イタチと人間

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「あっイタチ!」
北茨城市にある栄蔵室(882m)に登りに行ったときのこと。同行者たちがざわめいた。イタチは普段から、この辺に暮しているのだから、ぼくらが進入者で、むしろイタチの方が「あっ人間!」と、走り出したのだと思う。

栄蔵室は、茨城県単独峰としては、最高峰で、筑波山より5メートル高い。

この日は、北茨城の山道を開拓してきた有賀さんに、道のない沢からのルートを案内してもらった。山が低いので、道がなくても、勾配が緩くて歩きやすかった。それでいて、大自然へ簡単にアクセスできることに感動した。山は高いばかりが魅力ではなかった。山好きの友達に話したら「低い山の魅力に気がついたら、また山が楽しくなるよ」と話してくれた。

これまで、多少の山に登って、高い方がいいと思い込んでいた。いつまのにか、登山という競技に巻き込まれていたらしい。よっぽど俯瞰して見渡す能力がないと、その気もないのに、広告や商品やサービスによって、既存の競技に参加してしまう。

f:id:norioishiwata:20171119114819j:plain有賀さんは、道なき道を歩きながら、北茨城市の70%が山林だと教えてくれた。確か、日本の国土の80%が森林で、世界3位の森林資源国でもある。ちなみに人間も、能力の2割ほどしか使っていないと聞いたことがある。つまり、有効活用してない領域は広大にあるのに、競い争うことを止めない人間。地方と呼ばる地域に暮らして、最近思うのは、人口が密集していないと、これほど余裕が持てるのかと、たまに行く東京の電車のなかで思う。登山のように、いつの間にか、夢や希望は、経済成長という競技にすり替えられている。

競争するよりも、競技自体をつくった方がいい。ルールに縛られるより、ルール自体をつくって、遊んだ方がいい。

ぼくは芸術家。そう名乗ると、どんな作品をつくっているのか、と聞かれる。ぼくはアート作品をつくるけれど、決まったカタチはない。ぼくはアートという枠を拡張させている。

説明するなら、そのとき出会った材料と環境が作品のカタチを決める。平面のときもあれば、立体のときもある。文章のこともあれば、行動のこともある。紙や木や家や景色や人との出会い、歴史、文化、なんでも材料になる。ただ作品として完成させる技術が追いつかない。もっといろんなモノにアートの称号を与えたい。

友達から来たメールに
「売れるとか、売れないとか気にするくらいなら、やらない。なぜなら、自分がやりたいからやっている訳で、売るためにやるんだったら、それは仕事だから、やり方も方向性も違ってくる。」と書いてあった。

f:id:norioishiwata:20171119115033j:plain水曜日に急遽、東京に行くことにして、バスで向かう途中、新しい企画を思いついた。ザンビアに車を届ける映像作品。日本から車を船でタンザニアまで輸送し、陸路でザンビアの友人に日本車を届ける。ぼくは嫁と撮影者の3人で、飛行機でタンザニアに向かい、車をゲットして、アフリカ大陸を横断する。その途中に出会う景色や文化や人は、現地の人にとっては、まったくの日常生活で、観光地でもガイドブックに載るような何かがある訳でない。けれども、ぼくたち日本人や西欧文化には驚きの日常が地球の反対側で営まれている。企画書にまとめて、受け止めてくれる人や機関を探す。これが、ぼくがはじめた生活芸術というアート。

f:id:norioishiwata:20171119115517j:plain人が行かない方に進んだ方がいい。できない理由は、おカネと違うことを受け入れる勇気だけだと思う。だから、絵を描くとか、彫刻をやるとかで、競争するよりも、誰かの何かが優れているとか優劣をつけるよりも、ビビッと閃いたアイディアを行動してしまった方がいい。自然に優劣はない。考えるのは後。むしろ、他と比較したり検証するうちに、同じようになって、アイディアのオリジナリティや鮮度は落ちていく。

奇岩が聳える名もない自然を歩いて、気がついた。ぼくにとって、この場所のすべてに名前がなかった。ところが、有賀さんは、歩きながら、石が集まっている箇所を見れば「かつてここで炭を焼いたんだよ」「この草を煮て依ると強いロープがつくれる」「この木の幹は黄色くて胃薬になる」と教えてくれた。ぼくと有賀さんの違いに、日常をアートに変える視点、生活芸術の入り口がある。

人間が人間の視点で、この世界を捉えようとするから、人間同士の争いに参加してしまう。もっと遠くから眺めてみたい。それは物理的な遠さである必要はない。低い山にも大自然があるように。

なんなら、イタチになりたい。動物の目線で世界を眺めれば、至るところの自然が、まったく新しい記号に変わる。自然のなかで「あっイタチ」と思う人間たちは、いつもパンを奪い合い、一方で自然は、自然のまま有象無象に広がって万物に恵みを与える。どんな場所にいても、そのままを捉える眼差しが世界を美しくする。

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