いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 72

朝起きて、走りにいく。長浜海岸。曇り空。海は波がうねっている。荒れている。久しぶりに走る。走るのは、やると決めたことやるトレーニング。長浜海岸まで片道3km。やると言ったらやる。それができれば、人生結構楽しめる。

 

スーパーでお昼ご飯の買い物をして、陶芸家の真木さん宅へ遊び行った。69歳の真木さんは、ぼくたち夫婦を気にしてくれ、これからどうするのか、知りたいから遊びにおいでと誘ってくれた。

ぼくは、作品を作って生きていこうとしている。真木さんは、作品を作って生きてきて、それがどれだけ難しいのか知っている。

「お米をつくれば食べれるし、誰かに売ることもできるよ。けれど作品は生きるのに必要でないから、誰にでも売れるわけじゃない。それはハッキリしている」

真木さんは、一時期、南米のベルリーズという国に暮らしていた。そこで自給自足のような暮らしをしていたらしい。アクセサリーを作って売ってみたり、いろいろ工夫して生きてきた。その前、日本で暮らしていたとき、陶芸作品がバンバン売れた時期もあった。こんな感じで楽勝で生きていくんだ、と感じた頃もあった、と話してくれた。

いろいろあって、いま北茨城で仙人のような暮らしをしている。

真木さんは言う。
「作品を売るのは難しい。簡単なことじゃない。だから、それ以外の収入を確保した方がいい」

しかし、なぜ、こんなにも生きるのは難しいと感じるのだろうか。今日、明日のことを考える限り何の心配もない。けれども、不安になったり、何か成果を出していないと落ち着かなかったりする。

 

真木さんの家から帰り、図書館に寄って本を借りた。「世界一優しい海釣り入門」とチフミは「楢山節考」というDVDを借りた。

 

今日も午後は、屋台をつくった。けれどホームセンターで買ってきた材料を間違えていて、作業は思うように捗らなかった。試行錯誤しているうちに、竹を材料に使うことになったので、裏庭の竹を切ることにした。そうこうしていると、近所のミツコさんが菓子パンを持ってきてくれ、世間話をした。

 

夜はDVD「楢山節考」を観た。強烈に面白い映画だった。昭和30年ころの長野の寒村が舞台で、そこで、自然と共に生きる人間の様子が描き出されていた。少し前の日本人ですら原始的な暮らしをしていた。それは決して楽なことではない。けれでも、そこには大切な何かがあった。映像で観るのは新鮮だった。内容は説明しないので、興味あれば、ぜひ観てください。