いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

空き家は魔物

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家を作品にしようと改修を繰り返している。家は恐ろしい魅力を放つ。とくに古い家は魔性だ。

家は生きている。家は人を選ぶ。家は人を働かせる。気をつけた方がいい。ぼくは、もうとっくに家の魔力に飲み込まれている。

 

この家に来てから1年半が経った。この家は、山の小さな集落に建ち続けること150年。江戸時代の末期から、この場所に生きている。この土地の景観は、さほど変わっていないと思う。それがたまらない魅力。ぼくにとっては魅力だけれど、訪れる人にとっては迷惑なほど不便だったりする。

 

古民家だから寒い。お店もないからクルマがないと生活できない。おまけに今年の冬は、暖かく晴れが続いて快適だと思いきや、雨が降らないせいで、井戸が枯れた。水が出なくなった。それでも、この家が愛おしい。

枯れた井戸のポンプを再起動するとき「呼び水」をする。「呼び水」とは、ある事柄を引き起こすきっかけという意味もある。ぼくはこの家を作品として完成することが何かしらの呼び水になると信じている。いつだって根拠のない自信がぼくを奮い立たせる。

 

すっかり家に取り憑かれたぼくら夫婦は、1月も2月も家のために働いている。自分の家でもないのに、少しでも使いやすいようにと、知恵やアイディアを捻り出している。家を改修していると、どういう訳か、光に虫が集まるように、人が集まってくる。

今は、羽岡(はおか)さん(推定72歳)が通ってくる。毎日作業をしては、明日はこれをやろうと打ち合わせして帰っていく。

木を1ミリよりもっと細かい単位で切る。そうするとぴったりハマる。まるで興奮剤だ。ハマらなければ「あーっ!」と声が出るし、ハマれば「よし!」と次の作業が止まらなくなる。羽岡さんとぼくの声が、家の中に動物がいるように「あー!」「よし!」「あー!」と響いている。

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馬小屋の階段は、干し草を運ぶために作られた簡易的なものだから、急な勾配で老人にはキツイ。登ったら降りられない人もいる。「それじゃ困る」と家が言う。ぼくにはその声が聞こえる。羽岡さんは、すでに階段を改修するアイディアを持っていた。そのアイディアを基に改修し、たまたま現れたご老人に登ってもらうと、全体6cmほど、上げたいという。なんと!

日も暮れてきたところだったけれど、羽岡さんが帰った後に、階段ごと持ち上げて修正した。6cmの木材を突っ込んで底上げに成功。おかげで筋肉痛。

 

昨日は、羽岡さんが床を完成させてくれたし、初めて作ったステンドガラスも入った。

ミリ単位でぴったりハマると興奮するというドーピングがご褒美で家に働かさせられる日々。もう少し続きそうだ。そろそろ絵を描くシーズンに移り変わる。

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