いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

とにかく表現することだ。息をするように。

最近は、文章を書いては途中のままで、ここに記録できないでいる。やりたいこと、やっていること、しなければならないことが、混沌としている。
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世界はどんどん悪くなっている。
1月30日
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北茨城で作家活動する鈴木鈴(すずきりん)さんと話した。りんさんは、根付という象牙を削る彫刻家。りんさんは言う。
「そろそろ、オーダーもお金がなくなって、働きに行かないと無理かな、と思うと、オーダーが入って。こうやってなんだかんだ作家を続けてきたの。そんなとき、ご先祖様が守ってくれてるのかな、と思うの」
1月29日
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ぼくのやりたいことは、作品をつくること。妻のチフミとの人生を創作に捧げること。こうやって文字にすると「祈り」のようだ。

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改修している馬小屋に廃材で窓を作った。毎日、散歩のついでに様子を見に来てくれる松本さん(78歳)が、窓に使った材を見て
「仏壇の扉を使ったんだな、仏壇は【祈り】だからいいけど、神社は【願い】だから、神社の材は再利用したらダメだぞ」
と教えてくれた。

ぼくにとっての作品とは、
生きることのドキュメントであり、文章であり、絵や立体の作品であり、改修してきた家たちから生まれる物語。


理想の生活環境を追い求めて走ってきた。混沌としているけど、テーマははっきり見えている。

生活-Life
自然-Nature
芸術-Art

理想は、いつだって現実のずっと先にある。作品は理想を現実に翻訳する。人間が生きることについて、自然と人間の関わりについて、それを作品として表現したい。願ってばかりでは何も進まない。
決して冗長に語るのでもなく、煙に巻くようなやり方でもなく、その作品がそのまま素直に語るような表現をしたい。

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いろんな素材が継ぎ接ぎされた馬小屋がどういう訳か美しく見える。

とりあえず、作っている。とりあえず、メシが食えてる。とりあえず今日、全力で仕事した。

これでいい。