50年の時を経て目の前に集まった友情

f:id:norioishiwata:20180109231249j:plain人生とはなんて不思議で、手に負えない代物なのだろう。まるで自然そのもののように。昨日は、父と友達2人が、北茨城を訪ねてくれた。東京から電車に乗って。ぼくは43歳で父親は、75歳くらいだろうか。ぼくが生まれたとき、父親は今のぼくより若かった。

ぼくは10代の終わりに進路について父親とケンカして家を出た。もう会わないと思っていたけれど、20代の半ばに、父親の友達から電話を受けて、ガンで死ぬかもしれないと告げられて、病院に行った。結局、父親は、死なずに生きている。そのとき、連絡をくれたのが、昨日、父親と一緒に北茨城に来た土井さんだった。土井さんは、ぼくの父親の友達で、ぼくの友達にも子供がいるから、こうイメージできるようになった。例えば、友達が息子とケンカして、連絡が途絶えてしまっていて、その子供が赤ん坊のときから知っていれば尚のこと、その親子にできることがあれば助けになりたいと思う。

土井さんは、ぼくの父親と母親が知り合うきっかけでもあったらしい。不思議だ。ぼくは土井さんから生まれたわけではないけれど、土井さんがいなかったら、いまの自分は存在しないことになる。

今回、父親と一緒に北茨城に来たもうひとりの友達はオイカワさんで、日本画が好きで、横山大観の絵を所有しているほどだ。その横山大観が過ごした地を訪れるのが夢だったと、北茨城に足を運んでくれた。

f:id:norioishiwata:20180109231422j:plain大学時代の仲間3人が人生の荒波を乗り越えて、50年もの時を経て、ぼくの目の前に集まっている。ぼくが父親とケンカしたことも知っているし、それ以前のことも知っている。友達とは、なんて素晴らしいのだろう。目の前にあるのは「友情」という人と人を結びつける愛だった。

ぼくには子供がいないけれど、友達や親戚の子供たちが、成長していく過程に立ち会っている。いろんなことが起きるだろう。誰ひとりとして、人生を思い通りに操ることなんてできやしない。

オイカワさんは
「自分のことを知ってくれている人としか仕事は生まれない。そんなものだよ。見ず知らずの人がある日突然、何かしてくれることなんてないさ。」と教えてくれた。

だとするなら、よく見渡したらいい。自分の周りにいる人を。自分が仲間だと思う友達と集まれる機会は、とても貴重な時間だと改めて感じた。人を大切にできる環境にいるなら、それは素晴らしい。もし、できていなかったり、してないようだったら、連絡したり、会ったりして、楽しい時間を過ごしたらいい。

ぼくは北茨城という土地に来て「アートによるまちづくり」という仕事をしている。北茨城の五浦には、岡倉天心がいた。その弟子でもある横山大観がいた。ぼくにとって、横山大観は、歴史的に有名な日本画家であり、なんの接点もなかった。だから、どんなに素晴らしい絵だと説明されても、ずっと遠くにあって、心に響いたことがなかったから、ほんとうの魅力が分からなかった。けれども、ぼくの父の友人がコレクションするほど愛する作家の横山大観に出会ってから鑑賞した絵は、ぼくにとって、とても親しみのある景色に変わっていた。身近に感じるようになったその景色は、北茨城の海だった。偉大な日本画家の作品ではなく、ひとりの人間が愛した自然が目の前にあった。

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