いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

答えはない。だから、こうやって日々言葉を費やして、自問自答している。

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朝起きて、成田空港へ作品を運んだ。作品はバリ島に送り届けられる。かなり初期から作品を購入してくれている友人が、バリの友人と共同購入してくれた。

 

作品を作ることと販売することは、作家として生きていくうえで、かなり重要な両輪だ。大きな作品を制作するなら、梱包して送り届ける責任がある。仮に欲しいという人が現れたとき、作家はその作品を届けられるかを瞬時に問われる。もし郵送に何万円もかかれば、購入はキャンセルされてしまうかもしれない。

 

アートは、総合競技のようにさえ思える。作品をつくる技術、言葉で説明する話術、お客さんとコミュニケーションする能力、スケジュールやお金の管理能力、いくらでも必要だ。

 

20世紀の芸術家像と21世紀の芸術家像は明らかに違っている。貧乏で、人付き合いが苦手で、けれども作品だけは素晴らしい、とか、こんなタイプは21世紀では生き残れない。でももっと先は分からない。22世紀には開花するかもしれない。

 

答えはない。だから、こうやって日々言葉を費やして、自問自答している。

 

アートを捉えようとすると、逃げられる。スルリと。それでもぼくは、世界を舞台にアートで活動していきたいと思っている。なぜか。あまりに人間という生き物に問題があり過ぎるから。もっといろんな場所のいろんな人生に出会い、人間を知りたい。

 

ぼくがテーマにしているのは「生きること」。アートとは、それぞれの作家が選んだ道を追求する競技だと思う。新しい競技を作ることがアートの意義でもある。これまで見えなかった視点を創造すること。

 

成田空港から帰りは下道で北茨城市まで帰った。高速を使えば2時間、下道で3時間30分。高速に乗れば速いけれど、なんのために急ぐのか。下道を走れば、景色が見える。ぼくは視覚を通してこの世界を覗いている。見たことのある景色より、見たことのない景色の方が圧倒的に多い。

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成田から利根川を越えて、茨城県に入って、北上していくと、霞ヶ浦がある。その太平洋側には、北浦がある。かつて、人は水のある場所に集まって暮らしていた。食べ物が手に入りやすいし、洗濯するにも料理するにも人間の暮らしには欠かせない。

 

でも北浦の周りも霞ヶ浦の周りも、ずいぶんと寂れている。大きな古い家々の間には空き家も目立つ。クルマを停めて景色を眺めた。川があるから、舟で遊びやすい。魚なんかもいるだろう。少し離れたところに舟があるので、近づいて見た。屋根のついた舟。たぶん、遊覧していたんだろう。価値のない遺物として放置されている。この舟が完成したとき、夢がいっぱいあったに違いない。

 

舟は作品のモチーフとして、いつでも候補に挙がっている。基本的には、売れないようなものを作りたい。売るのが目的ではないもの。今は竹で作る舟を想像している。

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それでもアートも競技のひとつだから、何でもやりたい放題な訳でもない。仮に売れないとしても、それ以上の価値を感じられなければやる意味がない。それはシンプルなことで「やらずにはいられない」という衝動でもいい。

 

ああでもない、こうでもない、と考えて硬直するぐらないなら、愚直にやってしまった方がいい。今考えているのは、完全に自然からのみ採取してきたもので作る動物の土器。

今までの作品シリーズを作り活動費を稼ぎながら、新しい作品世界を試みる。原点に回帰する技術の採取シリーズは、普遍的な芸術として開花するはずだ。

ぼくは、こうやって勘違いして自分を信じてここまでやってきた。もう少し、日本という環境下で、原点回帰を続けてみたい。