いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術制作日記2021.4.13

去年から書いている三冊目の本の後半を書き直した。編集者も出版社もいないから、すべて自分で計画して自分で編集校正をしている。出てくる言葉をどんどん原稿にして、本のページにレイアウトして読み直して、大幅に削除して、また読み直して修正することを繰り返している。彫刻や絵を描く作業によく似ている。効率はよくないけれど、言葉の密度は凝縮されてきた。できるだけシンプルにしたい。納得のいく本に仕上がりそうだ。3月からこの本に向き合っていたので、こっちの記録ができていなかった。

仕事やお金より「生きる」ことを優先するべきで、それは生活をつくることだ。例えば、学校を卒業すると働かなければならない。なぜなのか。そう考える時間も与えられないまま仕事を探すことになる。けれどもうひとつ選択肢がある。仕事を「つくる」こともできる。それには、仕事の種を蒔いて育てる時間が必要だ。芽が出るまでの期間、お金を稼がなくても生きていける余地が必要になる。余地とは、お金のこと、貯金だけじゃない。なんのためにお金が必要なのか、と考えてみる。欲しいモノは何のために欲しいのか。それがなかったら死んでしまうのか。仕事を育てている間くらいなら、食べ物があって、家があって、少しのお金だけあれば、生きていくことができる。我慢できるだろう。育てている仕事が芽を出せばきっと稼いでくれるのだから。

もうすぐ三冊目の本は書き終わる。生きた時間を記録して、ことそれを本にして、本を書きながら自分の人生をつくっている。本を書くと、自分の未来が見えてくる。行き先だ。

いまは炭焼きをやっている。三度目の炭焼きで過去二回失敗している。失敗して検証して再トライできる余地があることの豊かさ。豊かさとは余地があることだ。時間があれば失敗も経験だからと許容できる。タイムリミットぎりぎりだったら失敗は許されない。もう次はないのだから。しかし時間がないと思うとき、一体誰に締め切りを迫らているのだろうか。時間とは人生だ。死ぬまでぼくたちは生きる時間を持っている。

たぶん三冊目の本は、自分で出版することになる。その体制を構築できれば先は長い。少しずつ読者を増やしていけばいい。

ぼくは弱い人間だ。競争すれば負ける。勝てる人は勝ち続ければいい。けれども勝ち続けられる人はいない。それなのに社会は負けた人を居心地悪くする。居場所をなくそうとする。それでいいのだろうか。だから負けても、一時的にでも可笑しく楽しく暮らせる環境をつくってみせたい。

 

生活芸術という仕事の一日。

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朝5時に起きて、コーヒーとパン朝食を取って、洗い物や部屋の片づけをして6時ころから3冊目の本を読み直して原稿を書く。8時30分ころ炭窯づくりで有賀さんが来る。

有賀さんは、ARIGATEEの旧家主で、北茨城にぼくら夫婦が引っ越してきてからずっとお世話になっている。むかしの暮らしのことを教えてくれる。まさか炭窯づくりまで教えてもらうとは。田舎暮らしの案内人だ。

炭窯は火入れの前に屋根の骨組みだけ建てた。ブルーシートをかけて仮の屋根にしている。火入れを明日やるつもりだったけれど週末雨なので、雨養生だけすることにした。

お昼にチフミのお父さんから電話があった。チフミのお父さんの声を聞いて涙が出た。生きていることが嬉しかった。チフミのお父さんが先月倒れて、手術で命を繋いで予想よりも遥かに回復した。ところがチフミのお母さんが転んで骨折してしまった。それでチフミはヘルプに長野の実家に帰っている。という諸事情で一人暮らしをている。

午後3時ころに窯の屋根の作業が完了した。そのあとずっと気になっていた草刈りをやってみた。草刈り機を購入したので試運転も兼ねて。1時間ほどで田んぼの半分刈れた。5時になって日が沈んできたので家に戻ると友達の古川さんが来ていた。炭窯の様子を見に来てくれた。

