海の側にリゾート地をつくる計画の打ち合わせ。担当者は、
「イエェ、イエェ」
と相づちを打ちながら話しをする。
北茨城にいて英語が使えるのは嬉しい。
打ち合わせをしたら速攻で資料をまとめる。
芸術によるまちづくり。北茨城市に滞在して絵を描く。それが仕事になる。1週間の予定で、作業した分だけのギャラを保証したい。
日本でアートで生きていくには、絵を描いて売るだけでなく、
商(殷)が、周によって滅ぼされたときは「万里朱殷」といわれるように「人々は皆殺しされ村々の大地は血みどろになった」の様態であったが、避難した人々もいた。彼らは各地で「商人」とよばれた。彼等は故郷を失い、土地も所有してなかったから「交易」を生業とせざるを得なかった。時の経過とともに、出世地は関係なく「交易(あきない)を生業にする人」のことは「商人」と呼ばれるようになった。通俗的に商業は、人類の文明が発展する途上、狩猟・農耕・手工業の次に余剰生産物を交換して利益を得る形態として発展したと考えられている。ただしその起源までさかのぼることは、記録がないため難しく、どの時代に最初の商業が成立したのかは、推察の域を出ない。形態として物々交換から始まり、やがて媒介物を用いる貨幣経済に発展した。
商人(しょうにん)とは、第1次、第2次産業の生産者と需要者の間に立って商品を売買し、利益を得ることを目的とする事業者(第3次産業)を指す。
調べてみるとこの通り。商いは、人類が文明を持ったその原初から行われている。これもまた「生きるための技術」だ。
昔の経営者は言った。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」
商売は、誰かを負かしたり騙したりすることではない。双方が勝つような、得をするようなやり方。理想の戦い方。ゲームの法則。商いをテーマにした表現とは何か。
何せよ「