いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

毎日10個の悪いことをみつけるより、10個の良いことをみつける方が世界が豊かになる。

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トムがアイルランドから来ているし、母親が北茨城市に遊びに来るので、民宿に泊まることにした。家から10分ほどの距離だけど、大好きな長浜海岸にある浜庄という宿を選んだ。小さな民宿だけど、とにかく魚が美味い。驚くほど。4人で泊まって呑み食いして、ぼくら夫婦からすれば、久しぶりの散財。けれども驚くことが起きた。

泊まった数日後、浜庄さんのご主人が、ぼくたちのアトリエに遊びに来てくれた。泊まったときに音楽やアートの話をしたので、きっと興味があるだろうと、コンサートのチケットをプレゼントしてくれた。

そこに近所のスミちゃんが遊びに来ていた。スミちゃんが、漬け物を出したりお茶を淹れたりしたら、ありがとうと蟹を差し入れしてくれた。スミちゃんは、お礼に漬け物とお味噌をプレゼントした。散財の効果が波紋のように広がった。

価値が動いていた。地域の経済が動いた。ぼくは、理想的なお金の使い方を体験した。自分の欲望のためでなくお金を使えば、経済は動くのかもしれない。

例えば、時給1000円の仕事を毎日8時間やって生活費が14万円かかる場所に暮らすのと、時給1000円の仕事を毎日4時やって、生活費が7万かかる場所に暮らすのと、どっちが豊かなのだろうか。

何のために働くのか。
週末、仕事百科という会社が、北茨城市でのツアーを実施した。東京から4人の参加者が、北茨城市を2泊3日で回って、最終日に自分たちが考えた仕事を発表した。

仕事百科は、移住を考えても仕事がなくて諦めたりするけれど、だったら仕事を作ればいい、と提案する。仕事をDIYするプログラムだ。

ぼくも仕事を作ろうとしている。北茨城市という町を拠点にアートで独立しようとしている。妻と二人で毎日大好きなアート制作をして生きようとしている。最近思うのは、ずっとこのまま進行形で死ぬまで完了形にはならないということ。あと他の仕事も社会との接点になっている。作品づくりだけでなく、デザインを少しやったり、文章を書いたりもしている。デザインは頼まれて発生する仕事で、アートは頼まれてもいないのにやる仕事と分類している。

忙しくなると、頼まれていることに追われて、頼まれてないことをやる余裕がなくなる。余裕がなくなると、誰かのために何かをしようという心の余裕もなくなる。

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ここ数日、アイルランドから来ているトムを山奥のアトリエに放置して、何もできていなかった。何処か行きたいところや、やりたいことに不自由しているか心配になった。海外から呼んで滞在させたはいいけれど、迎え入れる側の立場になってみると、面倒なこともある。そう思って、ああ器の小さい人間だと反省した。

トムの様子を見に行ったら、昼寝をしてた。話したら、インターネットがあるし、家は超快適だし、美しい自然に囲まれた環境で最高だよ、と言ってくれた。

昨日の夜、チケットを貰ったコンサートに行ってきた。水戸のライブハウスに山崎まさよしとその仲間が出演していた。演奏も歌も抜群に上手かった。ポップスは、聴き手を選ばない。誰にでも伝わるようにそのフオームを研ぎ澄ましている。美味しい料理のように。ドラムは屋敷豪太さんで、90年代はUKで活躍していた人だった。他のメンバーも含め50歳は超えていて、この年齢まで現役でステージに立ってる姿に熟練の技を感じた。

デザインの締め切りがあったので、少し早めに帰宅して、2冊目の本「漂流夫婦、空き家に暮らし野生に帰る。」の原稿の最終校正をした。3年間、空き家に暮らして旅してきた話で、そこに登場した人たちに原稿を確認してもらっていた。その修正を反映した。

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作業していると友達から電話が鳴った。「諏訪の原田泰司美術館で、真野正美という画家の展示をやっていて、それはとても細かくてすごいんだよ。絶対観た方がいいよ」と教えてくれた。

自分なんて、有名でもないし、なんの特徴もないし、才能もない。美しさもない。そんな気持ちになることもある。けれども、誰かの役に立つことはできる。誰かの美しさをみつけて伝えることはできる。誰の才能を褒めることはできる。誰かがやろうとしていることをお金を払って応援することもできる

毎日10個の悪いことをみつけるより、10個の良いことをみつける方が世界が豊かになる。少なくとも自分が生きている世界は。