夕飯をつくるのが面倒になって、有賀さんが昼間にくれたお稲荷を食べた。薪風呂を沸かして、夜冷えたので薪ストーブをつけたら、どうやら煙突が詰まったようで、燃えが悪く、室内の煙突の隙間から煙が出てきた。煙突掃除のサインだ。慌ててストーブの薪を外に出して水をかけて、煙が充満した部屋の換気をして風呂に入った。

ワインを飲みながらNetflixを見て、22時には寝た。

景観をつくる仕事のおかげで生活は安定している。昨日だと、炭窯づくりと草刈りがその仕事。本を書くのは収入になっていない。会社的にいえば広告宣伝だろうか。自分にとっては将来大きくなる仕事を育てているつもりだ。昨日は手をつけていないけれど絵を描く仕事もある。仕事というよりも自分で絵を描いて、それを展示して売る仕事。ギャラリーから声が掛かって秋に個展をやるかもしれない。まだ決定はしていない。

面白い仕事が舞い込んできて、むかしからの友達がついに短編映画を撮ることになり、その中に出てくる絵を描いてほしいと連絡をくれた。物語のなかの画家が描いた絵を描く。絵を演じる仕事だ。

2021年になって社会は酷く混迷している。でも自分がつくったライフスタイルは、いまのところ回転している。生活芸術という仕事を自分で立ち上げて、それを理解してくれる人たちが少しずつ仕事を回してくれる。いま書いている本とは別に「生活をつくる」というHow To本も書きたい。

今朝は6時に起きて、絵を下描きしてチフミに送った。7時からこれを書いた。そろそろストレッチをして煙突掃除をしよう。

自称芸術家田舎暮らしのある一日の記録(3月16日)

3月16日に書いた。

絵が完成したからテキストと併せて記録しておく。

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朝5時に目を覚ました。オーダーされた絵の景色をみつけるために海へ行った。雲があったし、5時30分が日の出だから、期待は低かった。海まで20分。クルマを走らせるとチフミが「空が綺麗!」と声を上げた。朝焼けがはじまっていた。二ツ島観光ホテルの駐車場を借りて撮影した。

ぼくは青色が好きだ。空が好きだ。海が好きだ。空は真っ青だったり、水色だったり、紫色や紺色や、グラデーションを出したり、夕焼けとか、とにかく美しい。そいう景色を絵にすることが最近は多くなった。みつける景色のほかに景色をつくるという制作もやっている。これが今は自分のなかで最前線にある活動だ。環境を彫刻している。

景色をみつけるために早起きして、海から帰ってきてまだ7時だった。桜を植樹をする準備で業者が伐採している山にいって、チフミと木を運んだ。山の所有者のお婆さんが「細くて長い木を何本か貰っとけ」と言ったからだ。山から木を出して8時になった。日課のストレッチをやった。身体の中心を確認して、全身を伸ばす。指先から足の先まで。身体も思考も自分に向き合う必要がある。自分が存在しなければ、見えている世界は消えてしまうし、自分が調子悪くなれば、見えている世界も歪む。それほど世界の中心軸なのに、多くの人は「自分」を雑に扱う。

昨日から3冊目の本を仕上げるために文章に向き合っている。そのやり方が最適なのか分からないけれど、言葉が出てくるままに文章を書いて、どんどん削って無駄を削ぎ落していく。何回も書いていると同じ内容でも違う言葉が出てくる。またそいう言葉を配置して、何度も読み返して、並び変えたりして文章を構成していく。何度も読み直していると、感覚がマヒしてきて、読みにくい文章に慣れてしまう。そうしたら原稿書きの作業は終了する。

