いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

田畑に肥料がいるように、人間の健康には草や木がいる

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新しい生活が始まった。2冊目の本を書き上げたら、次の物語が始まった。頭の中をクリアにすることは精神の衛生に良いらしい。ぼくの場合は、文章を書くことが、頭を空っぽにする方法らしい。

空き家を巡る冒険は、一冊の本にまとめられ、ぼくは家に困らなくなった。家賃とか住む場所の心配がない。何にもない。これでようやく絵を描くために生活できる。

美しい絵を描くためには、生活も美しくあるべきだと思う。美しさは人それぞれ。退廃的な、破壊的な美しさもあれば、優しい美しさ、小さな美しさ、見えない美しさもある。ぼくが美しいと思うのは自然。だから、自然に近いところに生活を作り、そこで見たり聞いたり感じたことを絵にする。生活と芸術は土と植物のような関係に例えられる。

「田畑に肥料がいるように、人間の健康には草や木がいる」

今日お昼に、電車で5駅ほど離れた小木津の友達が北茨城市に仕事で来るというのでランチをしてきた。海老沢くんは、測量の仕事をしている。山に入って土地を測っている。だから、旧い道を知っている。旧い道を歩くと、失われた生活の痕跡に遭遇する。今は北茨城市の山に入っていて昨日は、しめ縄がしてある巨大な岩を見つけたらしい。

海老沢くんは仕事で山に入っているから方向感覚が優れていて勘で歩けてしまう。迷ったら地図をみる。方位磁針をみる。海老沢くんは自然が読めるから山の中を歩ける。

ぼくは自然の中に暮らしたいと思うけれど、まったく技術がない。方向音痴ですらある。星のことも、太陽が昇るのを見てもどっちが東か西かについても自信がない。山に入ってもすぐ迷ってしまう。だから、海老沢くんに次はアルバイトさせてもらう事にした。

自分を低くすれば、周りはみんな高くて学ぶことしかない。できることは、できることとして、できないことに取り組めば、新しい何かが見える。

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アトリエがある揚枝方には金山(かなやま)という山があって金を採掘していたらしい。地域のお年寄りに聞いた話しを海老沢くんにしたら常磐炭鉱には、個人規模の金山がかなりあったと教えてくれた。自然の中を仕事場にしている海老沢くんは、いろいろ知っていて、アオザという雑草の名前を教えてくれた。ほうれん草系で若葉は食べられる。雑草だけれどフランス料理店で食べられているらしい。

ぼくにとって大切なのは、こうした些細な情報なんだと今日改めて気が付いた。食べれる雑草をまとめた本を買ってきても情報量が多過ぎて頭に入ってこない。

結局、知識にもならず、本棚に並ぶだけなら、ひとつ、ひとつ、生きるための技術を採取して記録していこう。

「01-アオザ
畑や路傍などに普通に見られる1年草で、好窒素性の雑草のためにあまりやせた土地には生育しない。【見分け方】草丈は、約1.5メートルにもなり、茎は木本状となる。古くからアカザの杖といわれているが、それは、この茎のこと。軽くて丈夫でまっすぐであることから、老人の杖に使われた。
若葉の中心が赤みを帯びるものをアカザ、若葉の白味のつよいものをシロザ、青みのものはアオザという。これらは、同一種類。葉は、長三角状卵形か、ひし形に似た卵形で、葉の縁は波状であり、質は柔らかい。夏に茎の先に葉のわきから穂状の花序を出し、多数の黄緑色の小花をつける。果実は、がくが伸びて包む包果。
【採取】6~7月の花穂がでる前に若苗をとり、日干しにする。 アカザを日干しにしたものを生薬(しょうやく)で藜(れい)という。また、若葉はホウレンソウのように、ひたし物やあえ物によく、汁物の実にもなる。 

 実物をみつけたら写真をアップしようと思う。