いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

制作は始まっていた。新作は目の前にあって、いつのまにか、生まれようとしている。

ぼくが妻と取り組んでいる生活芸術は、その名前の通り生活のなかの芸術を追求している。それは生活のなかに芸術が浸透して見えない状態になっていて、していることが芸術なのか生活なのか自分でも理解できないことがある。

ぼくがしていることは、ほとんどの場合、ただ生活しているだけなのかもしれない。ただ生活している快適さや楽しさを分析したり、どうやったらそれを続けられるか考えて行動するとき、その行為は単なる生活ではなくなる。生活を編集して制作していると言える。

 

北茨城市に古民家のアトリエを作った。これは北茨城市の施設で、ぼくらは暮らすことができない。アトリエとしては使えるけれど、住所にはならない。ぼくらはこの環境が気に入ってるので、別の家を探すことにした。

何件目の家だろうか。2014年からずっと家を探している。愛知県で空き家を改修して、家を直す技術を手に入れて、三重県岐阜県に暮らしてきた。家に執着しないことにして、暮らした家が自分のものにならなくてもいいと考えることにした。空き家は、人が暮らせば再生する。改修しなくても、片付けや掃除をしてやれば家は生き返る。家はその家族の運命と共にある。どんなに立派な家でも気に入っても欲しないことにした。流れに身を任せるのが一番快適だ。仮に流れに逆らって、無理をしてもその先にもずっと同じような困難が続くことを空き家暮らしから学んだ。

 

じゃあ、別の家を探そうとアトリエの近所暮らすスミちゃん(80)と話していたら「ウチの隠居に住め」と言ってくれ、スミちゃんが、何十年振りかに隠居のドアを開けたら、水道管が破裂していて、家は水浸しだったらしく、その話しは自然消滅した。

周りを見渡してみると、廃墟と産廃が山になった荒地がある。そのことがずっと頭の片隅にあった。つまり建物がある。壁と屋根と床があれば、そのどれかが壊れていれば直せば作ればいい。

そもそも、この美しい里山の景観にこの廃墟は、あまりにミスマッチだった。まったく美しくない。この場所もスミちゃんの持ち物だったので「ここを綺麗にしてもいいですか?」

と聞いたら「いいよ。好きに使えばいいよ」と言ってくれた。

手をつけてみると、空き家改修の次元じゃなかった。最終処分について考えるレベル。つまり家庭のゴミではなく産業廃棄物の山だった。

 

妻のチフミは、控えめに言っても片付けの天才だ。空き家が空き地に規模拡大しても、片付けの基本ができているから、やる事は同じで、コツコツと始末していく。基本とは分別して置く場所を決める。すると、産廃と言っていたゴミが、鉄、プラスチック、ガラス、タイヤ、ブロック、瓦、木材、と内容が明らかになってくる。整理しながら、産廃の山を崩していく。

様子を見に来たスミちゃんは「おー、綺麗になってきたな。ここに住めー」と言ってくれた。廃墟だけど。

おまけにブロックを指して

「これを積んで地面を平にすれば、整地できっから」と指示を出してくれた。

スミちゃんは、元土建業界の人。産廃と呼んでいたブロックにそんな使いみちがあるとは。いやむしろ、それがブロックの本来の仕事だ。

 

この空間を整理して一カ月。どうやら、究極なサバイバルアートを実践していることに気づいた。ここにあるものを最大限活用して快適な空間をつくること。この空き地が今回の作品となる。どうしようもなくなって、誰もが無視していた空き地を再生する。

絵を描くことはアートの基本だ。けれども、そこから発展した今の時代に適ったアートの姿があってもいい。人類が見失っている価値を発掘したい。時代に必要なアートはこれだという道を開拓したい。映像などに記録して、伝えることができれば、それは作品になる。

 

