いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

建築と瓦礫の行方

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damn-地獄へ落ちる。danger- 危険。dark- 暗い。dead- 死。decieve- 騙す。妻チフミがDのつく単語を調べている。

再生中の廃墟の名前をD-HOUSEにしたんだ、と話すと

「D-HOUSEってどういう意味なの?」と聞くので「DはdisasterのDで災害のこと。廃墟はボロボロで水もトイレもないし、何かの災害に遭ったみたいだから、そっから復興するみたいに生活を作るってコンセプトなんだ」と説明した。すると「D」の他の英語を探し出した。調べてみるとマイナスな単語ばっかりでDは嫌だと言いうので、delight(喜び)ってのはどうかな、と提案した。

 

ぼくたちは夫婦で一緒にアート活動をしているから、朝から晩までずっと制作している。もう5年も場所を転々としながら家を直し続けている。長く没頭できる状況ほど幸せなことはない。結果は、すぐには見えないからコツコツと毎日積み重ねるしかない。結果が見えなければ、評価も比較もない。今日、明日と一日一日を積み重ねられることに幸せがある。

昼間は身体を使う労働をして、夜は家でやれることをやる。夫婦の会話も次どうするか、あれをどうするか、作品や活動について常にミーティングしている。宮本武蔵は、日常が戦場になれば戦場が日常であり、戦さだからと身構える必要もなくなる、と書き残している。

 

昨日の夜は、廃墟プロジェクトをどうやってアート作品として展開するかを話し合った。ぼくたちが毎日していることはアートではない。ぼくはアートだと思っているけれど、世間的には違うことになる。

していることは、片付けと廃墟の改修だから、職業で言ったら建築屋さんか便利屋さんのようなことだ。誰に頼まれた訳でもなくこれをやっているから職業でも仕事でもない。幸いにも今は地域おこしの一環として、この活動が芸術だと認められて、補助金を得ている。

 

やっているのは環境を作ることだ。北茨城市里山に、自然と共存する芸術が生まれる環境を作ろうとしている。小さな事で言えば庭みたいなことだ。暮らしと自然の間に作られる、人間が手を掛けた不自然を、できる限り自然の手の内に調和させてみたい。日本の地方では耕作放棄地、休耕田、空き家、廃屋、瓦礫は価値を失い、そこにただひっそりと存在を消している。小さな山、川、森、木々、植物、自然が与えてくれる環境と無視される遺産が作品の素材になる。

地域で、とても仲良くなった、母でもないし友達でもない、と同時にそのすべてでもありぼくら夫婦の理解者であり協力者でもある豊田澄子さんは、自分が死んだ後にも、何かを遺したいと考えて、桜の木を50本この地域に植えた。何年後になるか分からないけれど、この集落に桜が溢れる春がやってくる。

自分のためにではなく、他のために動くこと。これが「働く」の原点だ。お互いが損をするようなことを行動にできるか。想いがなければ、そんなことはできない。

ぼくら夫婦も澄子さんへの感謝、地域への感謝から、桜プロジェクトに貢献しようと考え、廃墟を片付けることにした。産廃をかなりの量片付けたけれど、どうしても手に負えない廃棄物がある。捨てらない瓦礫やタイヤが残っていて、これをどうにかしたいと考えていると、親切な人が業者を紹介してくれ見積もりを取ったら30万円だった。価格の「高い/安い」よりも処分できることが分かったから、あとはおカネを捻出すればいい。

この土地を使っていた土建屋さんが残していった産業廃棄物の山。この負債を誰のせいだと押し付け合っても解決しない。なので2020年1月に開催される芸術祭でグッズを販売して30万円を作ろうと計画している。グッズの候補としてパーカーのデザインを考えた。それで前向きな「D」が必要になった。産廃が片付いたところに桜を植える。

 

ぼくら夫婦はアートを表現しているけれども、拠点は北茨城市の山の集落で、お年寄りにしか会わない。毎日会う老人たちは、ぼくら夫婦がしていることに興味を持ってくれ、時には手を貸してくれる。野菜や食べ物やお小遣いをくれる人もいる。そんな人たちを無視して表現する理由は1ミリもない。だから必然的に、毎日出会う人に伝わる表現をしたいと思うようになった。子供からお年寄りまで、できるだけ分け隔てなく伝わることが、ここで表現することの基準になった。

アートをできるだけ分かりやすく、伝わりやすく表現すること。それは結晶化することでもある。これは芸術だから、分からない人はむしろ勉強が足りないとか、芸術だから高尚であると、椅子に座ってそこから歩きもしないような表現になりたくない。芸術のための芸術だとしたら、それはもう腐っている。芸術は常にその意味を更新していく。時代は変わるのだから、人間も変わるのだから、伝えるべきメッセージも位相を変える。その意味で、お年寄りに伝わるアートという基準は、素晴らしく有り難いハードルになっている。

つまり、パーカーのプリントのデザインをしているのだけれど、ファッションとは程遠い、お届けする対象は80代から10代になる。特に高齢者はメインターゲットになる。何なら伝わるのか、チフミと話し合っているとき「debris」という単語に遭遇した。

Debrisは瓦礫という意味だ。今まで注目したことのなかった瓦礫という言葉。建物が破壊された残骸のことで、建物を壊せば瓦礫になる。例えば建築が建物を生むことを意味するならば、瓦礫はその死体。つまり、建物の対極に瓦礫がある。建築と瓦礫。この対比に初めて気がついた。

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大切なことは、誰かが見つけたことではなく、自分の興味が発見したこと。その眼差しは作家にオリジナリティを与えてくれる。ゴミでしかなかった瓦礫の存在が新しい意味を纏い立ち現れてきた。

人は、ほとんどのことに注目しないまま生きている。当然ながら、すべての情報をキャッチしたら頭がパンクしてしまう。だから、ほとんどのことをオフにしている。ぼくにとって瓦礫がオンになった。身の回りの些細なことでも、意味を探求すれば、いくらでもオンして哲学できる。

災害が起きれば瓦礫が出る。震災で壊れた家屋や、台風で流されたり吹き飛ばされた家、もしくは戦争や火災など、かなり激しい状況下で瓦礫は発生する。再利用することもできるけれども、その比ではない瓦礫予備軍が、今もそこら中に聳え建っている。すべての建物は瓦礫になる運命にある。

そう考え改めて瓦礫を観察すると、それは不思議な物体に思えてくる。それもそのはずで、瓦礫が発生することを分かっていながら家やビルを建てる。未来の瓦礫の量は計算されない。建築家は設計するけれども瓦礫になることを加算しない。瓦礫は建築家の仕事ではない。死は医師の仕事じゃない。そういうことだろうか。死ぬことは、生きることの延長にあるのに、瓦礫のように死は日常から遠ざけられ隠されている。

瓦礫は人工物で自然には戻らない。瓦礫は、人間が自然に抵抗して、より強度な構造を求めた結果、敗れた残骸だ。それでも人間は負けを認めず、それを無かったことにしたい。瓦礫は人間が自然界にある法則を駆使して誕生させた物体であり、人間は瓦礫の創造主だ。それなのに我々は瓦礫の行方を知らないフリをする。

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「我々は何処からやってきて何処へ向かうのか」ゴーギャンの作品のタイトルのように、人間が宗教を通じて神に問うような矛盾を人間が作り出している。

続く