いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

嫌なことも、書いて記録して、ネタにして、言葉にして、放てば、それはユーモアに変わる。

f:id:norioishiwata:20190211083425j:image

「明日、大雪予報なのでトークイベントを延期するか検討してます。別の日の場合、ご都合はいかがでしょうか」

清澄白河にあるリトルトーキョーという場所で、トークをする予定になっていた。リトルトーキョーは日本仕事百貨という求人サイトを運営する会社のオフィスビルで、バーやイベントスペースを併設している。雪予報のため、イベントを延期するかもしれないと、担当者から連絡がきた。

 

チフミと延期について「どうしようか」と話した。朝から晩まで仕事している。それでも諸々が締め切りに間に合うか分からない状況。

チフミは今やっている仕事を優先させて、精度を上げ片付けたいと考えてる。ぼくは、来る仕事は全部受けようと思っている。

結局、当日の昼に判断されることになった。で次の昼、たいした雪じゃなかったから開催されることになった。大慌てで準備して、北茨城市から東京に向かった。

 

ぼくのやっている仕事?(と呼べるのかは置いといて)やっていることは、絵を描く。立体作品をつくる。家を改修する。文章を書く。話しをする。生活をつくる。昨日は「話しをする」の出番だった。

「話す」について分解しておきたい。頭の中にあるイメージを言語に変換して、口から音にして発する。話す。だからイメージの蓄積が話しのソースになる。イメージをネタと言い換えてもいい。ネタは見たり聞いたり読んだり体験したことだ。ネタとしては、誰かに話したとき、何かしらの印象を残す方がいい。

ぼくにとって「話す」と「書く」は、連動している。毎日起きた出来事を記録する。すべてのことは書けないから、印象的な出来事が記録される。こうやって話しのネタが蓄積される。

なかでも、インパクトが強いものがより良いネタになる。自分にとって負荷があるような、苦労したことや、悲しかったり、困ったこと、悩んだことが、振り返ってみると、ネタになりやすい。

昨日、トークをやって、その構造に気がついた。スライドを使って、自分の成果とか、これだけのことをしてきました、という自慢話よりも、失敗した話しの方が圧倒的に面白い。

 

実は困っていることなんだけれど、友達でもあるご老人が、少し呆けてきて

「石渡くん、今日話しあるから来てくれないか」と電話してきたので

「今日は東京でトークイベントあるかもしれないから伺えません。明日なら行けます」と伝えた。

30分後にまた電話が鳴って、なんと!まったく同じ話しをされた。そして、なんと!そのあとなぜかチフミが説教された。

ご老人は、一昨日、家の改修を手伝ってくれて、帰りに感謝の気持ちを伝えて、丁寧に挨拶して送り出したのだけど、その後に電話で御礼を言うべきだと注意してきた。

うーん。。

チフミは何も言わないまでも怒っていたし、ぼくもチフミにわざわざ言うことに腹が立ったけど、昨日のトークの最後にこのエピソードを話して、みんなが楽しんでくれたので、むしろ、面倒な出来事に感謝することになった。チフミと帰りのクルマで、そういう話になった。

嫌なことも、書いて記録して、ネタにして、言葉にして、放てば、それはユーモアに変わる。これは素晴らしい循環を発見した。そして、ご老人の言葉に耳を傾けて行動してみることにした。

昨日のトークイベント関係者に改めて御礼のメールをした。それぞれの人と、ずっと距離が近くなった。

 

追伸

もし、これ読まれたご老人さま。未熟な人間が、書きながら気がついて、気持ちが感謝に変わったドキュメントです。ありがとうございました。