いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

失われていく「お祭り」のチカラ

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昨日は、地域でお祭りだという話を聞いて、チフミは近所のおばあさんの家に手伝いに行った。何のお祭りかおばあさんに聞いても「お祭りだよー」としか話してくれなくて、別の人に聞くと「お祭りだけど何にもしないよー」と言う。

 

何もしない、ってことは縮小して消滅する寸前のお祭りなんだろうか。そんなことを考えながら、ぼくはとにかく屋根を直したくて作業に集中した。屋根が掛からないと、雨が降れば木材がどんどん傷んでいく。果物が熟し過ぎて落ちるようなことだから気持ちが焦る。朽ちて落ちた木材は元には戻らない。一日に何枚のトタンを張れるのか、スポーツのような気持ちでこの数日はやった。ところが全力でインパクトを押したビスが外れ、滑った先の右手親指をインパクトで突いてしまった。やってしまった。負傷してしまった。様子を見に来る人全員に怪我に気をつけろ、と言われていたのに。

 

怪我は親指だけだから、痛みに耐えて親指を使わないように作業した。怪我するときはほんの一瞬のことだ。思い返してみれば、あのときああしなければ、とスローモーションで場面が再生される。もう一度、あの場面に戻ってやり直せれば、この痛みはなく、仕事も早くやれるのに。

たまに怪我をする。大怪我もある。怪我はメッセージだ。そう思うことにしている。今回の場合、親指だけで済んでよかった。屋根から転落するとか、チェンソーで足を切るとか、いろいろ危ないことが起こる可能性がある。

 

「幸せなら苦しみを取れ。豊かなら貧しき人に与えよ」何かの本で読んだこのフレーズが頭に浮かんできた。聖書の引用かもしれない。きっと親指を怪我してなかったら、もっと大きな怪我をしたと思う。それだけ安全に対する注意が足りていなかった。

 

昼になってチフミが「お祭りの準備できたよ」と呼びに来た。地域のお祭りとは、農家の収穫祭だった。熊野神社というところがあって、いくつも分社があって、昔はこの地域の山にも神社があったらしい。むかしは、山に登ってお祈りをしたけど、今はもう朽ちているから、誰も行かなくなって、あるのはけもの道だけだとか。それはそれで行ってみたいと思って、今でも行けるか聞いたら、おばあさんに「お前、今日は行くなよ」と言われた。

 

お祭りは、食事を振る舞うだけのものだった。おばあさんは、前の晩から準備して、当日の朝から火を熾して餅米を蒸した。ぼくたちがお昼をご馳走になっていると、3人来客があって一緒に食べた。食事に来れない人には、ビニールで包んでおばあさんが届けに行った。つまり、祈りも儀式もない「食べる」それだけのお祭りだった。

 

一日経って、あのお祭りは何だったのか思い出しては考えた。時間も食材も労力も費やして、周りの人に食事を振る舞うことはとても豊かなことだ。食べ物を作って人に与える行為の贅沢さ。おまけに火で蒸した御赤飯は、とても美味しいご馳走だった。

 

生活をつくることが芸術である。これがぼくの追求する表現のテーマだ。なぜなら、ぼくたちは、日々の暮らしの中ですべてを選択して、自分の人生を作っている。日々の暮らしの選択するひとつひとつを茶道のように、丁寧に選んで行動するとき、日常が芸術になる。

 

ひとりの生活は、世界中すべての人生と繋がっている。何があれば生きていけるのか。何がなければ生活が苦しくなるのか。屋根、床、壁、水、トイレ、食料、電気。あと何が必要なのか。それを知るために極力シンプルにあらゆる便利をリセットして廃墟から生活を構築し直している。この時代に、働いてお金を稼いで消費しての日々を繰り返すほど、無責任な行為はない。何でもいい身の回りにあるものを手に取って、それがどこからやってきて、どこへ行くのか想像してみるといい。できるだけ顔をイメージできる相手から買い、できるだけ自然に返る、処分しやすいものを購入する。すべてをそうするのはもちろん、とても難しいことだ。

その意味で、北茨城市の山の集落で、消えそうな「お祭り」はとても美しく優しかった。無償で何かを与えるという行為。ここに日本人が持っていた精神の美しさを垣間見た。これが宗教のチカラなのか。信仰することの尊さがまだこの地域に残っている。