いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of these days 9

4月5日(木)

 

朝7時30分。起きる。
今週納品したい作品づくり。

 

パピエマシェという、ヨーロッパの張子技術で立体作品をつくっている。身近にある木や石のカタチを組み合わせて原形をつくり、そこに足し引きして、より具体的なイメージをつくる。密かに「ハーフ・ナチュラル」と名付けている。

 

色を塗るにしても、描いてしまえば不自然になる。だから、絵の具を流したり、飛ばしたり、削ったりして、偶然と失敗を重ねて楽しんでいる。

 


アラン「芸術論20講」を読む。
アランは
「芸術作品とは、はじめに構想があってそれを具現化したものだと考えがちだが、それは違う。作品の堅固さ、強靭さ、奥の深さは、道具を手にし、身体を動かして作品を作り上げる実作行為のなかから生み出される作品独自の性質であって、制作以前の想念に備わるものではない」と書いている。

 

夕方
作品はほぼ完成。仕上げの調整。

 


作品完成。

 

作品をすぐに撮影できる部屋が欲しいと思った。
丸一日、制作に費やすことができた。何ができるのか、イメージの通りにはならないし、想像を超えるモノが、目の前に現れた喜びは、ほかにない。けれども、完成してしまえば、すぐ新しい欲が湧いてくる。もっとこうしたい。ああしたい、と。

寝る前に、岡倉天心とボストンについて調べる。
フェノロサ岡倉天心に英語を教え、日本美術の基礎を骨董の審美眼を教えた。天心が成長しフェノロサの代わりを担えるようになると、フェノロサは居場所がなくなりアメリカへ帰る。フェノロサは、日本で買い漁った古美術でひと財産を築く。
天心が日本に居場所がなくなったとき、フェノロサボストン美術館への橋渡しをする。そのときの天心の役割は、日本の美術品を買い付けることだったという。日本の美術を守ろうとした天心と、海外へ流出させた天心。流出したおかげで、戦火を逃れたという見方もある。

しかし、調べるほどに岡倉天心の無茶苦茶な人間像が浮かび上がってくる。まあ、芸術家はそもそも偉人などではなくて、ひとりの人間なのだから。子どものころ、教科書に掲載されている人は偉いと思っていたけど、太宰治芥川龍之介も、今見直してみると偉人とは言えない。やっぱり宮沢賢治がしっくりくる。