いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of these days 40

朝、起きてテレビも見ないし、SNSもあらゆるWEBサイトもチェックしない。メディアに繋がらないと、ぎゅっと世界が小さくなる。

できれば最寄りの個人経営のパン屋さんのパンを食べて、フェアトレードやコーヒーが大好きな友達が仕入れてきたコーヒーを飲みたい。

朝食が済んだら、電車や自動車ではなくて、徒歩か自転車で、仕事に出掛けたい。それも少し遅めの10時とか。

ミクロコスモス。ぎゅっと小さな世界で生きてみたい。特に何も起きないような日は、空想が頭の中を駆け巡っている。

数日前からペンギンをつくっている。パピエマシェというヨーロッパの張り子技術で。紙を木のように硬くなるまで張り合わせる。結婚祝いのオーダーなので雄と雌の二体つくっている。アート作品は宝物だ。頭のなかのイメージが価値を持って、何万円にも何百万円にもなる。作品を所有してくれるひとは王様。ペンギンを磨きながら、そんなことを考えた。

その間にメールでやり取りしてた。今年は森を再生しようと思っている。仕事じゃない。仕事未満。おカネが発生しないことを人間がやらなくなったら、人間は滅びる。けれども人の暮らしは森から離れ、森と関係なく生きる人が増えている。おカネにならないから、森に携わる人が減っている。それじゃあ風の谷のナウシカ状態になる。

 きらめ樹という木の皮を剥く間伐方法があると、教えてくれた人がいる。樹が森に生えているまま、皮を剥いて、1年間放置して、乾燥させる。現状は、森の樹を切って、運んで、「⑴皮を剥いて保管して」製材する。きらめ樹は⑴の行程を省略できる。

森のことなんて、どうでもいい。そう思う人もいる。ぼくも10年前だったらそう思った。

 

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前の戦争でたくさんの樹を伐採してしまった。だから政府は、国策として、日本全国で植樹を推進した。70年ほど昔の話。戦後だから、その号令は日本全土隅々まで響き渡り、あらゆる山に杉が植えられた。

地方で、車を走らせれば、どこまでも針葉樹(杉や檜)が植えられているのを見るだろう。

 それなのにホームセンターでは、外国産の木材が販売され、国産の木材ではなく輸入材で新築の家が建つ。戦後に懸命に植林したのは、それが財産になるという想いもあった。ぼくたちのお爺さんひいおじいさんは、未来に財産を託そうとした。

でも森は、財産ではなくなった。家も同じで、相続されない家屋は空き家となり、負動産なんて呼ばれている。

去年から北茨城市に暮らしているぼくの周りには、海と森がある。森も海もぼくの小さな世界のなかにある。森と海を自分の生活圏にしたくて、この場所に引っ越してきた。どんなミクロコスモス(生活圏)をつくるのか。ぼくたちは小さな選択、イエス、ノ-を積み重ねて理想の暮らしをつくることができる。

 

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生活に必要なアイテムひとつを取り上げて、どうして?なぜ?と存在理由を探っていくと、タイムスリップする。タイムトラベルは、インターネットがガイドしてくれる。ぼくは家屋の歴史を追いかけて、森にたどり着いた。

 昨日は、ペンギンを磨きながら、北茨城市の樵の古川くんに連絡して、きらめ樹を主催する海老沢くんに連絡して、森のことを教えてくれた岐阜県のBLUE MOUNTAIN VILLAGEこと青山くんに連絡して、森の活動をはじめる準備をした。

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