薪棚をつくった。薪ストーブでひと冬を越して、どれくらい薪が必要か分かった。廃材で貰ったパレットを使って薪棚をひとつ追加した。それで午前中の仕事を終わりにした。

昼飯は近所のお婆さんの家に食べに行った。チフミは午前中、お世話になっている近所のお婆さんこと澄子さんのジャガイモ植えを手伝っていた。80歳でひとり畑仕事は重労働だ。自分たちの畑をやるより澄子さんの手伝いをした方が勉強になるし、生きるために働く、その活動の境界線が、他者と自己とが曖昧な方がいい。生きるために必要な資源に関しては、水とか食料とか土地とかは、これは俺のモノ、これはお前のモノ、という考え方は古い習慣になればいい。

お昼をご馳走になって、午後は絵を描くためのパネルをつくった。パネルをつくって、額をつくって乾燥させた。15時から仕事の打ち合わせだった。知り合いの会社で人手が足りないから数日手伝って欲しいと相談に来た。ぼくのような生き方をしているとお金に無頓着で、時間だけはあったりする。もちろん暇なんて1秒もなくて、やりたいことで溢れているけれど、文章と同じでやり過ぎると、何がしたいのか見えなくなってくる。たまにはアルバイトなどして、絵を描きたいと強く思うくらいのコントラストがあった方がいい。

打ち合わせが終わって、小林秀雄岡潔の対談「人間の建設」を読んでいたら、文章が書きたくなってこれを書いた。

壊れた「社会」に対抗するための環境彫刻

2021年3月1日に書いた。でも何かが違うような気がした。2021年4月7日に読み直おして手を加えた。

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死は突然やってくる。いつも生きることの隣に死がある。だから、やりたいことを全力でやった方がいい。ぼくの場合は、創作に没頭すること。これを人生の主軸にしている。

「狼と暮らした男」という本を最近読んだ。ロッキー山脈の狼の群れのなかで、生身の人間が2年間も野生動物と暮らすという話。ほんとうにそんなことができるのか信じがたいエピソードが盛りだくさんで、常識的な考え方にはリミッターがかかっていると気づかされた。読みながら、ほんとうなのかと疑う自分がいた。

この本のなかで、野生の狼と暮らした経験が「犬のしつけ」という仕事に展開していく。どうにも「野生」での経験が「しつけ」に変換されることが、受け入れがたかった。この違和感に向き合うと、意外な側面が見えてくることがある。今回は動物を飼うという行為に賛成できないので、犬のしつけのページは適当に読み飛ばしていた。

ところが、だ。妻チフミのお父さんが倒れた。70代半ば。家族は死を覚悟した。緊急手術のおかげで一命を取り留めている。チフミのお父さんが倒れて、お父さんが飼っている犬を一時的に預かることになった。犬を飼う? 犬を飼うなんて、微塵も考えたこともなかったのに、あの本で働いた感情は予感だったのか。というわけで数週間後には犬と暮らすかもしれない。予測できないことを受け入れられるキャパを持っていたい。人生は作るよりも作らされることの方が多い。

ぼくは学者でも教授でもない。肩書は芸術家。自分はアートを研究している。生きるとは何か。表現とは何か。言葉の定義から作り直している。言葉はオブジェだ。あらゆる角度から読み解くことができる。ぼくは「アート」を語源のアルスから読み解き「技術」と解釈している。アートは技術である。それはどんな技術かといえば、源流まで遡るアート(技術)だ。だから自分のアートを他者のそれと区別して「アルス」呼ぶことにした。

例えば、今日は炭焼き窯をつくる準備をした。前回失敗して壊れた窯の土をスコップで掻き出した。パワーショベルでやればすぐ終わる仕事だけれど、手でやると細部を観察できる。ここは焼き締まっているけれど、ここは脆いとか、状況を知ることができる。おかげで検証できた。炭窯を失敗するという事件の現場検証だ。炭焼き窯づくりは過去に2回失敗している。前回の敗因は、パワーショベルで土を載せたこと。土を叩き締めるチカラが足りなかったこと。その2つと推測される。人力でコツコツと作業すれば、丁寧に土を叩き締めることができる。パワーショベルを使うと機械のペースで作業が捗り過ぎて、細かいところが雑になってしまう。

