて、煙が充満した部屋の換気をして風呂に入った。

ワインを飲みながらNetflixを見て、22時には寝た。

景観をつくる仕事のおかげで生活は安定している。昨日だと、炭窯づくりと草刈りがその仕事。本を書くのは収入になっていない。会社的にいえば広告宣伝だろうか。自分にとっては将来大きくなる仕事を育てているつもりだ。昨日は手をつけていないけれど絵を描く仕事もある。仕事というよりも自分で絵を描いて、それを展示して売る仕事。ギャラリーから声が掛かって秋に個展をやるかもしれない。まだ決定はしていない。

面白い仕事が舞い込んできて、むかしからの友達がついに短編映画を撮ることになり、その中に出てくる絵を描いてほしいと連絡をくれた。物語のなかの画家が描いた絵を描く。絵を演じる仕事だ。

2021年になって社会は酷く混迷している。でも自分がつくったライフスタイルは、いまのところ回転している。生活芸術という仕事を自分で立ち上げて、それを理解してくれる人たちが少しずつ仕事を回してくれる。いま書いている本とは別に「生活をつくる」というHow To本も書きたい。

今朝は6時に起きて、絵を下描きしてチフミに送った。7時からこれを書いた。そろそろストレッチをして煙突掃除をしよう。