いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

絵を描く。絵を売る。生きるための芸術。

ぼくは妻のチフミと絵を描く。その絵を売って生きる。これが理想。けれども現実は少し違う。

ぼくは妻のチフミと絵を描く。その絵を売るだけでは、こと足りないので、そのほかにも仕事をしている。

昨日は、渋谷のギャラリー&バー「ゲルニカでアートオークションに作品を出品してきた。結論から言えば売れなかった。残念ながら。何人もの人が欲しいと言ってくれたし、携帯の待ち受け画面にしてくれたり、出品された作品のなかで一番良かったという声もあったけれども、結局は売れなかった。

出品された作品の3割から4割ぐらいがオークションで売れていった。JAPARTは、なかなか売れないアート作品をダイレクトに販売する画期的なイベントだと思う。

参加した作家は、さまざまなスタイルで表現し、さまざまな状況のなかで活動している。あるコラージュアーティストは「instagramに作品を投稿したら、ギャラリーから問い合わせが来て、所属して活動している」シンデレラボーイ。

グラフィティーを10年以上も続けて、かつては電車にも描いたことがあるという強者。それでは犯罪になるので、とキャンバスに描くようになったストリートなアーティスト。絵を描くきっかけ描き続ける理由は十人十色。

チフミもぼくも絵を買いたいと思っている。絵を買ってみないと、絵が売れることが、どういうことなのか分からない。3万円、5万円、10万円、30万円、50万円。絵画に上限はないのか、と思うほど価格は違う。

絵を売ることは、価値について考えることだし、経済とは何かについて考えることでもある。商売でもある。ここに道がある。押せば売れるということでもないし、黙っていても売れない。カネ、カネ、言うのは卑しいとも言われたりする。いや、いや、どうしたら絵を理想の価格で売ることができるのか。とても面白いテーマだと思う。

何にせよ、絵が売れるとき、そこには責任や義務はなく、愛とか衝動がある。「欲しい」という想いが溢れて止まらない衝動。ずっと見ていたいと思う気持ち。言葉にしてみると恋みたいだとも思う。ほんとうにラブリーな素敵な出会いがあったとき絵は売れる。

最近は、画家でありながら画商でもありたいと思うから、いろんなところに連絡して「絵を買いませんか?」と営業してみた。

結局、オークションに入札してくれる人はみつからなかったけれど、絵の注文が2つ入った。

ぼくは妻と絵を描いて暮らしているけれど、こんな具合なので、デザインや家の改修、または北茨城市の地域おこし協力隊として、この地を拠点にアートで生きていく実践をしている。何を成し遂げたとか、どんな結果を出したとかよりも、まずは今日昨日明日と、ものづくりをして生きていられること。これが究極、幸せハッピーだと思う。

夫婦芸術家
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/