いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

心地よいカタチ- Comfortable shape

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制作の合間に「農本主義が未来を耕す」という本を読んだ。田んぼや畑をやることに経済的な価値をばかりを求めることが根本的に間違っていると説いている。なぜなら、農業は、本来は「農」であって、それは貨幣価値とは切り離された生きるための仕事だった。食べるために労働した。だから経済的な効率化や貨幣価値以外の意義がいくつもあった。田んぼを耕せば、その土地の自然環境が豊かになる。先祖から受け継いだ土地を守ることになる。地域に住んでいる人と共にその土地に暮らし、生きるための環境を作っていく。ここにはお金に換算できない価値がある。

とても納得のいく本だった。絵も同じだ。売るために描いた絵は商品だ。もちろん絵が売れるのは、嬉しいことだけど、売れない絵に価値がないかと言えばそんなことはなくて、売れない人が絵を描く意味がないなんてこともなくて「農」と同じで芸術にもお金に換算できない価値がある。それを大切にしたいから売れるための絵は描けない。そのためにカタチを変えたくない。だからアートには何時間費やしたから幾らとかの単純計算は成立しない。

その大切にしたい価値とは何か。それを追求するのがアートの本道だと思う。ぼくは、アートとは何か、生きるとは何かを追求してブログを書き続けている。

今日も1メートル50センチの絵を妻のチフミと描いていた。最近の傾向としてチフミは自分の痕跡を作品に残したくないと言って刷毛目すらも残さない。線もキッチリと筆で引く。作業しているうちに気がついたことをチフミに言った。

「アートっていろいろ説明やコンセプトがあるけど、基本は快楽だよね?」

「え? そうだよ。毎日楽しいからやってるし、気持ちいいカタチと色。それ」

ぼくら夫婦のアートは、快楽でしかない。ぼくら夫婦は毎日制作しながら言葉を交わしミーティングしている。あるのは作る喜び、生きる喜び。不満も怒りも憎しみも社会批判もない。心地よいカタチを描いている。生活にしろ、家にしろ、未来にしろ、今にしろ。「心地よいカタチ」これしかない。何よりも先に心地よいカタチ。Comfortable shape. googleで画像検索すると、飛行機に乗るときに首に付ける枕が出てくる。あとベッドとか。

ぼくら夫婦が空き家を改修して暮らしをつくり始めたことも心地よい暮らしのカタチを求めたこと。北茨城市の古民家をアトリエにするのも心地よい環境のカタチを求めたこと。心地よい暮らしは、貧乏だとか金持ちだとか、貨幣価値で計ることはできない。それは豊かさも同じこと。

自然と人間について考え行動することは貨幣価値以上の豊かさを手に入れる。なぜなら自然は分け隔てなく、働きを労ってくれるから。

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12月の個展のタイトルは
【心地よいカタチ- Comfortable shape 展】にしよう。前回の記事に書いたタイトル候補から変更。あとは心地よいカタチをどんどん作ればいい。生きるために作る。作るために生きる。心地よく暮らすために作る。