いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

「生きる」の旗をアートのど真ん中に突き立てたい。

f:id:norioishiwata:20171013202130j:plainいくつかの夢が叶ったので、独立独歩会議としてのメモ。ぼくにとって自然は大先生。その営みを学ぶ環境に身を置きたい。今日は、北茨城市と共につくるギャラリー兼アトリエの作業をスタートした。目標は「わざわざこんな場所に来る」。何ができるのか分からないけど、ヤベエのをつくる時間はある。

北茨城市の奥地、楊枝方という集落につくられるこのスペースは、畑や田んぼに囲まれた築100年を超える古民家。ここを掃除して、縁側で休憩していると、雨が楽しかった。屋根から落ちて弾ける水に見惚れた。この感覚こそが「生活芸術」だ。つまらないこと、見落としていること、小さなこと、それが楽しく感じるとき、ぼくは、生きていると実感する。

f:id:norioishiwata:20171013202240j:plainぼく自身の生活は、水のように低いところへと流れていきたい。だから、このアトリエ兼ギャラリーもぼくの場所にはならない。価値がないものに価値を与え、価値が生まれれば誰かの手に渡る。そしてぼくは別の場所をつくる。それがぼくのアートだ。

ややこしいのだけれども、ぼくのアートと一般的なアートは違う。業界には業界のアートがある。これからは、ぼくのアートは「アルス」と呼ぼう。アートは、茶道やスポーツのように、技を競うひとつの表現形態だ。マルセルデュシャンは、便器をアートにして、奇跡ともいえる離れ技を披露して、アートの領域を拡張した。ジョンケージは「4分33秒」で無音を音にして音楽の概念に革命を起こした。ぼくは、そういう挑戦的なことが好きだ。

だから、勝手に自分がアートと名付けたもの(つまりアルス)を業界のアートの枠で競わせてみたいと思うようになった。ぼくは価値を取らないけども、つくったモノには価値を与えたい。ぼくは矛盾している。けれども矛盾こそが、もっとも美しいバランス状態であり「答え」だと思う。ぼく自身は、宮沢賢治の農民芸術概論のように、デクノボウのように生きたい。

けれどもぼくのアルスは、アートという文脈のなかで、離れ技を決めて欲しいと願う。最近、この話を理解してもらえないことがある。それは仕方がない。ぼくのチカラ不足であり、これはスタートしたばかりの挑戦だから。目指す道があれば、どんなに遠くても、辿り着くことができる。大切なのは忘れないことだ。だからぼくは、こうして言葉を書き続けている。夢は大きい方がいい。小さい夢では、そこまでしか辿り着かない。嘘も言ってるうちに真実になる。

f:id:norioishiwata:20171013202409j:plain「生活」という忘れられつつある、自然と人間の営みが芸術として評価されたら、面白いと思っている。なぜなら、日本人は生活を捨てているから。日本人は、経済成長ばかりを最優先して、自然環境や自然資源について、その価値を忘れてしまった。自然資源をフル活用すれば、人間は生きていけるのに。自然の恵みで生活を営み、それでいておカネを儲けることができれば、おカネに振り回されずに、好きなことをやって生きていくことができる。

ぼくは、自分が発見した表現ジャンルを確立させたい。なぜなら、これはひとつの哲学であり思想でもあるから。だから、ぼくは本「生きるための芸術」を書いた。その後の2年間をまとめた2冊目の初稿が、先週に完成して出版社に渡した。「1冊目より可能性がある」と言ってくれた。ぼくは作家になることができた。3年後には3冊目を出版したい。

評価されることよりも、自分の感覚をどうやって伝えるのか。それを研ぎ澄ますことが、アルスでもある。評価さるためにズラすことよりも、感覚のど真ん中で立ち上げる。そこに個性がある。その強度が、そのまま作品の強度になる。

ぼくがアートという文脈のどの辺にいるのか、さっぱり分からないけど、何やら、古くて新しい革新的かつ確信ある何かを育てている。どんなに時代が変わろうと便利になろうと、天災が起きようと、戦争が起ころうと、人間は生きている。それだけは普遍的な事実だ。「生きる」をアートのど真ん中に突き刺してやりたい。

まだまだ、これからだ。