たぶん「炭窯をつくる」とか「犬と暮らす」とか、そんなことはいわゆる学校で教える「アート」ではない。けれども、ぼくが考える「アート」とはこれであって、世間の言葉と自分の言葉が乖離している。これでいい。だからその溝を埋めるなり、橋を架けるなりするために、言葉を費やしている。書くという行為そのものもまた別のレイヤーで表現している。探求している。同時に幾つもの経験を積んでいる。

この数年「社会彫刻」という言葉を使ってきた。このヨーゼフボイスの概念を引用してきたのだけれど、ここ最近「社会」という言葉が分からなくなった。何を指しているのかイメージできなくなった。で幾つか本を読んで「社会を知るためには(筒井淳也著)」で、思わず笑ってしまった。

社会とは「わからないもの」と書いてあった。しかも、理解するために論理化するほどに複雑になっていく。あまりに複雑になり過ぎて、現在はこれだとひとつの回答を出すのではなく、ある視点からの読み解き方を提案する方法論になっているという。世の中には、分かっていることより、分からないことの方が多い。なぜ人は生きるか。いつ死ぬのか。なぜ犬を飼うのか。これをこうしたら社会はこう変わるという方程式が成り立たない。「風が吹けば桶屋が儲かる」だ。

ぼくは「生きる」の探求者として、2つの方法論に従って人生を進めている。ぜひ覚えておくといい。ひとつはコラージュ。ここにはセレンディピティと呼ばれる「何かをしているときにその目的は違う何かを発見する」秘儀がある。妻の父の病気によって、まさか犬と暮らすことになって、ぼくはその経験から何かを発見する。これがセレンディピティーだ。コラージュはアート技法だけれど、これのおかげで予想外の出来事を受け入れられるようになった。

もうひとつは「社会彫刻」を発展させてつくった「環境彫刻」という概念。ここでの環境とは、自分を起点に広がる周辺環境のことを指す。自分自身の周辺環境を彫刻して、理想の生活空間をつくること。「社会」という言葉は、いつどこで誰が何をするのか、それを明らかにしない。社会には主語がない。主語がないから、行動する言葉に変換できない。社会にはアクセスする回路がなくて、政治とカネが操作する手段だけれど、完全に壊れている。だから自分の目の前から広がる世界をつくること。それを環境彫刻と名付けた。

2021年になっていよいよ「社会」という概念自体が機能しなくなったと感じている。10年前には東日本大震災による原発事故があり、いまではコロナウィルスとの共存を強いられている。こうした災害は、社会の機能を麻痺させる。しかし社会は止まることがない。機能が弱まって動きが鈍化するだけだ。けれども競争が冷戦状態のとき、社会のスピードが遅くなったとき、この暴走する社会から脱出するチャンスがある。社会に飲み込まれて生きるのではなく社会と距離を取りながら、自分自身の環境を構築するチャンスだ。

例えば、ひとりの社員が会社全体の体質を変えるのは難しい。けれども、会社で所属する部署の環境を変えることならできるかもしれない。もっと言えば会社の自分の机の周りの環境ならきっと変えることができる。同じように社会を変えることはできなくても、自分が住んでいる街なら住みやすい環境に変えることができるかもしれないし、自分の家の周りならきっと変えることができる。

ソーシャルネットワークの出現から「共感」が世の中を支配してきた。けれども同じ気持ちなんてひとつもない。気持ちもまたオブジェだ。多角的に観察すれば同じことを言っているようで全然違う。むしろそれが豊かさだ。大切なことは誰かのアクションに反応する傍観者としてではなく、主体として主人公として生きることだ。

生きているだけで奇跡だ。どうして「生きているだけで、最高!素晴らしいね!」とならないのか。命という祝福されるべき奇跡が社会に放り込まれることで、傷つき輝きを失うのならそんな社会に接続するべきではない。

生きると死ぬは一直線に繋がっている。けれども社会を通した直線は、まったく予想外に展開していく。思い通りになることなんてない。濁流に飲み込まれていく。アートは社会に押し流されていく、本来的な大切なものを杭のように打ち付けていく。人間として忘れてはならない感情を。

