いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

重いより軽いがいい。

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友達が増えた。引っ越して新しい土地に住めば、新しい知り合いが増える。その中に、繰り返し何度も会う人たちがいる。それが「友達」だと思う。

北茨城市では、60代から70代の友達が増えた。友達なんて失礼かもしれないけれど。


今日は、北茨城市日本画の作家、小板橋弘さんと話した。今年還暦だそうだ。60歳になる。

小板橋さんは

「絵を描いて、気に入った作品できても売るでしょ、それでまた描くでしょ。でも絵は手元に残らないから、何のためにやってんだろうって思うときあるんだよね」

先週、アートに関する座談会があったとき「北茨城市には、絵で食っている作家の先輩がいる」と小板橋さんの話をしたら「絵で食っている人っているんですね」と驚いていた。アートで食っていくのは、それほど難易度が高いことでもある。日本で「適当に楽しく生きる」は、ほんとうに、天才的なバランス感覚が要求される。


一方で、小板橋さんの奥さんの恵さんは、裂き織りという織物の作品を作っていて「アートで生きていくって生活水準の設定次第じゃない?」と軽く言った。


アトリエArigateeに通ってチェンソーの木彫りをやる平さん(75歳)は「60歳になったとき、リセットして、ゼロ歳だと思うことにしたんだ。そしたら、好奇心の塊でしょ。何でもやってみたいことをやるようにしたんだ。だから、ぼくは、いま60年分の知識を持った15歳なんだ」

と言った。

今年60歳の小板橋さんは

「じゃあ、俺はゼロ歳だ。いやほんとそう思うよ。やっぱり歳上の人と話すといいね」

と笑った。


アトリエArigateeの水が最近出なくなった。井戸だから理由が思い当たらなくて、小板橋さんに話したら「ウチの近所の人も言ってるよ。最近雨がないからだよ。井戸が枯れてるんだよ」と教えてくれた。ぼくより長く生きている人と話せば、どんな本を読むより、知らないことを教えてもらえる。「無知の知」が広がる。


今日は雨が降った。嬉しかった。雨が嬉しかったし、自然のなかに生きている実感があった。家の周りの木々や植物も喜んでいるようだった。チフミはもっと雨が降ればいいと言っている。雨が面倒だと感じるなら、生活の中に自然がない。雨に感謝するとき、その人は自然の中に生きている。

ぼくは、北茨城の環境が好きだ。多くを望まなければ、欲張らなければ、楽しく生きていける。

ぼくたちは、全員が「生きる→死ぬ」の一方通行を歩いている。だったら、笑って楽しく歩けばいいじゃないか。細かいことは、全部忘れて。

どうでもいい荷物をたくさん抱えて歩けなくなるなら、その荷物を捨てればいい。だって60歳がゼロ歳になれるんだから。リセットすればいい。ゼロになればいい。身体ひとつあれば生きていける。生きるための技術があれば、自然が活かしてくれるから大丈夫。もっと軽くなろう。

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