いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 74

「俺はさ、職業50回は変わったよ。続かないの。飽きたら仕事と暮らす場所変えるの。最長で6年。むかしは、身ひとつで仕事させてくれたよ。身分証とかなくてもね」

長浜の海で遊んでいると、散歩している老人が話してくれた。
「こんな俺でも年金払っていたから、いまは生きてられるんだよ」

老後の生活。こないだ観た「楢山節考」は、姥捨山を題材にした映画だった。70歳になると山に行って死ぬ。だから介護も老人ホームもいらない。ぼくは今日44歳になった。母は74歳。祖母は老人ホームで元気に生きている。

波乗りで足を負傷した。大した傷じゃないけど痛い。自然を相手にすれば絶対の安全なんてない。

浜を散歩していると、砂虫をとる老人に会った。釣りがうまくできない話しをすると、親切に砂に地図を描いてポイントを教えてくれた。ローカルな情報は足で手に入れるのが一番。ピンポイントで役に立つ情報はインターネットには載っていない。

引き潮だったので、いつも歩けないところに行けた。浜を散歩して打ち上げられたモノを観察した。これはよい石だ。模様がいい。

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午後は今日も屋台をつくった。英語でstreet stand。この屋台は解体して組み立てて、軽自動車の屋根の上に縛って運べるようにデザインした。

屋台の構造に竹を加えて補強して、屋根によしずをかけて、その上からビニールシートをかけて、竹で押さえて、各部位を紐で縛って、一旦は完成した。このまま数日、雨風に晒して、強度を確認する。

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この屋台を間伐材と竹でつくりたいと思う。林業の古川さんに電話してみよう。森を持っているヒトに話してみよう。

夜は、秋に予定している展示のタイトルを考えた。いままでは、これまでやってきたことをタイトルにしてきたけれど、現時点から未来を予測するようなタイトルにすることにした。大地を掘って新しい種を蒔くように。

贋金づくり、生きるための芸術、サバイバルアート、社会彫刻、生活芸術。いろんなコンセプトをつくってきた。これからは、グラデーションの時代になる。相反する2つを繋ぐ技術が必要だ。賛成でも反対でもなくイエスでもノーでもなく、自然と都市のどちらでもなく、その両極の曖昧な中間に、居心地のよさがある。生活と芸術。芸術のなかには、生活はないけれど、ぼくには、生活のなかに芸術が見える。生活の芸術は空と海の間にある。まだタイトルは見つかっていない。