いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 79

バイト2日目。
朝起きて、アメリカで描いた鳥の絵にチフミにサインを入れてもらって、現場へ向かう。今日の午前中はシンセンくんは予定があるので、ひとりで作業した。

昨日のホームセンターで教えてもらったようにタイルをグラインダーでカットした。次は、タイルを貼るセメントと水を混ぜて練った。全部で5箇所を貼り替える予定で、5つ目を作業しているときにオーナーの鈴木さんが現れた。キリのよいところまで作業して、鈴木さんに絵を見せた。このお店ROOSTは海の近くにあって「鳥が木で休むようにお客さんがリラックスして、また羽ばたいていく」というコンセプト。鳥の絵を鈴木さんとお店のあちこちに飾ってみながら、反応を確かめていると鈴木さんが、

「ぼくは絵は詳しくないから分からないんです。けれど、この絵はいいですね。お店に絵があるといいですね」と言ってくれた。

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とりあえず、絵をお店に置いて、鈴木さんと音楽の話しで盛り上がった。そこにシンセンくんが現れ、お昼を食べに行った。唐揚げ屋さんでお弁当を買って海で食べた。

シンセンくんと共感するのは、ライフスタイルをつくっていること。安定よりも、これからどんな暮らしが心地よいのかを試みているところ。シンセンくんは音楽をやりながら、デザインや野菜づくり、古民家再生などをやっている。もしくはやろうとしている。シンセンくんと話しているうちに、昨日の編集者のメールのことが腑に落ちた。

書き手は、自分のことを書くのではない。物語を書くのは、書き手だけれど、語るのは登場人物や出来事だ。太宰治走れメロスは、メロスの物語だから太宰治の姿や言葉は、物語の向こう側に消えている。こうやってブログを書くのと、物語を書くのは違う次元にある。県北クリエイティブの編集者は、それを言っていると気がついた。適当によいですね、とか、オッケーです、と返事をくれるひとは、たくさんいるけれど、しっかりとディレクションしてくれるひとは、滅多にいない。実際は、ヘタな原稿がウザいと感じているだけかもしれないけれど。

シンセンくんを題材に記事を書けば、ぼくは原稿から消えることができるかもしれないと思った。

午後にタイル貼りの仕上げをして、3時ころには完了した。シンセンくんが鈴木さんに電話すると、現れて仕上がりを喜んでくれた。そして、奥さんとも相談してあって絵を買ってくれることになった。

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早く仕事が終わったので、シンセンくんの家に遊びにいった。茨城県常陸太田市。大きな敷地に古民家、平屋、畑、森、竃、薪風呂がある。立派な家。こうした家が相続されなくなっている。数十年前には信じられない。シンセンくんは

「この家に暮らすようになって気持ちよくて。ああ、これだな、と思うよね。なんで、東京に縛られてたのかと思うよ。まあ、今だからそう感じるのかもしれないけど。でも、これからもっと地方は需要でてくるよね」

夜、シンセンくんが野菜づくりをバイトしながら学んでいるスペイン人のオラシオが現れて、3人で、ワールドカップの日本戦を観戦しに、居酒屋に出掛けた。居酒屋には50人くらいが集まって、大騒ぎしながらサッカーを観戦した。子供たちにサッカーを教えている人と話しをしていると、ポスターをデザインして欲しいという話しになった。

4年前のワールドカップのとき「アイムアフットボールというコンセプトをつくったのを思い出した。自分の夢をサッカーボールのように人から人へ伝えていけば、ゴールできるかもしれない。あれから4年が経った。ぼくは、家を直せるようになって、カヌーもつくった。夢はもう叶っている。もっと大きな夢を持てる。また、新しい挑戦ができる時期に来ている。