優れているとか劣っているとか、勝つとか負けるとか、そういうことではなく、生きていることそのものに価値がある。等しく。しかし、その喜びは残念ながら、社会と闘わなければ手に入らない。まだ2021年は、その程度の自由しかない。けれども動き始めればその自由を手にすることができる。なぜなら、これは競争ではないから。それぞれが望んだ場所に向かうだけのことだから。

妻チフミのお父さんは、ぼくの生き方に何も言わなかった。いつも受け入れてくれた。それは、どんな言葉よりも、励ましであり応援だった。

 

何かをしたときに別の何かを手に入れること。

天気はよくて空は青いのに、門の外には出れない。朝から夕方まで工場を整備する部品を削っている。

友達の会社の人手が足りないからと、8時30分から17時まで工場で3日間働いた。ぼくも毎日仕事をしているし働いているけれど、いまは納期もないし、ある程度調整できるし、友達が困っているからその仕事をやることにした。工場での労働はいつもに比べて不自由で無口になった。感情を押し殺した方が過ごしやすかった。工場が悪いという話ではなく、そこにはぼくの仕事はなかった。たった3日間離れただけで、自分がつくった生活が愛おしくなった。妻と二人で絵を描くこと、桃源郷と名付けた景色をつくること、地域のお年寄りたちと可笑しく楽しくお話すること、その日常のなかに自分の仕事があることを再確認した。

友達の仕事は3日間で充分間に合いそうだったので、やるべきこと、やりたいことは山のようにあってずっと自分の生活を仕事を作り続けていることに気がついたから、それで終わりにした。実際、桜の植樹の準備もしなければならなかった。

工場での仕事は必要な時間だった。離れて分かることがある。工場で一緒に働いた人に自分が何をしているのか説明することも、いま書いている本の参考になった。絵を描くということだけでも何をしているのか想像もつかないのに、さらに生活をつくっていると言えば余計に意味不明だろう。自分と社会との距離もよく分かった。

もっとも大きな収穫は軽トラックだった。友達にいま軽トラックが欲しくて、オートマ限定解除の教習に通っていると話すと、ちょうど軽トラックを買い替えて、処分する古いのがあるから使うか?と言ってくれた。一番欲しかった軽トラックを手に入れることになった。

工場で働くことを選択したことによって、金額には換算できない豊かな収穫があった。実際、手伝った分の給料はまだ貰っていない。貰ったら幾らか分からないけれど、少し足して、絵を買おうと思う。ぼくは絵を描くけれど、絵をたまに買う。なぜなら、絵を買うとその価値を知ることができる。絵のチカラを体験することができる。5万円とか10万円で絵を買うことは、人生になんの足しにもならないようで、体験してみると分かるけれど、もちろんその絵が良い絵ならだけど、そのお金は消えてしまうようだけど、その対価として与えてくれる豊かさがある。毎日眺めることや、それ以外のもっと想像以上の、ぼくが工場で働いて手に入れた収穫のような何かがある。

ぼくは、そうした経験を制作に反映させて、絵を描き人生をつくっている。想像もしなかった何かを手に入れるときぼくは、人生は正しい方向に進んでいると安心する。

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楽園を目指している。

文章を書き続けていて、やっぱり本が好きでモノとしてつくりたいという想いがあって、続けているうちに少しずつ成長していく手応えがあって、それは今書いている文章がよくないと感じる時がきっかけで、その違和感をどう乗り越えるか考えてまた書いてを繰り返して、ようやくそのときに感じていることを言葉にできるようになる。