去年辺りから「ココニアル」というコンセプトについて考えている。

なんでもある都市に対して、地方や田舎は「何もない」と言われる。ほんとうにそうだろうか。見渡してみれば、田舎には、草や木、水、大地、空、星、虫や動物たち、川、自然がたくさんある。これらは、何もないどころか、生きるために必要なすべてである。自然の側に立ってみれば、都市の方こそ何もない。ぼくらはこの左右のバランスに立っている。左か右かという問題じゃない。都市か田舎という二択でもない。

表現者として、この田舎の土地を利用して何をつくれるのか、ここから何を伝えることができるのか、これは自分がみつけたテーマだから、自分が表現してみせるしかない。この何もないにあるすべてとは何か。制作の過程を言葉で追って、思考を整理していく。未だ言葉にされていない領域を開拓して意味を与える。これが今している作業で、作品の思想であり背景になる。自分の行為を自分で理解するには言葉に変換するしかない。

 

「ココニアル」は「コロニアル」の真逆を目指す。

まずコロニアルを理解しよう。コロニアルとは日本語で植民地化のことで、国外に人が移り住む、本国政府の支配下にある領土のこと。200年ほど人類は、この流れに乗っている。はじまりは、18世紀末にイギリスで紡績機械の開発がはじまり、産業革命が起こり、機械に従事する人間が必要となり、それまで農業を営んでいた人々から土地を奪って農家を生産手段を持たない労働者に転化させた。

働く者と働かざる者に分かれた。富める者と貧する者とも言える。当然、日本にもこの流れは波及した。農家は減り、都市へと人は流入して、田舎は何もない場所になった。植民地主義のピークは第二次世界大戦だ。その惨劇すら忘れようとする日本が見え隠れしている。

 

生活という言葉に着目すると、ぼくたちはほとんど生活をしていないことに気がつく。野菜も育てないし、家もつくらない。水も汲まないし、火も熾さない。生活とは、命を永らえるための活動のことだ。

それをしないことで何が起こるのか。人間が暮らしやすい環境が自然の中から消えていく。自然と人間の関係が失われていく。人間は、機械化された産業で生産される製品を消費する。消費する機械として働く。つまり未だにコロニアルの影響下にある。

もう変わらないのかもしれない。むしろこれが、正常な人間の暮らし方として定着しているのかもしれない。だとして、じゃあ、どんな理想がこの先描けるのか、その絵を魅せるのが想像力を駆使する作家の仕事だろう。現実と空想の狭間に理想を描くこと。

ココニアルは、ひたすら「ここにあるもの」と向き合ってみる。目の前に可能性を見る眼差しを持つ。ないをあるに変換する。

ココニアルは、外からその土地に踏み込んでいくけれども、お邪魔するだけだ。一時的に。何も奪わない。マイナスをプラスに転化したら、持ち主に返す。

ココニアルは、できるだけ消費しない。むしろ生産する。マイナスをゼロにできることならコンマイチでもプラスに転化する。そこにあるモノには役割がある。もしくはあったはずだ。解決策はある。

ココニアルはジャズだ。環境とセッションする。最小限の条件のもと。登山だとも言える。未だ歩いた人がいない道を進むように、どうやってこの環境を再生するのか分からない場所に立ち向かっていく。

あらゆる境界線のうえを歩いている。もしその一線を欲望や所有の概念で越えようとすれば争いが生まれる。けれども、生きるために、その命を永らえるためだけに通過させてもらうなら、すべての境界線は、バリケードを解放する。なぜなら、マイナスがプラスになって返ってくるのだから。自然の摂理にはその循環がある。

ぼくは「ココニアル」をアート手法として提案したいけれども、必ず成功するとも限らないし、何ができるかも分からない。なぜなら、そこにあるものを最大限に活用してつくるセッションだから。表面的に美しいものをつくるために、いくつもの犠牲を払ったり、不要なものが増えたり、お金が無駄に投入されることが、いつまでも最新のアートでいいのだろうか。

ぼくは、この200年以上の流れに反旗を翻して、理想の生活芸術を美術館やギャラリーではない、生活空間のなかに点在させていきたい。