いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

自由になるにはまず家から解放されて

アトリエにしている古民家には暮らせないことが決まった。北茨城市に引き続き暮らそうと考えているので、家を探すことになった。2014年からずっと家から家へと転々として8軒の家を改修したり片付けたり暮らしたりしてきた。

「家」とは何だろうか。快適な家、不便な家、高級な家、貧しい家。いろいろある。ぼくにとって家は、雨風や寒さから身を守るシェルターだ。だから、屋根と床と壁があればいい。それから水、トイレ、電気。都心から離れれば、いくらでも家は安く借りられる。ぼくは家賃を安くするために地方に暮らすようになった。世界の基準からすれば日本の価値観はあまりに偏っていて、もう充分に幸せになる環境は整っているのに、そこに手や足を出せないようになっている。そこに踏み込むことは、決して怠け者なんかじゃない。もっと楽に生きても大丈夫なのに。

アトリエのある揚枝方は、自然に溢れた里山で、何もないけれど、自然のなかで人間が生きてきた場所で、その環境が何も発展しないまま時間が止まっている。昭和のまま。それが心地よいとか美しいと感じている。

ただ一箇所だけ、地域の人もぼくも見えないフリをしている場所がある。荒れ地で産廃が山になって廃墟のような倉庫とプレハブがあって周りには草が生い茂っている。ここは美しくない。人間が汚した場所で、手を出したくない負の遺産だ。

もし、ここに居住空間を作れば、汚ない場所を美しくできると閃いた。イメージできることは実現できる。この地域にとってマイナスな場所をプラスに転換させることにした。持ち主は仲良くさせてもらっている地域のおばあちゃん、スミちゃんなので即オッケーしてくれた。

 

5月の末から、草刈りをして、ゴミを片付けて、ツルハシで産廃の山を崩して整地して、それでも人力では限界を感じて、ユンボの免許を取りに行ったけれど、個人へのリースはどこもやってなくて、サーフィンで知り合った地元のてつくんが、ユンボを出してくれることになって今日、ユンボがやってきた。

整地できたら、いよいよ部屋をつくる。その前に雨漏りしている屋根を修理する。雨漏りは、家を劣化させるので早めに対処しておきたい。倉庫の屋根も半壊しているから直しておきたい。

家を自分で直せると、住居という悩みから解放される。こんな自由なことはない。家賃の心配がない。ボロボロで、ひとが利用できない場所を使えるように、つまりマイナスをプラスに転換できれば、競争相手もいないし、おまけに仕事にもなる。

廃墟の再生は、いろんな人が興味を持ってくれる。こんな場所に暮らすのか?と驚いたり、夢があると言ってくれたり、建具屋さんが、使わない新品の建具を持ってきてくれたり。テレビや雑誌の取材が来たりしている。

 

この広がり方に資本主義ではない経済の種がある。なぜなら、この場所を再生しても、高級住宅にもならないし、家賃収入を得られるものでもない。損得で考えれば、損する場所でしかなくて、1円にもならないことに時間を費やし、まるで不便で貧しい家を作ろうとしているのだから。けれども、この行為のなかに人の心を動かす何かがある。経済価値で測れば、経済効果はないし、ビジネス目線で人が動くようなことでもないし、そういう現代社会の仕組みから零れ落ちたところにまだ、言葉にならない活動するべき領域が広がっている。損と書いたけれど、貨幣に換算されるのとは別の所得、つまり「信用」がここに生まれている。

いま参院選の山場を迎えているけれど、もちろん選挙に行って未来を選択することは重要だけれど、それ以上に、選挙が終わってからも、今感じていることを日々の生活のなかで実践していくしかなくて、経済の競争に巻き込まれてしまえば、ぼくたちはノーと言えなくなってしまう。「信用」よりも「お金」を選択する奴隷になってしまう。前回の記事に、貨幣経済のはじまりは「余剰」だと書いた。「余剰」は食べ物でも時間でもお金でも、どれでもいい。そのどれでも、余剰があればぼくらは豊かになれる。その余剰をツールとして使うアイディアと技術があれば。

それには、あらゆることから距離を自由に取れる、自立したライフスタイルを目指したい。お金をやるから言うことを聞けという強制に対してノーと言える自由を手に入れるには、お金以外の余剰があれば抵抗できる。働かなければ時間がある。その余剰が自立のはじまりになる。労働しない代わりにに手に入れた時間を消費してマーケットに差し出すのではなく、自立するためのひとり作戦会議に費やす。お金のかからないやり方を模索する。

 

ハキムベイという作家は、あらゆるところから距離を取るようなやり方を一時的自立ゾーン=「T.A.Z.」と名付けた。つまり、中心に向かって競争の山を登るのではなく、辺境を歩きながら、いくもの領域に接触しながら、生きていくことだとぼくは、その言葉の意味を解釈している。

例えば、ある社会問題に関わるとして、空き家再生をしてます、と名乗りその専門家になってしまえば、それでビジネスを展開して結局のところ、お金がなくて困っている人を助けることができなくなる。空き家で年商何億という見出しで評価されてしまう。

これはいろんな領域で言えることで、音楽をやってます、と言ってメジャーデビューを目指してやってます、みたいな形式だけをなぞっても、産業化される音楽が誰の心を救うのだろうか、と訊きたくなる。その音を聴く前に。または、絵を描きます、と言って何千万円で売れましたとか、いいねが100つきました、とかいうような、その行為自体の意義が、数とか貨幣的な価値にすり替わっていることに興味が湧かなくて、むしろ、その薄っぺらい表面的な価値観の向こう側にある創造の源泉に言葉を持ち込んでみたくて、これを書いている。

ぼくは絵を描くけれども、アート業界のピラミッドを登りたいとは思わない。その山を登る努力をするなら、アート業界と気まぐれに接触するT.A.Z.を目指したい。つまり、ときには大工、ときには農家、ときには音楽家、ときにはサーフィンをやって、ときには文筆家で。つまり、これは去年読んだ本「ゾミア」に繋げそうな話になってきた。

ぼくらは同じ時間軸を進んでいる。時差は多少あっても、誰もがこの時代の最先端を生きている。未来からやってきた人はいない。だから、もっともっとという欲望から解放されれば、何か新しい生き方をつくれるんではないか、という可能性について、話しを続けてみたい。それがぼくの考える生活芸術というものでもあるから。

(続く)