いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 59

海の側にリゾート地をつくる計画の打ち合わせ。担当者は、イタリアやドイツに住んでいて、7ヶ月前に日本に来たばかりで、日本語が堪能ではなくて、英語で話すことになった。

「イエェ、イエェ」
と相づちを打ちながら話しをする。日本語とは違う脳の回転をする。使える単語が少ないから思考が単純化する。

北茨城にいて英語が使えるのは嬉しい。少しでも触れる機会が欲しくて、毎日netflixでドラマを英語字幕で観ているし、MIKANという単語アプリもやっているし、ネットで英語会話をやろうと思うぐらいだった。

打ち合わせをしたら速攻で資料をまとめる。考えていることを相手に伝える。できるだけ簡潔に。今回は壁画の制作依頼。スケジュールもタイトなので、東京から絵描きの仲間を集めて制作チームを組むことにした。

芸術によるまちづくり。北茨城市に滞在して絵を描く。それが仕事になる。1週間の予定で、作業した分だけのギャラを保証したい。アートが仕事になることを願う。この壁画のプロモーションがうまくいけば、きっとニーズは増えると思う。

日本でアートで生きていくには、絵を描いて売るだけでなく、アートという価値やブランディングを利用して、仕事にしていくやり方もある。最近は、商売に興味がある。

商(殷)が、周によって滅ぼされたときは「万里朱殷」といわれるように「人々は皆殺しされ村々の大地は血みどろになった」の様態であったが、避難した人々もいた。彼らは各地で「商人」とよばれた。彼等は故郷を失い、土地も所有してなかったから「交易」を生業とせざるを得なかった。時の経過とともに、出世地は関係なく「交易(あきない)を生業にする人」のことは「商人」と呼ばれるようになった。通俗的に商業は、人類の文明が発展する途上、狩猟・農耕・手工業の次に余剰生産物を交換して利益を得る形態として発展したと考えられている。ただしその起源までさかのぼることは、記録がないため難しく、どの時代に最初の商業が成立したのかは、推察の域を出ない。形態として物々交換から始まり、やがて媒介物を用いる貨幣経済に発展した。

商人(しょうにん)とは、第1次、第2次産業の生産者と需要者の間に立って商品を売買し、利益を得ることを目的とする事業者(第3次産業)を指す。

調べてみるとこの通り。商いは、人類が文明を持ったその原初から行われている。これもまた「生きるための技術」だ。

昔の経営者は言った。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」
商売は、誰かを負かしたり騙したりすることではない。双方が勝つような、得をするようなやり方。理想の戦い方。ゲームの法則。商いをテーマにした表現とは何か。

何せよ「面白いヒトと面白いことをする」それができれば楽しい日々を過ごせる。山に登るのが目的ではなく、その過程を楽しむこと。これでいいのだ。