いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

貨幣経済への反抗生活

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失ってから気づいたのでは遅くて、それが手元にあるとき、それを愛せるか。愛しているか。愛なんて言葉を口にしてないなら、それこそ、いま手元にある財産をまるごと捨てているようなことだ。

 

失ってから気がつくことばかりだ。ぼくは、交通事故で、動けなくなったとき、動けることの喜びを知った。それをきっかけに、いまできることを全力でやろうと思えるようになった。でも、すぐに忘れてしまうから、こうやってメモをして思い出すように努めている。

 

例えば、朝起きて、目が覚めて、暖かい布団から出たくない、と思うとする。けれども、布団から出れない身体だったとしたら、布団から出て自由に歩きたいと思う。だから、ぼくは走る。冬の朝の寒い時間を走ることができれば、その1日はどうあっても暖かい日に感じることができる。

 

昨日は、いわき市のナオトさんが遊びに来てくれた。お土産にコーヒーを持ってきてくれた。さあ、飲もうとしたら、コーヒーは豆だった。挽かないと飲めない。そうだ、すり鉢があるから、それで粉にして飲んでみよう、やってみると、粗挽きとか、もっと細かくとか調整できることが分かった。粗挽きは、薄くて、でも遠くでコーヒーの香りがして、細かく挽くと濃いブラックコーヒーが飲めた。自分で挽いたコーヒーは、味わい深かった。売っているものでは味わえない絶妙な淹れ具合を堪能できた。そもそもコーヒーは、こうやって淹れていたんだ。きっと。

 

昨日夜、LINEを見ると、和食料理屋太信のマエケンさんから「明日ヘルプ入れますか?」とメッセージが入っていた。年末の繁忙日にヘルプに入ったのをきっかけに、また声を掛けてくれた。お金に困っているから働くのではなく、助けを求められたから働く。自分にとって、これは新しい働き方だ。

 

飲食店で働くと、そのスピードに驚く。時間との戦い。素早く丁寧な仕事が要求される。ここで働く理由は、社会見学と、他業種のリサーチでもある。太信のみなさんが「芸術家に働かせて申し訳ない」と言ったりするけれど、「生きるための芸術」という視点では、太信という料理屋こそ、完成した生活芸術だと思う。

ここには「太信」なりの生きていくための知恵と技術とノウハウが詰まっている。ぼくは、お金を貰い賄いのお昼を頂いて勉強させてもらっている見習いだ。

 

太信に働きに行く前、少し時間に余裕があったので、長浜海岸の旅館「浜庄」さんに遅い新年の挨拶に行った。ついでに長浜海岸を絵にしたポストカードを渡した。その御礼にと魚を食べきれないほど頂いてしまった。

 

太信で働いた後、普段、お世話になっている地域の方に魚を届けに行った。ぼくは、北茨城市に2017年の春から暮らすようになって、市のサポートもあって知り合いもそこそこできた。割と高齢の方が多い。みんな血の繋がりも仕事の繋がりもないけれど、何かの縁で、今繋がりがある。人と人は、分析しようのない、科学的には説明のつかない理由で出会い、繋がりを持っている。

 

あまりに当たり前のことで、人と人の繋がりについて、考えることがなかった。どうして母と父は、ぼくの母と父で、妻とどうして出会うことができたのか。どうしてぼくは友達に出会い仲良くなったのか。でも、どう考えたって、人との繋がりがなれければ、人は野たれ死んでしまう。

 

そんな当たり前のことに想いを馳せるとき、ぼくは、それを何かで表現したくなる。まずは、こうして言葉で表して、もっと具体的に伝えたければ、行動として表す。絵画でも立体的なオブジェでもなく、行動でしか表現できないものを「社会彫刻」と名付けている。

 

ぼくは何に生かされて、ぼくは何の役に立っているのか。

人との繋がりの中で生きている様を表すには「お金の使い方」を徹底的にコントロールしてみせることだ。

 

【ルール】

☆顔の見える(誰だか知っている)人にだけお金を支払って生きていく。
☆できるだけ身近な小さな場所にお金を支払うこと。

 

大型チェーン店では買い物はできない。スターバックスコーヒーも買わない。ユニクロの服も買わない。セブンイレブンもファミマも行かない。

 

何のために?

 

お金は血液だ。ぼくが大事に思う愛するヒトモノコトにお金を流す。そうすることで、ぼくの愛する経済圏が活性化する。失ってからでは遅い。いま感謝できるところから返していこう。


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