いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

絵を描く生活。45歳。芸術家。

絵の構想が頭の中にある。5月と6月は、いろいろ仕事の依頼があって、それも仕上がってきて、おかげで次へと進めそうだ。目の前の仕事を追いかけていると、新しい絵は生まれない。仕事がなくなって、さあどうしようか、というゼロの状態で絵のイメージが湧いてくる。忙しくても湧いてくるけれど、頼まれている仕事がない方が、どうでもよさの純度の高い作品が想像できる。どうでもよいチカラの抜けた作品。でも、それは描いてみないとなんとも評価できない。頭の中では、いくらでも修正を繰り返してしまう。

忙しいなか、頭の片隅で練り上げきたイメージを仕事と仕事の合間にさっと描くとき、なんの迷いもなく速やかに完成することがある。失敗する余裕がないから、作業に緊張感が生まれる。けれども、失敗するのも悪くない。ああ、これは駄目だったと分かることは、明確な答えを手にする。むしろ成功する方が、セオリーが見えない。いくつもの好条件が重なって成功しているから、何が勝因なのか答えがない。

 

大きな絵を描きたい。自然の中を人間のカタチをした植物の塊が動物に囲まれている。空と山が見える。動物は、イノシシ、鹿、犬、猫、猿、キジ、トンビ、スズメ、タヌキ、キツネ、あと蝶々も飛んでる。パネルは逆三角形にしよう。

こうやって湧いてきたイメージには、なんの価値もないし、ニーズもない。それを絵にする。納得のいくところまで画面を構成して、下絵をつくる。構図が破綻してるぐらい、いろんなイメージを組み合わせる。ここにぼくの原点であるコラージュ技法が生かされている。

植物の塊の人間の細部を検討する。どんな植物にしようか。雑草がいい。そのなかに花が咲いている。

 

絵のイメージは、ぼくが体験したことをぼくを通じて現れる。頭の中に。だから、毎日、何をして暮らすのかが、とても重要な素材になっている。見たこと、聞いたこと、感じたこと。現実が嫌なものであれば、現実を逃避した作品になるだろうし、怒りがあれば、そういう作品になる。

だから、ぼくは都市から離れた場所を制作の拠点にしている。アトリエがある北茨城市の富士ガ丘という地域には何もない。お店も一軒しかない。何もないとは、人間側にとっての便利さの話で、自然の側からすれば、すべてがある。山、川、森、雑草、動物や虫、それらが自由に広がっている。

 

ひとつひとつの絵が傑作になればいい。けれど、時間とか労力とか、売れるとか売れないとか、そういうことを計算し始めると、イメージしているような作品は生まれない。

アート作品は、徹底した無駄だ。役にも立たないし、コストパフォーマンスも悪い。おまけにニーズがあるかも分からない。誕生する前は、社会に必要とされる要素が全くないところに、贅沢の極みがある。ある意味で作品を存在させる試みとその結果があまりに贅沢。

究極に矛盾した状態に作品を孤立させることができれば、その作品に個性を与えることができる。未だ名付けようのない感覚の領域に存在している。

 

ハキムベイという詩人は、それをT.A.Zと名付けた。一時的自立ゾーン。周囲と独立して、そこだけで成立する空間。地方に暮らしアトリエを持つこともT.A.Zの実践だ。

経済社会から、広告が作り出す価値から、テレビや新聞の情報から、「ちゃんとする」という曖昧なコモンセンスから、距離を取る。絶妙なバランスで。金持ちでもなければ貧乏でもない。知らないことも知ってることも、どちらもたくさんある。知らなくていい情報は摂取しない。

理想の作品も一時的に自立させたい。とてもメッセージ性の強い作品なんだけれど、作品を前にすると、もっと純粋な意味を超えた快楽ばかりが感じられるような作品。あらゆるアート的な制度や価値観から距離を保つ作品。美術館やギャラリーには縁がないけれど、誰かにとっては、心を鷲掴みにされ、目の前から離れられなくなるような作品。

 

こうやって、作品の仕上がり具合をイメージしながら制作している。このイメージを妻チフミが、絵の具と筆を駆使して完成させる。最近は、そういう役割り分担になってる。

だからか、チフミがいなくなってしまう夢を見ては、恐れている。チフミは「わたしに頼りすぎじゃない?」という。夢の中で。けれども、いつか人は死んでしまう。どっちが先に死ぬのか分からない。でも、今、妻も自分も生きていて、一緒に作業して、作品を残せる日々は、ほんとうに貴重な時間。

いますぐに価値がなくても、妻と一緒に作品をつくること、その行為自体が究極の幸せだから、ひとつでも多く作品を残したいと思う。文章を書きながらそういう結論になった。絵を描こう。