やりたいことを言葉にして行動する。ぼくの場合は、自分と対話しながら、このブログに言葉を並べ、行動し表現する。その成果を文章や作品や展示で伝える。
より便利に快速化し、貨幣経済に支配される時代のなかで、忘れられ、失われていく人間の根幹にある、目の前にある小さな、そのミクロな視点が捉える、ほんとうに大切なモノコト。この時代のなかで、立つべき場所、問うべき思考、みるべき未来とは何なのか。それは、多数派でもなく、大企業でもなく、大資本が動く場所でもない、目の前の当たり前過ぎて見落としているモノコトに宿る。
身の回りの小さな出来事を世界全体のコモンセンスになるまで拡大し表現する。それを「ミクロメガス」と名付けよう。「ミクロメガス」は、ぼくが好きな本、16世紀のフランス、ヴォルテールの作品。岩波文庫の傑作「カンディード」に収録されているので、タイトル作品と併せて強烈にオススメする。
インターネットが発達し、物理的な境界線が消えた現在、ある地方で起きている小さな問題は、世界全体の問題になりうる。都市と自然、先進国と発展途上国、富裕層と貧困層、戦争と平和、右と左、上と下、成功と失敗。錯綜する情報は、たくさんの問題と議論を巻き起こす。「正しさ」は右にも左にもあり、真ん中にも絶対の答えは存在しない。
だとすれば、人間はどのように生きればよいのか。国家が武器を輸入するディストピア時代、ぼくは少数派になることを恐れない。おカネで物事の価値を判断しない。間違いや失敗も辞さない。なによりも勘違いと情熱を持って生きていく。それは、ぼく個人のためではなく、これからも生きながらえてほしい愛すべき人類のために。無邪気な子供たちの、その眼差し、振る舞い、その美しい心が、目先の欲望の犠牲にならないためにも。
未来を守るためには、自然との繋がりを復興するべきだと思う。ぼくのような小さな無名の人間が、どこまでやれるのか大志を抱いてみようと思う。これが「勘違いと情熱」だ。
人間が生きるために必要不可欠な自然との接点が消えつつある現代だからこそ、アートが表現するべき領域は、空想でも想像でもなく、極端に歪んでしまった現実にあると確信する。現実が、いかなる虚構も超越してしまった今、どうやって、混迷錯綜する広大な現実と仮想空間を横断できるのか。つまりは、あらゆるツールを駆使して冒険したいと思う。
目標は、現代に於ける理想的な人間活動を描くこと。幸せハッピーで、愉快痛快な。ぼくはそれをテーマにしたい。
理想的な人間活動とは、人類が何千年もの時を費やし蓄積してきた生きるための技術、つまり自然との関わりのなかで日々の暮らしをつくること。ぼくはそれを「生活芸術」と名付けた。
日本の地方から世界全体の地方へとリンクする、点と点を結ぶように横断して、貨幣経済だけでなく、自然界が育む採取経済までに価値範囲を拡大し、人間が生きること、その喜び、豊かさに直結するアートを人々の暮らしのなかに届ける、夫婦芸術家、檻之汰鷲(おりのたわし)。
2018年は、北茨城市を舞台に、失われていく生きるための技術、森に海に、大地にそのアートを表現する。
目の前の
小さなモノコトを耕すことから
今年を始める。
2018
檻之汰鷲(おりのたわし)