今は三冊目の本を書いていて三カ月前に第一稿を書き終えた。一旦製本してみてサンプルで20部つくった。出版社が決まっているわけでもないし編集者がいるわけでもないから、やれるところまで全部自分でやっている。いないからというよりも本が好きだからレイアウトもデザインもやりたい。だから執筆と編集もひとりでやっていて、どうしても前のめりになって客観的に読めなくなってしまって、三カ月前に寝かせることにした。その期間はまったくこの本に触れないでいた。三ヶ月経って新鮮な気持ち読み直してみたら、書き足りないところ、余計なところがはっきり見えてきた。

誰に向けて本を書いているのか、それを明確にすると文体や内容が決まると編集をやっている人に教えてもらった。誰にむけているかと言えば、妻の両親、甥っ子や姪っ子がもう少し大人になったとき、友達の子供が大人になったき、そういう人たちに届けたい。

こんなことを書いて何になるのか、という話もあるけれど、文章を書くことは内容は何でもよくて、それが書けるかどうかが問題だと思っている。絵も同じで何かを狙い過ぎて描けなくなるよりも、描きたいものを描くのが精神的にも生き方としても気持ちがいい。

三カ月間寝かした本に手をつけたので頭のなかで書き足したいことがグルグルしている。昨日は目を覚ましてから夕方までずっと文章を書いた。この本はまだ下絵ができたレベルなので先は長いけれど、そうやって表現に没頭して向き合える時間を持てることが何よりも楽しい。

もちろん本を読むのも好きで、寝かしていた三カ月間は図書館で借りたり、買ったり、10冊くらいの本を読んだ。とくに面白かったのは「楽園への道」、「極北へ」、「狼と暮らした男」、「新・冒険論」、「人新世の資本論」。

ところが、寝かしていた本に手を出したら途端に本が読めなくなってしまった。だから「オン/オフ」は必要なんだと実感した。言い換えるとインプットとアウトプットの時期というのがあるのだろう。でも絵に関しては、インプットはもうほとんど目の前の景色、つまり自然がメインだから誰かが作ったモノからの影響は少なくなった。この数年に影響受けたのは、熊谷守一、柚木沙弥郎、田中一村熊谷守一と柚木柚木沙弥郎の絵を単純化する技に引っ張られつつ、田中一村の描写に学びながら、自分の絵画表現を追求している。絵を描くというよりは額も含めてモノ=オブジェとして作品を制作している。

文章を書くことと作品をつくることの間に生活をつくるという活動がある。いま書いている三冊目の本はその橋渡しをするために書き続けていると、これを書きながら気づいた。創作活動は、ほんとうに人それぞれのペースがあって、他者と比較したらそれはストレスと失望以外の何物でもないけれど、競争のためにしているのではないから、モノづくりしている人は、そんなことに苦しむ必要は微塵もない。自分にそう言い聞かせている。こうした文章を書くのも自分の表現のフィールドを耕すためにしている。

表現することの意義をお金に換えてしまえば、それは多くの収穫を取りこぼすことになる。大地から食べ物を手に入れることに例えるなら、食べ物を掴むことが成果なのではなく、それに至るまでのすべての経験が糧になる。ぼくの場合は、絵を描くこと、文章を書くこと、生活をつくること、そのほか、やってみたい表現に手を出すこと、すべてが人生を豊かにしている。

2年前にバリ島で描いた絵に額を閃いたので、作って額装して完成した。いい絵が描けるということも大切だけれど、描いたものを暖めたり、寝かしたり、その作品に必要なだけの時間を与えてやれる余裕を自分に持つことも大切だと思う。なにより死ぬまで創作を続けることが目的なのだから。

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3.11から10年。そして次の10年へ。生きるための芸術として。

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昨日で東日本大震災原発事故から10年が過ぎた。何度も文章を書いては消しているうちに思った。過去と現代社会について書くよりも、建設的な個人の未来について書いた方がいい。

「社会」について考え方が改まったのでメモしておく。単語だけ引用するなら「共同幻想」だということ。(これは吉本隆明の有名な本のタイトルだけれど、時代が違い過ぎて読むことができなかった)

この数年「社会彫刻」という言葉を使ってきた。これはヨーゼフボイスの提唱している概念を引用しているのだけれど、ここ最近「社会」という言葉にも違和感を持つようになった。つまり「社会」という単語が何を指しているのかイメージできなくなった。何かそれ関係の本をと「社会を知るためには(筒井淳也著)」を読んで、思わず笑った。

社会とは「わからないもの」と書いてあった。しかも、専門家が理解するために論理化するほどに複雑になっていく。解き明かすために複雑な理論を並べると、それがそのまま社会の理解の仕方だと回答例になっていく。解き明かした数だけ社会の理解があって、あまりに複雑になり過ぎてしまい、現在はこれだとひとつの回答を提出するのではなく、社会学とは、ある視点からの読み解き方を提案する方法論になっているという。

ぼくはこう理解した。なにか社会的な方向へと活動していくと社会に飲み込まれてしまう。「わからないもの」の一部になってしまう。共同で社会なる幻想を生み出しているだけなんだ。そんなバカげた話があるだろうか。だから「社会彫刻」というコンセプトも社会から脱出してその取り組みを「環境彫刻」と名付けることにした。

 

この言葉については数日前の記事にも書いた。

norioishiwata.hatenablog.com

していることは、絵を(描くではなく)つくる。景観をつくる。生活をつくる。やろうとしていることは、炭窯をつくる。土器をつくる。紙をつくる。これらの活動全体を「生きるための芸術」と総称して本を出版している。現在2冊出ていて、いま3冊目4冊目を準備している。この本は「アートとは何か」「生きるとは何か」を追求するシリーズだ。何かが仕上がって整えて振り返るのではなく、その時々をドキュメントしていく。ジャンプ世代だからコミックスを目指している。誰かの人生がそまま10巻ぐらいの本になっていたら面白い。死ぬまで。余談だけど安楽死がいい。死に対する考え方が変わってほしい。人生をつくるなら自分の最後もつくりたい。死を創作する。

10年前には想像もしなかった生き方をしている。「芸術によるまちづくり」を目指す北茨城市のサポートによってぼくたち夫婦はコロナ禍を生き延びている。そしてこれからの10年をスタートする。今から想像もできないような地点に向けて歩き始める。

指向するのは、ひたすらに自然の利用だ。人間と自然。生活芸術家と名乗るそのクリエイティブは太古の技術や思考をサンプリング&エディットして現在にアウトプットする。していることのほとんどはお金にならない。きっと。お金にならない代わりにお金で買う商品をプロダクトしてその隙間を埋める。お金の利用価値、その存在意義を変更したい。現行社会とは一致しないエラー環境のなかに生きる。現行社会にとってはエラーでも、ここのレイヤーではフル機能する一時的自立ゾーン。それを密かに桃源郷と名付けた北茨城市里山で実験している。

同時に身の回りのモノを駆使してアートを生み出していく。極力商品に接続させないように逃走線を引きながら作品をアウトプットしていく。要はお金の問題だ。社会はお金に絡めとられていくから、絡めとられないように活動と作品の純度を維持する。つまり商品化できないもの。この時代に商品化しないならば、それは何になるのか。考えたい。一方で絵画やオブジェは贋金として貨幣と等価交換していく。思考の武器をつくってきた。贋金づくり、サバイバルアート、環境彫刻、生活芸術、アルス、それが目次になる本が書けそうだ。

目標は70歳。自分の名前は平仮名で「のりお」と書く。ほんとうは「矩生」という漢字があった。当時は当用漢字じゃなかったので平仮名になった、と父親から聞いたことがある。何かの本を読んでいたとき「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」という文章に出会った。孔子論語。知ってはいたけれど70歳は考えたことがなかった。でも田舎に暮らして70〜80代と接するうちに見えてきた。周りを見て焦ったり、評価に舞い上がったり、そういうことに惑わされることなく、自分の仕事を進めていく。まず次の10年。完成は70歳だ。

40にして不惑だ。自分の仕事はみつけた。やっと10年前から続いた物語は、次の10年へとスタートできる。進もう。